新世界紀行 エジプトの旅⑩ ハンハリーリ市場とイスラム地区

朝、目覚めてカーテンを引き開けると、青空の下、あのピラミッドが静かに佇んでいた。


無数のホテル群が林立し、その背後にある巨大建造物は、まるで目の錯覚でも起こしているかのように現実離れした光景を呈している。映画や小説の描写でさえ、この奇妙な現実を表現しきれるのだろうか。まるで童話の中に迷い込んだかのような感覚に、ぼくは思わず立ちすくんだ。


朝食を摂るため、屋上へと向かう。そこからの眺めはまた格別で、見渡す限りの非現実的な風景が、ぼくを包み込むようだった。やがて現れた給仕が、熱々のオムレツやスープ、サラダにパンを運んできた。昨夜の、予想違いのコシャリの記憶が頭をよぎるが、今朝の料理はどれも見事で、すっかり舌鼓を打った。





しばらくすると、50代ほどの日本人夫婦がやってきた。


特に旦那さんは快活で、エジプト旅行について奥さんへ絶え間なく語り続けていた。お喋りぶりからして、彼らとはあまり気が合わないような気がして話しかけずにいると、しばらくして彼らの方から話しかけられた。


武田夫妻は、カイロにすでに三日間滞在しており、旦那は30年ぶりのエジプトだという。彼らは旅行中に多くの失敗をしてしまったようで、特にタクシーでぼったくられた話や、紙幣の額の0間違えて10倍支払っってしまった顛末を笑いながら語った。



ぼくがその後、午後からアスワンに向かうことを告げると、なんと武田夫妻も同じ目的地で、しかも翌日は同じアブシンベル神殿のツアーに参加予定だという。しかし彼らはツアーの予約すらしておらず、「なんとかなるだろう」という楽観的な態度を崩さない。自分が持っていないその無頓着さにぼくは驚きつつも、どこか羨ましくも感じた。



旅はまだ二日目、始まったばかりで、こうして人と親しく話したのは初めてだった。武田氏の陽気さに心が和み、これからの旅が少しばかり楽しみになってきたのも彼のおかげであろう。



彼の話から感じたのは、豊富な経験と共に、多くの失敗も積み重ねてきたということだった。そして、その失敗すらも糧にする生き方に、ぼくは妙な尊敬を抱いた。


朝食を終え、荷物をまとめ、ホテルを後にする。幾度となくこうして海外の宿を去ってきたが、このエジプトの朝だけは、別れの寂しさはなかった。それはこれから始まる冒険への期待が心を大いに満たしていたからだ。
 
朝食をたっぷりと取り、疲労も睡眠不足もどこかへ消えていた。何よりも、澄み渡る青空が軽やかな足取りを一層支えていた。



今日はピラミッドの影を背に、カイロの中心部にある観光客向けの大通り「ハン・ハリーリ市場」へ足を向ける予定だ。その周辺には、歴史的なイスラム建築が立ち並ぶ旧市街、いわゆるイスラーム地区が広がっているという。







昨日慣れ親しんだミニバスに乗り込み、まずは地下鉄ギザ駅を目指す。


そしてそこから、イスラム地区の最寄り駅へ向かう計画だ。


晴れた空の下、街並みは鮮やかに姿を現し、どこか終末を予感させるような景色が続いている。ふと「これは、まさかVRの世界ではないだろうか」と独りごち、苦笑しながらも、その不思議な感覚に包まれ続ける。



今日は13時40分の便でカイロを離れるため、12時前には空港に戻らねばならない。散策に割ける時間は3時間ほどだが、ぎりぎりまでこの混沌とした街を楽しむことにした。

ミニバス停留所に着くと、何の標識もなく、道端に立つひとりの老人が目に入った。
「ギザ駅行きのミニバスは来ますか?」


と問えば、彼は「間もなくやってくる」と言う。


数分も経たぬうちに、彼の言葉どおりミニバスがやってきた。老人に続き、ぼくもその車内へ足を踏み入れる。運転手は一旦外に出て、「ギザ駅行きだ、誰か乗るか?」と叫んだ。


するとどこからか一人の女性が現れ、同じく乗り込んでくる。


ミニバスは急発進したが、またすぐに停車する。乗客が入れ替わり、次々と乗ったり降りたりする中、扉は半ば開けっ放しのまま走り出す。やがてブレーキの反動で自然に扉が閉まるのを見て、思わず日本の秩序とは違うこの国の独特な無秩序感に驚きながらも、ぼくは乗車を楽しんでいた。


駅が近づくころ、数人が降り始めた。ギザ駅かどうかは地図ではまだ少し先のように思えたが、隣の女性に尋ねると彼女はうなずいた。慌ててぼくもバスを飛び降りる。
幾分冷静なってから周囲を見回すと駅前のミニバス待機所を見つけてホッとする。旅の面白さとは、昨日と同じ場所でも、新たな感覚を与えてくれることなのだ。

無事にギザ駅から地下鉄に乗り込み、ハンハリーリ市場の最寄り駅「アタバ駅」に到着する。

駅を出た途端、目に飛び込んできたのは、無数の人々の群れ。彼らはまるでみすぼらしい衣装に身を包んでいるように見えた。しかし、それはこの国独特の服飾文化が、我々異邦人にはそう映るだけなのかもしれない。


いずれにしても、埃とゴミが舞い散る街路に、今にも壊れそうな車やトラック、リヤカーが溢れ、人々はまるで交通規則など存在しないかのごとく、縦横無尽に歩いている。混沌としているが、その雑踏にはある種の生命力が感じられる。


まるで朝市でも開かれているかのような活気に満ちたこの通りには、リヤカーにベニヤ板を乗せただけの簡素な露店が並んでいる。並べられた品々は質の悪そうなものばかりで、一体誰がこれを買うのかと不思議に思うほどだ。


サンダルや靴、服、下着、帽子、さらにはモバイル機器までが所狭しと並べられている。


ビルの1階に目を向ければ、そこにも様々な店が軒を連ねている。歩行者通路には、少しでも座れるスペースがあれば、すぐに誰かが腰を下ろしているし、道路側を歩けば、埃を巻き上げながら車が間近をすり抜けていく。



この雑多でカオスな街こそ、ぼくが最も愛する場所だ。混沌の中に潜む活力に、ぼくは全身を震わせながら歩き続ける。頭上から降り注ぐ埃すらも、何か不思議な喜びを感じさせるほどに。この瞬間、ぼくはただひたすらに歩き、混沌と一体となる悦びに浸っていた。

地図通り、細い路地へと足を向ける。どうやらここが、あの有名なハンハリーリ市場の一角らしい。しかし、周囲は驚くほど静かだ。



市場は午後から夕方にかけて賑わうと聞いていたが、今はまだほとんどの店がシャッターを閉ざしている。わずかに開いた店先には、店主らしき男がせっせと掃除をしている。路上に撒かれた水が泡立ち、洗剤の匂いが漂ってきた。


土産物は重荷になると考え、今日のところは何も買うつもりはない。


ただ、日本の仲見世通りを彷彿とさせるような光景に、無言の散策を楽しむことにした。しばらく歩き、さらに狭い路地へと足を踏み入れると、迷路のような小径に出くわす。幅はせいぜい1メートル半ほどしかなく、クランク状の道が折り重なるようにして続いている。合流する道もあれば、行き止まりもあり、まさに迷路そのものだ。まだ開いていない店が両側にびっしりと並び、その光景はどこか寂れた迷宮のようにも見えた。



地図がなければ、容易に迷ってしまうだろう。スマホの画面を頼りに、ぼくはイスラム地区へ向かって歩みを進めた。






エジプトといえば、カイロといえば、誰もがピラミッドを思い浮かべるだろう。しかし、ぼくが足を運んだこのイスラム地区の街並みもまた、古の風情を感じさせる素晴らしい景色が広がっていた。かつて訪れたウズベキスタンのブハラを彷彿とさせるような古いモスクやミナレットが立ち並び、その中には朽ちかけたものもあった。



地区はあまりにも広大であり、午後の便に間に合わせるため、急ぎ足でその全貌を巡ることにした。しかし、どのモスクも外観は壮麗で、せっかく来たのだから中に入ってみることにした。幾つかのモスクに共通する入場券があると知り、広場にあるチケット窓口へ向かった。

時刻は既に十時半を過ぎ、観光客も次第に集まり始めている。
チケット売り場に並ぶ人影は少なく、列に並んだぼくはすぐに何か異変を感じ取った。


先頭に立つ客と窓口の店員が何やら言い争っている。前に並んでいた欧米人の老夫婦に尋ねてみると、どうやらチケット発行の機械にトラブルが発生しているらしい。無論、チケットがなければモスクには入れない。目の前のモスクには地元の人々が自由に出入りしているのに、観光客の姿はまったく見当たらなかった。


数分ほど列に並んでいたが、ぼくは早々に諦めた。エジプトで、機械の故障がすぐに直る訳がないのだ。


売り場の前にあるベンチに腰を下ろし、一息ついた。隣には警備員らしき男が座っていて、ぼくに気づくと肩をすくめてみせた。


「機械のトラブルで、チケットが買えないみたいですね」とぼくは話しかけた。

「ああ、そうだ。もうずっとさ」と男は苦笑しながら答える。「だから俺は暇を持て余してるんだ」


その言葉を聞いて、ぼくはすっかりチケットを買う気を失った。そして、再び街を散策することに決めた。


新しい建物など、一つとしてない。ただ、古びたレンガと石造りの建物が、内側だけは奇妙に清潔に保たれ、何百年もこの街が続いてきたことを物語っていた。


カイロの喧騒と混沌の中で、ぼくの旅は続いていく。市場の賑わい、崩れかけた街並み、そして時折感じる世界の終末を思わせるような風景の中で、ぼくは自らの存在を確かめるように歩き続けた。



予定した通り、ぼくは11時20分にはUberタクシーを呼び、再び空港へと向かう。
昨日の到着時の小雨とは打って変わり、よく晴れた今日、高架道路から見下ろす雑多な街並みは、太陽の光を受けて輝いていた。



おかやんの「とりあえず何でもひとりでやってみる」ブログ。

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