ウズベキスタンの旅㊳ 地下道の母子


マフトーナが去っていく、その姿が視界から消える前に、私も静かに背を向け、歩みを始める。


僅かながらも胸の奥に広がる寂しさを、帰国の気持ちに戻す必要があった。
さて、これからどうしようか。


小雨が交じり合い、地元の群馬よりも一層寒いこの冬の日。
疲労と悪天候がテンションを下げ、どこへ行こうとも気力がわかず、半ば途方に暮れていた。


歴史博物館の前には「ナヴォイ劇場」と呼ばれる大きな建物がそびえている。雨宿りにでも行こうと決めた。


「地球の歩き方」を手に取ると、この劇場はなんと日本人が築いたものだという。簡単に説明すると、第二次世界大戦後、ソ連の捕虜となった日本兵約500人が劇場建設を強制され、高度な木造技術で完成させたという。



1966年、ウズベキスタンを襲った大地震で他の建物が崩れ去った中、このナヴォイ劇場だけが倒れず、避難所として機能したという感動的なエピソードも加わる。


その後、大統領が感激し、「これは捕虜が建てたものではない。日本人が築いてくれたのだ」という記念碑を建てたそうだ。捕虜の多くが帰国できたとのこと。


劇場ではミュージカルなどが催されており、チケット売り場も存在する。観てみようかと思ったが、次回は来週のようだ。残念ながら今日は閉まっていたが、中には何か行事が開催されている様子。



ポケトークを使って問い合わせたところ、「今日は貸し切りでパーティをしていて、見学はできません」との返答。



期待は裏切られたが、温かい対応に感謝の意を示す。
では、次はどうしようか。



うーん、そうだな。


もう、空港に向かおう。
時間はまだたっぷりあるが、無理して行動して体調を崩してしまうわけにはいかない。そう考えると、帰ることが良い選択。





よし、帰ろう。




そう口にすると、体が少し軽くなる。

いよいよ帰国だ。


冒険の終わりが目前に迫る。


最寄りのバス停は、ナヴォイ劇場近くの大きな交差点を斜めに渡った先。横断歩道がなく、地下連絡通路を歩いて向かうようだ。


暗くはないが、広い地下通路は人気がなく、若干不安を感じる。


分岐点を通り過ぎるとき、凍てつく地べたに座る親子に気が付いた。



粗末な身なりで、普通ではない。母親らしき女性は汚れた衣服で老けて見え、10歳くらいの少年は母と寄り添って寒さをしのいでいる。
今日は雨が降り、寒さがさらに身にしみる。



素通りするのは気が引け、足を止めてしまう。親子も私に気付き、物乞いの様子はないが、怯えたように足を止め、母は息子を抱き寄せた。



他国で見てきた物乞いとは異なる雰囲気。理由は分からないが、怯えた様子を見せている以上、すぐに立ち去ってあげるべきだと判断し、こっそり写真を撮るのをやめた。



再び歩き始め、母子が見えなくなる寸前で振り返る。
母が息子を抱き寄せ、息子も母に寄り添っている光景。やはり心に深く残る。
彼らにとって、生まれ持ってある宿命なのだと、そう感じる他ないのだろうか。
日本に住むと、戦争のニュースを耳にしても、子供たちが犠牲になってその状況が報じられても、何も変わらずに過ごしてしまうし、時間は過ぎていく。平和な日本での生活が当たり前すぎて、感情が鈍っているのかもしれない。


そうした悲しい現実を、冷淡な現実があることを、人生が成熟するにつれて理解し、受け入れざるを得ないと感じてきた。



そして、この平和な日本では、その事実を理解しなければ平穏に生きていくことが難しいことを実感し、その教訓を得てきた。



感情が発生するのは、自分と家族に関わることだけ。他人が事故に遭ったり、誰かの親族が亡くなったりしても、それに対して何も感じない。これが、つまらない大人になるということであり、自分の世界がどんどん狭まっていく現実でもあった。



この思い、考え、感情、そして経験を必ず伝えなければ。悲しい現実が少しでも改善されるように。


そして、後世に私が生きた証を残せるように。



そう、誓い、願いながら、私は地下の連絡通路を地上に向けて階段を登った。






おかやんの「とりあえず何でもひとりでやってみる」ブログ。

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