クソ野郎のジャワ島横断記⑭ フィシュヌとの旅

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ソロ・バラパン駅からバイクタクシーのおじさん、フィシュヌの運転で山の中腹にあるスクー寺院とチュトー寺院の2つの遺跡へ向かう。  


異国の地でバイクの後ろにまたがり、快晴の、しかしムッとする空気を切って疾走していく。


体にぶつかるように流れていく風と共に、心に張り付く重い何かが薄れていく爽快さがあった。

加えて車窓越しとは違い、直に風を感じながら目に焼き付ける山々や田畑が続く景色は、自分もまるでそこに溶け込んでいるかのような一体感を覚えた。    


オレの地元は山ばかりなので、街と山との距離感はなんとなく目視で測れる。 その勘に頼ると、フィシュヌが「あの山まで行く。」と指さした山は気が遠くなるほど遠く、また標高もかなりあるようだった。  


彼が安全運転してくれているとはいえ小型バイクの後ろに1時間以上乗っているのは思った以上にしんどい。けれども、それを苦にさせないほどのインドネシア、ジャワ島の雄大なジャングルが目を楽しませてくれた。  


スクー寺院。


ガイドブックによると、「標高3270mのラウ山の麓、海抜約900mの地に位置するこの寺院は1430年頃、マジャパイト王朝の時代に建立された。スクー寺院は15世紀の建立でありながら、アニミズムの影響を強く受けたヒンドゥー教遺跡である。」とのこと。  


標高3200メートルか。


日本でいえばアルプス級の山であるけれど、ここはインドネシア、ジャワ島。陽射しをたっぷりと浴びた熱帯の緑の豊かな色が彩っていた。  


この寺院は実に奇異であり異彩を放つ遺跡だった。今まで見てきたアジア各国の遺跡の石像はどこも聖なる教えを感じさせる実に神々しい作りであったが、ここはそういった部類を逸している。旅人を出迎えるのはまず、入り口の門にある男性器を象った石だ。  


それが聖なる物という扱いなのだろうか。いたるところの石像が自分のそそり勃つそれを握っているのだ。あるいは女性だと思われる石像が脚を開いていたりする。  


歴史上、どの国にも暴君と呼ばれるような性欲に満ちた王や権力者がいるもので、ここも例外ではなく、そういった類の支配者がいたのかもしれない。  




































中央にそびえる遺跡はメキシコのマヤ文明の遺跡に似ていて実にミステリアス。遺跡中央に階段があり、それを上がっていくと頂上に立つことができる。そこからは、ソロバラパンの街を一望することができた。おそらくここにその支配者も立って何らかの儀式を行っていたにちがいない。  



それはそうと今では観光地であり、国内外の観光客が訪れていた。    


午後一時半。遅めの昼食を摂る。  


フィシュヌが遺跡の隣に定食屋があると言うので、行ってみることにした。こんな観光地の定食屋だ、少々お高いに違いないとは思っていたが、なんのことはない、ナシゴレンが250円ほどだった。フィシュヌの分も合わせて500円を支払う。赤ん坊を背中におぶったおばちゃんが作るようだ。食べる場所はゴザが敷いてあるのみで、テーブルなんぞない。 


しかしこのナシゴレンが辛い。


いや、辛さに弱いオレには十分に辛いのだ。


そもそもインドネシアの辛いチャーハンってことなのだから辛いのは当たり前だが、気温が暑い上にさらに辛いものときたもんだ、汗が出るわ出るわ。けれども現地人のフィシュヌは涼しい顔でなおかつ上着なんぞ着てるから不思議だ。  


昼食後はここから数キロほど離れたチュトー寺院へとさらに山道を登っていく。どれくらい標高が高いのか分からないが、高い樹木が見当たらなくなる。森林限界を超えているのか。あるいは茶畑のような緑が広がっているため、長閑な印象があった。  


とにかく斜面を登っていくため、バイク二人乗りでは大したスピードが出ず、フィシュヌが坂道で「スロー、スロー」と大笑いするもんだから、オレもつられて声を出して笑った。彼に依頼してここまで来たというのにまるで男ふたり旅でもしているような気分になり、学生の頃のような、些細なことで笑っていた楽しさを思い出した。  



ふいにフィシュヌが指を指した。日本のアルプスを思わせるようなそそり立つ高山が聳えていた。 


「あの山に登るために多くの人がここへ来るんだ。寺院の入り口にはそのためのベースキャンプもある。」  


ほお。


それは登山をする身として興味深いではないか。  


さらに上り坂が続いてバイクスピードが落ちる。もうオレは降りたほうがいいんじゃないかというような坂道を登り切ると登山のベースキャンプが見えてきた。  


思いの外、寺院の観光客だけでなく登山者たちも多く訪れ、賑わっていた。  

ガイドブックによると、

「チュト寺院は先述のスクー寺院から約7 kmほど北に位置する。1470年頃建立された。アニミズムの影響を強く受けたヒンドゥー教遺跡である。この寺院は7段のテラスになっており、各テラスにはビマ像が置かれている。最下段の境内には亀をかたどった石畳状のものを中心に、いろいろな動物のモチーフが刻まれている。階段を上って行き着く本殿はまさしくピラミッドのようである。」


見上げるとそこにはバリ島文化に似た細かい装飾の施された門があり、階段が続いている。急な階段であるのにフィシュヌが無理して登っていき、登りきったところで座り込んでこちらに苦笑いを向けた。  



特にアジアでは、高い山は信仰の対象であり、神々が宿ると言われてきた。ここジャワ島も例外ではなく、「霊山」のような役割を果たしているのだろう。  



















参道をひたすら登っていくと、寺院というよりは、誰かの墓のような建造物があった。ガイドブックによれば、時に熱心な信者がここで祈りを捧げているという。残念ながらその日は観光客ばかりであった。  




帰り際、再び入り口へと戻ってくると10人くらいの登山グループと遭遇した。 




「彼らはジャカルタから来たようだね。」   



フィシュヌがそう言った。  まだまだ発展途上のここ、インドネシアにも娯楽である登山、その愛好家というのがいるのかとオレは感心していた。そもそも登山装備というのをどこで買うのだろう。彼らはまっとうな登山靴を履いていたし、オスプレイなどの有名メーカーのザックを背負っていた。  再び1時間以上かけて、古都ソロの中心部へ帰ってきた。


フィシュヌは、気を使ってなのか、自分の街をもっと見せたいのか、はたまたチップを期待しているのか、 


「もう今日は閉館してしまったが、王宮へ見せるよ。外側からだけだがね。」  

と言って連れて行ってくれた。 











「この街には王宮が2つあるんだ。昔、けんかをして2つに分かれてしまったんだ。王宮が2つあるなんて珍しいだろう。」  


彼の目には、チップを貰おう、などというしたたかな気持ちは微塵も浮かんでいやしなかった。知ってほしいんだ、教えたいんだ、という純粋なものをオレはそこにみることができた。

ただ、王宮が2つあることの珍しさが、王宮文化のない日本人のオレにはピンとこず、ふうん、と鼻を鳴らすことしかできなかったが。    


すでに日が落ち始めた頃、一日の旅が終わろうとしていた。ゲストハウスに送り届けてくれたフィシュヌには少し多めのお金を渡した。 


「いいのか?」  


やはり彼は嬉しいのだろう、苦笑いだった。 


「いいんだ。ユーのサービス代に。その代わりに、」  

と言ってオレは彼の写真を撮らせてもらった。  




もう会えないかもしれないな。そんな気持ちがいつも、旅先での出会いを輝かせてくれた。  


もう会うことはないだろうな。  


いつもオレは旅先で出会った相手にそんな言葉を脳裏で重ねてきた。  


そんな感傷的事象に浸ることで悦に入る自分を、本当は知っているのだけどね。


おかやんの「とりあえず何でもひとりでやってみる」ブログ。

やりたい事は悩みながらなんでもやってみる。結果的に楽しんでる!また、何かに特化して書いているわけではありません。 書きたいことをごった混ぜにしてネタをブチ混んで書いていますhttps://www.instagram.com/the_unending_world/?hl=ja

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