クソ野郎のジャワ島横断記⑬ シャワ島の古都ソロへ。

ジョグジャカルタ三日目。  


朝、部屋でテレビを点けてみると、首都ジャカルタにある独立記念広場「モナス」での独立記念行事の様子が生放送されていて、国旗の赤と白の衣装を纏った人々が映っていた。


数日前のジャカルタ滞在時、バスの車内からモナスの外観は眺めた覚えがあった。知っている場所がテレビに映っていたので言葉の分からぬ放送でもしばし見入った。  


今日も誰もいない食堂でパンとコーヒーをいただき、食後、ゲストハウスの北にあるグーグルマップで気になっていた広場に行ってみることにした。


民家が立ち並ぶ路地を入っていくと、100mほど先にすでにその広場であろう場所が見える。近づくに連れ、なにやらスピーカーからの大音声が聞こえてきた。路地を抜けて視界が広がるとそこには、大勢の人々、おそらく千人以上が整列して集まっている。赤や青の制服を着た学生たちだ。バンドンに住むディタが、インドネシアの学校制服について教えてくれたのを思い出した。  





グーグルマップを拡大してよく見ると、広場の周囲には小学校、中学校、高校が隣接している。  たしか独立記念日は祝日だと聞いてはいたが学校行事として全校生徒が集まるのかもしれない。広場では近所の人や親も一緒に見ているようだった。  


行事の進行は日本と差ほど変わらない。国家を歌い、軍服を着たお偉い人が何人か話し、生徒代表が何かを宣誓する。それが30分ほどで終わると、千人近い生徒たちが四方八方へと一斉に帰り始めた。これは道が混雑すると思い、彼らよりも早く帰路につくことにした。  



ゲストハウスをチェックアウトする。 

二泊お世話になった「ウィスマ アリーズ 」。安宿通りからは離れていて静かだった。
また、いつか。



今日はこれから鉄道で「ソロ・バラパン」という街へ移動する。

約一時間の旅だ。ゲストハウスからバス停まで歩き、バスでジョグジャカルタの中心駅「トゥグ駅」へと向かった。  



インドネシア、ジャワ島の鉄道は日本のようにその日に行ってその時間で切符を買って乗るのではなく事前予約で購入しないとならないようで、日本からネットとクレジットカードを駆使してインドネシアの鉄道サイト「チケット.com」にアクセスして購入、プリントアウトしておいた。  



トゥグ駅には日本と同じくコンビニが併設されていて、そこでこれからの一時間の旅のお供としてペットボトルのコーヒーを仕入れた。チケット発券機で、プリントアウトしてきた予約票のバーコードを読みこませて発券する。


 隣の発券機ではおばさんがやり方が分からずオロオロしていた。と、おばさんと目が合い、助けを求められる。


オレがバーコードを読み込ませるジェスチャーを見せるとおばさんも同じようにやり、無事発券でき嬉しそうにしていた。近代化によって、鉄道の乗り方も代わり、年配の人が操作が分からなくなるのはここも同じなのだと、オレは心少し和ませてもらえた。    



鉄道の車窓からジャワ島の原風景を眺めながら揺られること一時間。 「ソロ・バラパン」に到着。


またの名を「スラカルタ」というらしい。王宮が2つも存在し、その歴史的背景として王位継承で争ったため分裂したのだという。  


ただ、オレは別に王宮を見に来たわけではない。遺跡を見に来たのだ。まだ日本で旅の計画を練っている時、「地球の歩き方」を見ていたらなんとも異質な像や彫刻のある遺跡を見つけ、これは見てみたいと思ったのだ。しかしそれがまた遠い。山の中にあるとのことで、タクシーかバイタクで行かねばならない。そして一人旅であるオレは高価なタクシーではなくバイタクの案で行く。  


鉄道車両を降り、これからここで始める旅に意気込みをし、改札を抜ける。  すると、餌を見つけた魚かのようにタクシー運転手たちが外国人であるオレに群がってくる。 


「コニチハ。コニチハ。」 

 「タクシー? タクシー?」  


ああ、もううざったい。


どうしてこうも考える時間をくれないのか。 


「待て! 待て! ちょっとタバコを吸わせてくれ。」



 この「タバコを吸うからちょっと待て作戦」で群がる彼らを振り払って距離を置く。そのためにちゃんとタバコを日本から持ってきて、そのためだけに吸う。これは東南アジアではオレがよく使ってきた手だ。一応彼らなりのマナーでもあるのか、きちんと距離を保ってくれるようだが、それでも声掛けはやめない。


 「タクシー? タクシー?」  


あんまりにもうるさいので、 「タクシーはいらないんだ。バイクタクシーはいないか?」  


そう言ってオレがたばこに火を着けると、 「それなら俺だ。」  


そんなセリフがどこからか聞こえ、一人の男が片手を高々と挙げながら集団をかき分けてヌッと現れた。 


「俺はバイクタクシーだ。」  


陽気な笑顔の、インドネシア人の中でもさらに色黒のおじさんだった。


 「どこへ行きたいんだ?」  


その陽気な笑顔は、英語で話しかけてきた。経験上、アジアでの人を騙そうとする笑顔と本心からの笑顔は見分けが付くようになってきた。


この笑顔は後者であり、信頼のおける人間であるような気がした。そこでオレは、まず予約したゲストハウスに行きたいこと、そして行きたい2つの遺跡を告げ、料金を尋ねた。するとガイドブックの相場と差ほど変わらぬ金額を言う。そこでオレはもう少し安い金額を提示すると、それでもOKだ、と即答する。そこでオレは彼に頼むことにした。



すると彼は、 「よし、では行きましょう。」 と彼は、客を逃すまいとすぐに案内しようとするが、タバコに火をつけたばかりだったこともあり、吸いながらもう少し彼と話して様子を伺うことにした。 


この遺跡まではどれくらい時間がかかるか。 入場料はどれくらいか。 今日中にこっちの遺跡まで向かう時間はあるか。 彼は地図を見ながらオレの要望するプランに的確に答え、時間配分などを検討してくれた。  


彼は名を「フィシュヌ」と名乗った。 


「ヒンドゥーのヴィシュヌと似た名前なんだ。」と言って笑い、白い前歯に熱い陽射しを反射させた。  


二人乗りで重たいせいか、彼のバイクはスピードも出さずいたって安全運転。降り立ったソロ駅から10分かからずゲストハウスに到着した。 


ゲストハウス「チャクラ ホームステイ 」  

宮廷を宿泊施設にしたと聞いている。インドネシアで「ホームステイ」とは宮廷を指すらしい。


日本の屋敷のような大きな門。しかも鉄製。開けようとして押してみてもびくともしない。


フィシュヌが「こっちだ」と言って、隣りにある通用口のドアを開けてくれた。チェクインして荷物だけ置いてくると彼に伝え、そこを頭を屈めて入ると、中はタイムスリップしたかのような古風な建物があり、奥へと続いている。  


すぐ左手に、門番のような小さな小屋があった。どうやらそこだフロントのようだ。日本人顔の色黒のおじさんに対応をしてもらい、部屋の鍵を受け取る。  


鍵か。  


ドラクエのアイテムのようだった。  


案内してくれるのは、ここで住み込みで働いていると思われる青年。爽やかな笑顔で、腰も低い。彼が履いているすでにボロボロのビーチサンダルが、敷地の砂利を踏んでいくたびにキュッキュッと鳴った。  


彼に着いていくとまずは宮廷の玄関を通り、裏へ抜ける。するとそこには突如プールが現れ、その脇のコンクリートの階段を上がる。


廊下の壁や天井に備え付けられたランプは今でこそ電気であるが、ロウソクを使っていたであろう時代の風合いを見せている。


二階の廊下をしばらく歩き、再び玄関を見下ろせる一室であった。  


他の、幾つもの部屋の前を通り過ぎて気付いてはいたが、部屋のドアや窓は木製のドアで観音開き。

錆びた鉄の金具で固定するだけの物で、セキュリティという言葉には程遠い。  


部屋は10畳ほどの広さにダブルベッドがどーんと一つ。トイレはいわゆる和式タイプで水おけからすくって手動で流す。シャワーはあるがとてもお湯は期待できそうになかった。それでもここは日本円で一泊1000円ほど。昔の宮廷に泊まれるなら安い。  


とにかく、カメラなど貴重品だけを持って出る。ドラクエのような鍵で部屋を閉めようとしたら、経年劣化のせいか鍵を閉めても観音開きでドアパカっと開いてしまう。何度やってもだめなので、貴重品だけしっかり持てば大丈夫だろう、とバックパックはベッドの上に放ったままにした。案内されて部屋までは行ったが、今度はフロントからどうやってここまで来たのか分からなくなるほどこの宮廷が広いことに気付いた。  


通用口でフィシュヌと合流。さて、ここからバイクで約一時間の旅。

まずは、ヒンドゥー教の「スクー寺院」へ。

ここが実に狂った寺院であった。  

おかやんの「とりあえず何でもひとりでやってみる」ブログ。

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