パリ組曲㉓ モン・サン・ミッシェル観光


モン・サン・ミッシェルを望む橋の階段に腰を掛けて、村のパン屋で買ってきたパンを頬張る。
 


大きなフランスパンに、ハムとレタス、それにマスタードが挟まれている。

 おそらく本来は食べやすい大きさに包丁で切って食べるのだろう。一口かぶりつくだけでも大きな口を開けてパンを突っ込まなければならないほど。


 「谷川さん、そのパン、すごいですネ。」
 


谷川が手に持っているそのパンに、ミヒャンが突然かじりつく。ところがフランスパンが固くて噛み切れず、犯人を捕まえた警察犬のように離さない。


谷川も面白がって、フランスパンを右に左に引っ張るとようやくミヒャンが噛み切ることができた。フランスパンには、しっかりと歯型状に跡が残っている。 


「わー、とてもおいしいですネ。」 


「よくそんなに口に入るね。」 


「ワタシの口は、大きいデスカラ。」
 


そう言ってミヒャンは三日月のように綺麗な弧を口元に描く。
 


他にも数人、観光客が腰を下ろして休んでいた。海に浮かぶモン・サン・ミッシェルは怪しげな要塞のようでもある。実際、そのような目的として使われていた時期もあった。 


西暦708年から建設が始まり、完成後は修道院としての巡礼地、14〜16世紀の英仏百年戦争では要塞、牢獄の役割を経て、再び修道院の機能を回復し、1979年に世界遺産に登録された。

 


橋の上での、ピクニックに来たかのような長閑な昼食後、二人は歩いてモン・サン・ミッシェルへ向かうことにする。10分置き程度にシャトルバスが発着しているが、時間はたっぷりあるし、だんだんと近づくその迫力を感じたかった。
 


2015年に完成したばかりの連絡橋。それ以前は海を埋め立てた道があり、潮の満ち引きがうまく機能せず環境面で問題視されていた。
 雨が上がり晴れ間も見えたが、海風が強く、連絡橋を歩いて渡る観光客は少ない。それでもシャトルバスで向かうよりは趣を感じることができるだろう。 



 周囲は海に囲まれ、他に何も建造物がないため距離感がつかめない。本当に近づいているのかどうか、分からなくなる錯覚に陥る。

 




いよいよ城壁の入り口「アヴァンセ門」をくぐり、内部へと足を踏み入れる。すぐ右手には売店。そこからまっすぐ伸びる「グランド・リュ」と呼ばれるメインストリートを歩く。


正月のこの時期は閑散期で、人通りも少ない。季節によっては観光客でごった返すらしい。
 左右に並ぶ、日本さながらのお土産屋を覗きながら、修道院を目指す。


ジャンヌ・ダルク像が立つサンピール教会はその日は中には入れない様子。




  「北の塔」。ここから城壁をぐるっと歩けるようだ。
 




「哨兵(しょうへい)の門」と呼ばれる修道院入り口へ向かう。チケットカウンターを経て大階段を上り、「西のテラス」へとたどり着く。




海抜80メートル。渡ってきた橋が一望できる素晴らしい眺めだ。
 



テラスには修道院付属の教会がある。11世紀に建てられた後、何度か崩壊し、修復が繰り返されてきた。
 


教会の長椅子で一休みをしていると後からやっていたフランス人ツアー客らに囲まれ、いつの間にかアジア人である二人もそのツアー客であるかのようにフランス語でガイドを聞くのだった。

 





先に進むと「列柱廊」と呼ばれる修道僧の瞑想の場がある。最近、改修が終わったとのこと。 




 「食堂」。かつての修道僧たちの食事の場。 



 「修道僧の納骨堂」。モン・サン・ミッシェルが牢獄として使用されていた19世紀に貨物昇降機が設置され、囚人が人力で車輪を回し、荷物を搬入していたという。 



「ピエタ像と死体安置所」。1830年まで死体安置所として使用された部屋で、死を嘆くピエタ像が置かれている。 





「騎士の間」。修道僧たちが写本や彩色を行ったという仕事部屋。大きな暖炉がある。

 迷路のような内部を巡り、出口へと向かう。修道院の外へ出ると、空はすっかり晴れ、清々しい青さが広がっていた。

 




グランド・リュへ戻り、カフェで一休み。2階建てではあるが、閑散期のためか店内はガラガラ。展望の良い二階のテラスへ案内してくれ、谷川はコーヒーを、ミヒャンはビールを注文した。

 



のんびりしたあとは、グランド・リュのお土産屋通りを見て周る。谷川は英語でなんとか店員のおばさんとやりとりを頑張るが、ミヒャンは韓国版フランス語会話本で楽しそうに会話をしていた。  


「アヴァンセ門」を再びくぐり、修道院を背に来た道を戻る。すでに日が暮れようとしていた。連絡橋を渡っているうちに夕暮れになり、振り返ると修道院には明かりが灯り始めて夜の幻想的な雰囲気を連想させた。
 
 







対岸に到着する直前、突然激しい雨が降り始める。2人は慌ててレストランに駆け込んだ。


すると店内には同じツアー客の日本人が数グループ座っている。どうやら朝、バス内で注文したディナーを提供するレストランらしい。
 



二人は飲み物だけ注文して雨をやり過ごそうかと話していたが、たまたま隣りのテーブルに座っていた老夫婦が、ディナーコースを注文しておいたが、疲れてお腹に入らないとのことで、若い二人が食べてくれないか、と声をかけられる。 


「え、でも、お腹大丈夫ですか? 何か食べたほうが・・・」
 


ミヒャンの問いかけに老夫婦は、日本から持ってきただろうお茶菓子をカバンから見せ、 

「これを食べるから大丈夫。予約しておいたのに残すのはもったいないから食べておくれ」
 


谷川とミヒャンは顔を見合わせ、 

「じゃあ、、、いただこうか。」
 

お金はいいから、という老夫婦のご好意をありがたくいただくことにした。
 


しばらくして、コース料理の前菜が谷川とミヒャンに運ばれてくることになった。
 


この老夫婦は九州の福岡から来たようで、パリやモン・サン・ミッシェルに来ることが念願だったらしい。 


「どうしても来たくてね、もう体力的に無理かと諦めていたんだけど、やっぱり諦めきれなくてね。日本からのツアーに申し込んだのよ。」
 


その夫婦の雰囲気からして奥さんのほうが切望していた様子がうかがえる。
「ところで、お二人は新婚旅行かしら、ね?」 


 唐突な質問に谷川はうろたえたが、ミヒャンが「シンコン」の意味が分からなかったようで、谷川が苦笑いで説明をしなければならなかった。 


「そういうことデスカ。シンコン旅行ではありません。実はですね」
 


と彼女が空港での経緯を説明すると、

「あら、いいわね。じゃあ、新婚旅行は別の国ね。ドイツなんかもとても素敵な国よ。行ったことはある? ドイツへは2年前に行ったの」
 


よほど話したいのだろう、奥さんがまくしたてるようにしゃべるので、ミヒャンは全部を聞き取ることができない。それでも分からないところを聞き直したり、知らない単語を質問したりしてコミュニケーションをしようとした。
 


谷川は、自分以外の日本人と話しているミヒャンを見ていると、まるで何も知らない他人のように見えてきて、自分はこの人の裸を知っているのだと妙なことを考えてしまうと静かな興奮を感じ、抱き合った記憶を脳裏に投影してしまうのだった。 


「タニガワさん」
 


ミヒャンと老夫婦が彼を見ていた。 


「ドイツへは行ったことがアリマスカ?」
 


彼は一瞬なんのことを尋ねられたのか分からないほど記憶の映像に捕らわれていたが、「いや、ないよ。」
 と、答えると、
「行ってみたい国はアリマスカ?」とミヒャンの質問が続き、
「タヒチかな。」とよく考えもせずに答えると、老夫婦がその話にまた食いついていつまでも会話が途絶えることはなかった。

 


6時半ともなると、もう外は暗く、レストランからも薄っすらとモン・サン・ミッシェルの夜景を見ることができた。
 


集合時刻まで、しばしレストランの外から夜景を眺め、谷川、ミヒャンは老夫婦と一緒にツアーバスへ戻り、パリへの帰路に着くことにした。 


おかやんの「とりあえず何でもひとりでやってみる」ブログ。

やりたい事は悩みながらなんでもやってみる。結果的に楽しんでる!また、何かに特化して書いているわけではありません。 書きたいことをごった混ぜにしてネタをブチ混んで書いていますhttps://www.instagram.com/the_unending_world/?hl=ja

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