新世界紀行 エジプトの旅11 アスワンへ


アスワン行きのフライトは、案の定、遅延した。




エジプト国内線の遅延は予め承知の上だ。とはいえ、幸いにもその遅れは僅か一時間半で済んだことを、むしろ天の配剤と考えよう。どの道、遅延に備えてこの便を選んだのだから。


こうして15時過ぎにカイロを発ち、約一時間半後、アスワン空港に到着することとなった。機内の客の多くは外国人。現地の人々は、飛行機よりも安価な夜行列車での移動を好むと聞く。ぼくも、できればその旅情ある列車を試したかったが、今回は日程に余裕がないのが残念だった。機内ではパンと飲み物が配られ、軽い腹の足しにはなった。




16時半、いよいよアスワンに降り立つ。空港に降りた瞬間から「勝負」が始まる。そう、どうやって空港から目的地まで、安全に、ボラれずに、楽しく行けるかの勝負だ。



アスワン空港には公共交通機関など存在しない。バスもなければ、鉄道もない。頼れるのはタクシーのみ。その交渉が、また煩雑であると聞いていた。


何しろタクシーの運賃交渉では、高額をふっかけられる。


日本で事前に様々な情報を調べ、総合的に判断したのは、「宿のオーナーが有料で迎えに来てくれる宿を選ぶ」、ことだった。また、その選んだ宿は、行きたい遺跡のひとつ、「アブシンベル神殿」へのツアー手配も安く行っていた。宿も移動手段もベストな選択はここしかないだろう。


宿主の名前をつけたその名も「デイビッドホステル」。


空港送迎は10USドルで現地物価にしては高いが、空港で待っていてくれすぐに乗れること、交渉など不要なこと、宿まで直で行ってくれること、翌日のツアー手配をしれくれることなどを考えれば、コスパは良いだろうと考えた。
よって、ここ、アスワン空港での「勝負」で、ぼくは日本での情報戦を制し、最初から勝ちにいった。



遅延するとわかった時点ですぐに宿のオーナーのデイビッドに連絡を入れると、すぐに返信があり、離陸する頃に連絡をくれ、とのことだった。ルーズなエジプトできちんと返信があって待っていてくれるということにはとても安心できた。


飛行機を降り、待っていたバスに乗り込み、アライバルホールへ向かう。宿のオーナーからは「待っている」との返事が来ていた。空港建物に入ると預け荷物のないぼくは、唯一の荷物であるバックパックを背負ってサッサと空港出口へと向かった。一刻も早く、待たせている宿のオーナーと合流したい。

飛行機の遅延で、宿の周辺を散策できる時間がなくなってしまうため、暗くなる前に到着したい。



バスを降りて空港ターミナルに入る。急いでいた。ぼくは手荷物一つ、軽やかに出口を目指したが、途中で背後から声をかけられた。振り向くと、日本人の男性だった。心なしか不安げな面持ちが、その声音からも伝わってきた。不安そうな話をを聞けば、どうやら、空港から市内の宿までの移動手段に悩んでいるらしい。

そうか、やはりぼくは日本から先手を打っておいて正解だったと、内心で笑みを浮かべた。



急いでいるとはいえ、この男性を放っておくのも忍びない。聞けば、エジプトの地を踏むことはここアスワンが初めてであり、いきなり地方都市から旅を始めることは彼にとって無謀にも思えた。

ぼくは海外の地では、物価感覚や街の雰囲気、治安などを掴むために大都市から旅を始める。いきなり地方スタートだとあらゆる感覚を掴みづらいのだ。




・・・・・しょうがない、助けるか。




宿の場所を聞くと、ぼくとはてんで場所が違っていた。



アスワンで使えるかもしれないタクシー配車アプリ「カリーム」を開いてみるが、これも予想が当たり、夕方の時間帯のせいか、来てくれるようなタクシーはアプリ上に1台も現れない。
よって、やはりぼったくりタクシーと交渉する他はない。


しかし。


この人を、ハイエナの集団に放ってしまうことは助けにはならないだろう。


数秒考え、あらゆることを総合的に判断した結果、ぼくが呼んだ宿のオーナーになんとか送ってもらえないか聞いてみることにした。10ドルかかることを男性に伝えると、金額に対して一瞬悩んだ様子があった。もしかするとかなりの節約旅行なのかもしれない。



空港の外には数多のタクシー運転手が群れを成し、しきりに客引きをしていた。
ぼくは、日本で旅の計画を練って、アスワン空港では送迎を頼む判断をしたその時の自分を心から褒めたい気持ちだった。



ぼくらは混雑をかき分けてオーナーのデイビッドの車を探し出した。彼に事情を話すと快く了承してくれ、無事にアスワンの景色へと出発した。
夕陽に照らされるナイル川沿いの風景を、私は夢のように眺めていた。中学生の時に教科書で見たアスワンハイダムが、その遥か向こうに実在していることに、ただただ呆然とする。



憧れの現実風景が目の前にやってくると、車の揺れも伴ってふわりとした夢からまだ覚めないようであった。

長年の旅の知恵と経験が、この場にぼくを導いたのだと思うと、改めて胸に熱いものが込み上げてきた。



宿へ向かう最中、デイビットが男性に「明日のアブシンベルツアーはどうか?」と尋ねた。
英語はあまり得意ではない様子なので、改めてぼくからツアーの金額や所要時間などの概要を伝えると、驚いたことにそもそも「アブシンベル神殿」の存在をあまり知らなかったようだ。



それでは一体何をしにアスワンへ来たのかは聞かなかったが、とにかくノープランでやって来たらしい。
考えた結果、25ドルというツアー金額や、まだ着いたばかりで予定を決め兼ねるという理由で男性は返事をしなかった。
ぼくが調べた額としては年末のこの時期に25ドルは最安値である。


アスワンハイダムを両側に見ながら橋の上を車は走っていく。


空港から15分ほどだったろうか、男性と日本語で話しているうちに「デイビッドホステル」に到着。


欧米人2人も当然この宿かと思っていたら、どうやら違うようで、デイビッドに送迎サービスだけを頼んでいたようだ。よって、ぼくだけが降りる。


日本人男性とはここでお別れのため、その後の連絡のためにラインを交換した。
デイビッドは欧米人2人、それに男性を送るために再び去って行った。



「デイビッド・ホステル」という名の宿は、アスワンの市街から程遠い住宅街の一隅に、ひっそりと建っていた。表向きは何の目印もなく、余った部屋を間借りしているような、どこか影を孕んだ建物である。地下と三階建てのうち、一階にはデイビッド一家が暮らし、二階、三階は賃貸に、そして地下が宿として使われているらしかった。



出迎えに現れたのは、40代ほどの女性と60歳を過ぎたかと思われる痩身の男であった。男の身なりは不潔で、栄養も足りないのだろうか、背は丸く折れ、何処か物悲しげな様はホームレスを思わせた。


女性は威圧的な声で男に「この方を案内しなさい」と命じた。


彼はぼくの荷物を掴もうとした時、その手の汚れ具合に気が引けぼくは引き取りかけたが、男も男で仕事を取られてはいけないとばかりにぼくのバックパックを担ぎ上げてしまった。


指示を守らないと怒られるのだろう。


この無言の案内人に従い、階段を降り、地下の薄暗い廊下を進む。男が鍵を開けた部屋の中は、ベッドの上には敷き布団が剥き出しに散乱し、前の客が立ち去って以来、掃除の手など入っていないのが一目で知れた。



男は慌てた様子で「少し待て」と言うなり、共用スペースに置かれた椅子にぼくを座らせた。
これは時間がかかりそうだと判断したぼくは「では、外でタバコを吸ってくる」と伝えると男は「いや、ここで待っていてくれ」と語気を強める。


 そこでぼくはピンときた。この人、部屋掃除の仕事をしていなかったことが先ほどの女性にバレることを恐れているな。


ぼくは椅子に腰掛け、いつの誰かが置いていった「地球の歩き方」の切れ端をめくりつつも、部屋の清掃が終わる気配はなかった。さすがに煙草を一服しようと玄関に出て、ぼくが再び戻ると、先ほどの女性が現れ、どうしたのかと問いかけた。
「部屋が片付いていないので、待っています」と答えると、彼女の顔は怒りに染まり、ぼくの理解できぬ言語で何かを呟く。「また、仕事サボって!」というようなことを言っていたのだろう。



やがて部屋の準備が整い、当てがわれた部屋は、「ブッキングドットコム」の綺麗な様子の写真とは違って汚かった。
ベッドのシーツはしばらく洗濯などしていないのだろう、いや、そもそも生地の質がよくないのかもしれないが、綺麗とは言えない。土足だから仕方ないが床も土埃がある。シャワーは部屋の隅にあったが扉はない。トイレは共有らしい。ベッドはとても固い。


だが、ぼくは一夜の仮宿と割り切って、この無骨なベッドに寝る覚悟を決めることにした。



しかし、ここに二泊もしようものなら気分が悪いだろうが、一泊、しかも明日の早朝4時にはチェックアウトしてツアーに行ってしまうため、寝られればなんの不満もなかった。

この宿周辺を散策できるのは、到着したばかりだが、今この時間しかない。
夕飯を求めて、この異国の街を歩く決意を新たにしながら、ぼくは重い扉を押し開けて外に出た。



おかやんの「とりあえず何でもひとりでやってみる」ブログ。

やりたい事は悩みながらなんでもやってみる。結果的に楽しんでる!また、何かに特化して書いているわけではありません。 書きたいことをごった混ぜにしてネタをブチ混んで書いていますhttps://www.instagram.com/the_unending_world/?hl=ja

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