ウズベキスタンの旅㊱ 太平洋戦争の傷跡


私は、幼少期から過去の日本が犯した過ちの一つ、太平洋戦争について興味を抱いてきました。特集番組や様々な機会を通じて、その一端を学び続けてこれたように思います。



振り返れば、戦争への私の興味は、人間、特に日本人の「過ち」と「愚かさ」に焦点が当たっていました。

食べ物も武器もなく、鉄も手に入らない中で行われた特攻隊を含む無謀な攻撃、そして「一億玉砕」。「日本が負けるはずがない」という当時の日本の考えにも疑問を抱きました。



このような時代が存在した事実を考えると、どうしても心が落ち着かない気持ちになります。

歴史の専門家が史料を元に素晴らしい解説をしてくれるテレビ番組を観ても、命を捧げた人々の苦悩と犠牲に心を痛めずにはいられません。



子供の頃から現代との極端な違いに触れることで、ますます過去の出来事について理解を深めたくなりました。



グアムを訪れた際、ダイビングに半分の時間を充てましたが、残り半分の時間でかつて日本が統治していた時代の戦争遺跡をレンタカーで巡りました。終戦を知らず、何十年もジャングルの奥地で生き抜いた日本兵が見つかった場所も訪れました。



アメリカ本土へ行った際には、アメリカ人の戦没者慰霊碑を偶然見つけ、そこでおばあさんと話す機会がありました。改めて戦争の犠牲者が日本人だけでないことを痛感しました。



そして、ウズベキスタンにも日本兵が存在したことについて知りました。それはかつてソビエト連邦の一部であったためです。



日本がアメリカに降伏した後、ソ連が満州に攻め込み、多くの日本兵が捕虜になりました。彼らは極寒の地で強制労働を強いられ、多くの犠牲者を出しました。地元の人々は放置された彼らの遺体を目にして心を痛め、埋葬してくれたそうです。

その後、旧ソ連各地に日本人墓地が建設されました。



私はそこへ向かうバスの中で、説明し難い感情に包まれました。亡くなった知人に会いに行くような気持ちとは異なりますが、それでもまるで知っている人々に会いにいくような気持ちに変わりありませんでした。



異国の地で出会う日本人とのぬくもり、そして歴史に対する無力感。彼らは家族に会いたかったでしょうし、日本に帰りたかったでしょう。それが叶わなかったことに対する悲しみ。



墓地を発見した瞬間、感情が一気に湧き上がり、涙がこぼれました。


記念碑にはまだ新しい花が添えてありました。
管理人の方が置いてくれているのでしょうか。
また、千羽鶴もありました。


そして、亡くなった一人ひとりに墓石がありました。


彼らは帰りたかったでしょう。会いたかったでしょう。腹は減っていただろうし、寒かったでしょう。せめて、その気持ちを胸にしまい込むことなく持ち帰ります。


ウズベキスタンにある日本人墓地をもっと訪れるべきでした。

次、ウズベキスタンに来ることがあるならば悲しみが薄れるような、日差しの優しい緑の季節にまた訪れたいと思います。


『第2次世界大戦終結50周年を記念し

ウズベキスタン共和国内日本人墓地の鎮魂の碑を

日本とウズベキスタンの協力により建立する

1995年10月1日』

おかやんの「とりあえず何でもひとりでやってみる」ブログ。

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