クソ野郎のジャワ島横断記④ 旅は作品

 

 ゲストハウス「ザ パッカー ロッジ」に到着してベッドに寝転がり、最初の宿に辿り着いた安堵感を感じてくると、腹が減っていることに気付いた。
 



 夕飯を食いに、受付で説明してもらった地図をみながらすぐ近くの定食屋へ行ってみることにした。



店の中を覗いてみると、カウンターのガラスケースに大盛りでいくつも何か料理が盛られている。


 きっと好きな物を指さして注文するタイプだろう。けれどもうまそうな、あるいは食べたいような料理がない。


 そうだ、オレは「ナシゴレン」が食べたかったのだ。


 インドネシアのチャーハンとでも言おうか。昔、もう潰れてしまったが「too cute!」という居酒屋レストランがあって、世界各国の料理を食うことができた。


 チャーハンの好きなオレは、インドネシアの米料理「ナシゴレン」を好んで食べたものだった。


 バスが走っている大通りへ出て、それを探すことにした。


 初めて来た土地で、しかも夜、疲れた体を引きずるようにして歩き、思考や判断力も弱っている中で長時間ウロツキ回るのは懸命ではない。受付で教えてもらったコンビニまで行って何もなければそこで適当にお菓子とカップヌードルでも買って宿で食べてもいい。



 コンビニの前まで来るとなにやら屋台が出ていて、おやじさんが僅かなスペースの厨房で中華鍋を振っている。その屋台の周囲には粗雑なプラスチックのテーブルと椅子が並べられていて、いかにも東南アジアらしい即席食堂だ。



 何組かの客が同じような焼き飯を食べていた。見た目はナシゴレンっぽい。オレは咄嗟におやじさんに声を掛け、中華鍋の焼き飯を指さしてからさらに「1」と人差し指を立てた。


おやじさんが険しい顔つきで中華鍋を振りながら頷く。どうやら無事に注文できたようだ。



空いている席に座って待つこと数分。おやじさんが無言で料理をオレのテーブルに置いた。やはりナシゴレンだ。一口食べる。僅かな酸味とほんのりとした辛さが混ざり、まさにインドネシアチャーハン。空いた腹にしみ入るような旨さだ。




 オレはそれを夢中で口にかけこみながらも、さきほど、斜め向かいのテーブルに腰を掛けた日本人らしき男性の視線に気付いていた


 


なんとなくだが、もし日本にいたら友達にはならないような雰囲気を彼から感じ取っていたのでオレは黙ってナシゴレンを食べていた。すると、やはり彼のほうから話しかけてきた。




「アー ユー ジャパニーズ?」


英語だった。見ると、華人風の目の細い表情がにんまりと笑っている。
 イエスと返事をすると、彼はさらに英語で続けた。


「やっぱりそうだと思いました。お仕事でこちらへ?」


「いや、ただの旅行です。」



「先ほど見かけて、日本人かと思って話しかけたんです。」


 と聞いて、オレは彼を疑った。何か売りつけてくるのか? 変なツアーでも紹介してくるのか? それとも偽物ブランド品の話か? そもそも何人なのか。


彼の服装は、ハーパン、にTシャツ、それにキャップであったが、そこらを歩いているよれよれのシャツに汚れたパンツを履いているインドネシア人と比べるとどこか身なりが綺麗でしっかりしていた。



「あなた、日本人みたいですね。服装も顔も。ご出身は?」


「スマトラです。」


スマトラ? スマトラって、あのスマトラ島か。

ということはインドネシア人か。


 インドネシア人というのは出身を「島の名前」で言うのか。確かにインドネシアは何百という島で形成されている国だ。日本人とて北海道だの、四国だの九州だの言う時もある。



 彼の話を聞いていると、どうやら父親の仕事の長距離トラックを手伝っているようで父親と兄と一緒にスマトラ島からここ、首都ジャカルタへ来て滞在しているとのこと。名はニッキと言った。大学の時に日本の歴史を学び、織田信長や豊臣秀吉、徳川家康などが好きになったらしい。彼と話していると、彼の兄と父親もどこからかこの屋台へやってきた。優しそうな二人だった。兄は大学で日本語も学んだらしく、片言で話しかけてくれた。



 三人はすぐ近くに宿を取っているらしく、兄と父親は先に帰っていった。
 


ニッキは日本人のオレと話すのがよほど嬉しいのか、故郷スマトラ島でどこに住んでいるかなどをグーグルマップで指差したり、そこからどのようにしてジャワ島のジャカルタまで来たのかを話していた。あるいは、日本の歴史について知っているかぎりの武将の名前や城の名前、地名を挙げていた。



日本には来たことがなく、行ってみたいと話し、次には新幹線とは何だ、どれくらい早いのか、東京から大阪まではどれくらいかかるのか、などをオレに聞き、オレが説明すると、その速さや高額な料金に驚いていた。



ニッキとはまだ話していても良かったが、なにせ23時半。日本時間深夜一時半。まだ体は日本時間で動いている。疲労は否めず、明日は鉄道でバンドンに移動も控えていたのでオレのゲストハウスまで一緒に歩き、そこで彼とはお別れした。ラインだけ交換し、またオレがジャカルタへ戻ってきたら帰国前に会おうと約束した。どうやらインドネシアでもラインは広まっているようだ。



 到着初日から、まだ出会いの連発だ。


ゲストハウスへ入ろうとした時、後ろから若い男性が追うようにして玄関へ入ってきた。海外日本人判別能力検定、略して「日検」一級を持っているオレは彼が日本人だとすぐに分かった。


 オレが声を掛ける間もなくその男性のほうから話しかけてきた。


 まだ大学生くらいだろうか、青年はここに一週間くらい滞在していると言った。受付の女性が言っていた日本人とはこの青年のことか。毎日何をしているのかと聞けば、さすがに一週間もジャカルタにいてもやることがなくなってきたらしい。



「次にインドに行こうと思っていて、でもアライバルビザを取るのが難しくて、行っても入れないこともあるって、ネットに書いてあって。どうしようかと思っていて。」



 青年はそう苦笑いをした。オレはオンラインでインド大使館で取れるeビザという情報だけを彼に伝えて、長話はせずに終わりにした。彼が学生なのか、仕事を辞めて旅に来たのかは不明だったが、年の差があるが故なのか、気の合わなさを感じたからだ。



ただ、その年齢でオレはまだ海外なんて行こうとは思わなかった。すごいと思う。頑張れよ、とだけ心の中で伝えた。



 部屋に戻ると12時。シャワーを浴びて、明日の行動の確認をして、一時までには寝ようと思った。長く、長い一日だった。早朝に起きて、深夜に寝る。その間、判断や行動力をを問われる出来事が多く、さすがに疲れているのが分かった。



 旅の初日が終わろうとしている。オレは、目的もなく、直感で行動していける長期バックパッカーではない。次はどの都市に行こうか、などと悠長に考えている時間はない。



 余程突発的な事態でもない限り、無事に帰国、という目標を達成するために計画的に行動しなければならない。



 自分で計画したその旅は、いわば作品。


その作品の中を実際に旅し、創り上げていく。


初日は思ってもいない出来事の連続だった。今までだって、いつだってオレの物語は、考えていたよりも別の方向へ進んでいく。


おかやんの「とりあえず何でもひとりでやってみる」ブログ。

やりたい事は悩みながらなんでもやってみる。結果的に楽しんでる!また、何かに特化して書いているわけではありません。 書きたいことをごった混ぜにしてネタをブチ混んで書いていますhttps://www.instagram.com/the_unending_world/?hl=ja

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