2023.11.16 14:39ウズベキスタンの旅㊴ 終わりバス停に到着。数名の客が小雨をしのぐように屋根の下のベンチに座っていたが、目的のバスがやってくるたびに一人、また一人とバスに乗り込み去っていった。私ひとりだけになり、理由もなく途方に暮れる。すっかり首都タシケントのバスは乗りこなしていたが、なかなかバスがやってこないことには乗るにも乗れない。時刻表などないのと同じなので、しばらく待ったあげく、別の路線のあるバス停まで歩くことにした。空港行きバスは様々な路線がある。大通りではあるが、新年の寒々とした街には活気はなく、歩いているのは犬の散歩か私くらいだった。10分ほど大通りを歩き、交差点を超えた先に別のバス停があった。空港行きの路線がある。どれくらい待つかと運行表を確認していた矢先に、目的のバスがやってきた...
2023.10.14 15:51ウズベキスタンの旅㊳ 地下道の母子マフトーナが去っていく、その姿が視界から消える前に、私も静かに背を向け、歩みを始める。僅かながらも胸の奥に広がる寂しさを、帰国の気持ちに戻す必要があった。さて、これからどうしようか。小雨が交じり合い、地元の群馬よりも一層寒いこの冬の日。疲労と悪天候がテンションを下げ、どこへ行こうとも気力がわかず、半ば途方に暮れていた。歴史博物館の前には「ナヴォイ劇場」と呼ばれる大きな建物がそびえている。雨宿りにでも行こうと決めた。「地球の歩き方」を手に取ると、この劇場はなんと日本人が築いたものだという。簡単に説明すると、第二次世界大戦後、ソ連の捕虜となった日本兵約500人が劇場建設を強制され、高度な木造技術で完成させたという。1966年、ウズベキスタンを襲った大地震で...
2023.10.07 14:13ウズベキスタンの旅㊲ 最後の出会い日本人墓地を後にした私は中心地街へ戻るために、バス停へとやってきた。天気は悪く、曇り空で周囲も決して明るくはない。しかし、まだ12時を回ったばかり。
2023.09.24 06:37ウズベキスタンの旅㊱ 太平洋戦争の傷跡私は、幼少期から過去の日本が犯した過ちの一つ、太平洋戦争について興味を抱いてきました。特集番組や様々な機会を通じて、その一端を学び続けてこれたように思います。振り返れば、戦争への私の興味は、人間、特に日本人の「過ち」と「愚かさ」に焦点が当たっていました。食べ物も武器もなく、鉄も手に入らない中で行われた特攻隊を含む無謀な攻撃、そして「一億玉砕」。「日本が負けるはずがない」という当時の日本の考えにも疑問を抱きました。このような時代が存在した事実を考えると、どうしても心が落ち着かない気持ちになります。歴史の専門家が史料を元に素晴らしい解説をしてくれるテレビ番組を観ても、命を捧げた人々の苦悩と犠牲に心を痛めずにはいられません。子供の頃から現代との極端な違いに触...
2023.09.23 02:15ウズベキスタンの旅㉞ 電車のトイレ夜中、トイレで目が覚めた。行こうかどうしようか、ベッドでまだぼんやりしているとちょうどたまたまどこかの駅で停車した。見学ついでに私は起き上がって行くことにした。どこの駅だか分からないが、まだまだ首都までは時間が必要な距離。トイレに向かうと、鍵がかかっている。誰か入っているのか。と最初は思った。が、しばらく待っても誰か出てくることはない。やばいな、我慢の限界が近いぞ、というくらい待つと電車が発車した。すると、車掌がやってきて鍵を使ってトイレの鍵を開ける。どうやら停車中はトイレが使えないようだ。そういえば、ブハラの駅に停車中も車内のトイレは鍵がかかっていた。おそらく、、、。 この電車は汚物を線路に垂れ流す方式なのだ、トイレの蓋を開けると線路が見えるのだから...
2023.09.18 06:13ウズベキスタンの旅㉜ さよならブハラ荷物を取りにゲストハウス「Rumi」に戻り、部屋の荷物をまとめる。「さよなら。ありがとう。また、いつか来るよ。」過ごした宿の部屋を出る時、私は必ずそう口にする。感謝の気持ち、そして自分の寂しさを紛らわすためだ。鍵を返しにフロントへ行くと、歩き始めたくらいの子供とその母親が遊んでいた。「この宿のご家族の方ですか?」と尋ねると流暢な英語と微笑みを返してくれた。私はコンセントでスマホの充電をさせもらいながらしばしこの母と話をさせてもらった。この母、おそらく20代後半だろう、幼い頃から両親が宿を経営していて、増築を繰り返してきたという。子供を見つめる瞳、表情がとても柔らかく、とても愛していることが伝わってくる。他にも良い宿はたくさんあるが、こういった家族経営の...
2023.09.17 06:51ウズベキスタンの旅㉛ 寂しさは置いていくブハラの観光地街の中心部の池「ラビハウズ」まで戻ってきた私は、ATMにて今夜と明日一日分の現金を引き出した。食事され摂れればいいので3000円くらいのみだったろうか。今夜、ブハラを経つ。最後に遺跡群をもう一度のんびりと巡る。わずか一泊であるのに、レストランに入って食事をしたり、商店で飲み物を買ったり、街を散策したり、少し地元の人と関わったりするだけで、ずいぶん自由を手にすることができる。それが一人旅の醍醐味なのだろう。夕方5時過ぎ、まだ時間は早かったが昼飯も食っていないため早めの夕飯にすることにした。昨夜と同じレストランに行くとすでに開店してくれていた。昨夜と同じおじさん店員、そして同じ料理を注文する。今日は一人で来ていることに一抹の寂しさと、また、冒...
2023.09.16 03:46ウズベキスタンの旅㉚ 郊外から歩いて帰る大通りを歩いていると、昔日本にあった「ドライブイン」的な見た目の簡素な複合施設があった。どうやらATMがあるようなので、国際キャッシングで現金を下ろすことにした。ちゃんと英語表記に変更もできる。ただ、その時の私はなんとか現金を引き出さねば、という焦りと、郊外を身一つで歩いている僅かな不安があったようで、クレジットカードを挿入して、暗証番号を打ち間違えるか、もしくは何らかの操作を誤ってしまったのだ。通信中、という画面からいっこうに画面が変化せず、「これはカードを飲まれてしまったかも!」という強烈な不安に襲われあわてて「キャンセル」ボタンを押す。しかし、数秒か10数秒か、とにかくそれさえも強烈な不安の元では長く感じられた。無事にクレジットカードが出てきた時...
2023.08.20 05:52ウズベキスタンの旅㉙ ドラクエⅢの世界清水さんを見送った後、私はブハラの観光街から離れた庶民のバザールを観に行ってみた。「デフコン・バザール」バザールの周辺には自転車の後ろにバーベキュー台を積んだような簡易な露店があって、焼き鳥のような肉を焼いて売っている。その匂いがたまらなく良い香りをどこまでも放っている。バザールには大きなアーチ状の入り口があり、入っていくと大部分が屋根に覆われていて、昔のアーケード街のような感じだ。バザールといえば、「Amazon」と同じくありとあらゆる商品が売られている。服、下着、靴、台所用品、肉、野菜、穀物、日用雑貨、おもちゃ、ホームセンターに置いてあるような工具、部品。それらの店がただひたすらに境目なく続く。
2023.08.07 22:18ウズベキスタンの旅㉘ ブハラ2日目、午前ブハラ2日目。朝6時台には目を覚ましたが、まだ暗く、しかも寒いのでベッドの中で過ごす。朝食付きのはずなので、7時過ぎに受付のある建物へ行ってみたが誰もいないし、電気も点いていない。他の客がいるだろうが物音もしない。経営者が住んでいるほうの建物をのぞいてみると昨日、受付してくれた年配の女性がキッチンの床で毛布一枚かけて寝ている。そうか。なるほど。この人は、住み込み従業員なのだ。・・・起こすのも悪い気がするのは私が謙虚な日本人である証拠か。部屋に戻り、チョコバーと柿ピーで小腹を満たし、朝の街並みを散歩にでかけることにした。寒さで凍てつく空気。静まり帰る路地を歩き、観光の中心地の池「ラビハウズ」に出る。朝霧が漂い、視界は悪いがそれが幻想的であった。