ウズベキスタンの旅㊲ 最後の出会い

日本人墓地を後にした私は中心地街へ戻るために、バス停へとやってきた。


天気は悪く、曇り空で周囲も決して明るくはない。
しかし、まだ12時を回ったばかり。



ちょうどバス停にキオスクが併設されていて、待合場も室内だったため、そこで何か買って食べることにした。
例によって腹はあまり減っていない。





旅をしている時の私はどうやら燃費がいいらしい。
しかし何か食べないと体も温まらないし、疲れてしまう。


キオスクに入ると、どうやら売っている物は日本のそれとそっくりで、飲み物、お菓子、菓子パン程度。
とりあえず、お菓子とコーラを購入。


外の道路の、絶え間なく行き交う車を見ながらベンチでのんびり食べる。
そう今日は最終日。疲れは深いが体調は悪くなく、のんびり過ごせばいいのだ。
次は、国立歴史博物館へ行く。


何番のバスが最も近くまで行くか調べ、これまたのんびり待っているとその番号のバスがやってきたので乗り込む。


もう、バスの乗りこなしは完璧だ。


バスに乗って、車窓から景色を眺めていると、ここが旧ソ連なのだとなんとなく感じる。
テレビや雑誌で見てきた建物の造りがまさにそれなのだ。
地下鉄の駅もとても芸術的。
「奇界遺産」で有名な写真家、佐藤健寿さんも訪れ、写真に収めているほどだ。




歴史博物館は近代的な街の中心部にあった。

街並みは首都なのだから当たり前かもしれないが、同じ国内に砂漠や荒野があるとは考えられないほど都市化している。


バスを降りると小雨が降り出してきた。


すぐ50mほど先に博物館があるので傘はザックから出さずにそのまま歩くことにしたが、入り口だと思っていた場所がどうやら博物館の裏手だったらしく、ぐるっと一周歩いて表へ向かったため濡れてしまった。


周辺は公園、または「ナヴォイ劇場」と呼ばれる大型施設などもあり、特に緑の季節であればとても綺麗なのだろう。


入り口は2階らしく、外階段を上がっていく。


受付にてパンフレットをもらう。
全てウズベク語のため分からないが館内マップと写真が載っていたのでなんとなく分かる。
館内にはほとんど人がいない。
新年で寒く、しかも天気も悪いためだろうか。
1階はトイレや売店らしい。




以下説明。
『中央アジア最古で、最大の博物館である。1876年7月12日に開館されたこの博物館には、石器時代から現在までの歴史が見られる25万点以上の展覧品がある。


博物館は4階建てで、1階は様々な近代的な展示会が行われ、2階は石器時代からティムリード時代までの歴史、三階はハン国時代(ヒヴァ・ハン国、コーカンド・ハン国、ブハラ・ハン国)、そして四階は19世紀から21世紀の歴史についての資料・展示品が集まっている。


この博物館には考古学、歴史学、民俗学的な中央アジア文明の事物や歴史の流れや、かつて中央アジアで使用されていた貨幣も展示されている。また、ユニークな展示物として、テルメズのファヤズ・テパ遺跡から見つかった紀元後2~3世紀のものと考えられる三尊仏が移管され、展示されている。』





他国の博物館は大変興味深く、見どころがたくさんあり、また時間もたっぷりあるためゆっくり見て回る。英語表記はないが、とにかくおもしろい。


そして、それは3階を見ている時だった。



ベンチに10代後半くらいの女の子が座っていて、私のほうを見ている。
私が外国人だからだろうか。それとも、でかいザックを背負っているからだろうか。


しばらく視線を気にしないようにして展示物を眺めていると声をかけられた。


「英語を話しますか?」


最初はまさか私に向けられた言葉ではないと思った。しかし他に人もいないため、これはきっと私なのだろうと振り返って見るとやはり女の子の視線は私にある。




「ええ。少しだけど。君も英語話すんだね。」と答えると彼女は続けた。


「うん。あなたは旅行者なの?」


「うん、日本から来たよ。」


「いつ来たの?」


 一週間前に来たこと、そして今夜の便で韓国経由で帰国することを伝えると少し残念そうに見えたのは私が勝手な男だからだろうか。


首都タシケントにいる女の子にしてはどこか垢抜けない服装だなという印象。たまたまかもしれないが、駅前を歩いていてみかけるような女性は明らかに他の地方都市にはいないオシャレな服を身にまとっていた。


 他に客もいない中、この子もベンチに座ってスマホを片手に、博物館を見に来た、という様子は感じられない。


「君はひとりで来たの?」


「うん、お兄ちゃんが仕事でタシケントに来てて、一緒に来たの。わたしは暇だったからここに来たの。外は寒いから。」



さらに聞けば、ジザフという都市から兄の車で来たという。調べてみると、サマルカンドと首都タシケントのちょうど中間にある都市で、私も列車で通ってきた都市だった。学校が休みのため、兄の仕事に付いてきたらしい。


「あなたは歴史に興味があるの?」



彼女に聞かれ、答える。この一週間ウズベキスタンの歴史を垣間見てきた。博物館は好きで、ウズベキスタンでも来られて嬉しい、と。
 すると、彼女が言う。



「じゃあ、3階と4階を案内してあげる。私はもう見てきたから。」
彼女に声をかけられたことがとにかく突然のことで、半ば不可思議な気持ちのまま、付いていく。



すると、ウズベキスタンの英雄ティムールだとか、中央アジアがどう出来てきたなど、展示物を見ながら簡単に説明してくれるではないか。私は俄然興味を持ち、彼女と見て回った。



誰もいない博物館を貸し切りのような形で、現地の子と歩くのはなんだか物語の世界に急に入り込んだかのようだった。
30分ほどかけて全て見終わると、彼女が言う。


「これからどうするの?」
「まだ空港へ行くには時間があるし、美術館にも行ってみようかなと思っているけど。君は?」


「兄が仕事が終わったら迎えに来てくれることになってるの。まだ時間かかるみたい。」
2階の受付まで戻ってきて玄関の外を見ると雨の降りがいっそう強くなっていた。


「どうしよう。傘はあるけど、ザックもあるし、この降りじゃあ移動も大変だな。」


 重いザックを背負っての移動。連日の疲れもあり、そこに今日の雨、寒さが加わって私はもうたとえタクシーが迎えにきたとしても移動するのがおっくうになってきていた。テンションが下がった、というやつだ。


私がうなだれて鼻を鳴らすと彼女が言う。


「じゃあ、コーヒーでも飲みにいかない?」


 また思いもよらない誘いだった。




 「どこかカフェでも知ってるの?」


聞くと、知らない、という。それもそうか、彼女にとってもここは知らない土地なのだ。
グーグル検索してみると、博物館のすぐそばにカフェがあった。ピザとパン屋らしいがケーキ、コーヒー等もあるカフェのようだ。


玄関を出てみるとその店が見えているので私たちはそこへ向かうことにした。


彼女の名はマフトーナ。
てっきり大学生だと思っていたが、年齢を聞いて驚いた。
15歳だという。


日本だったら大変まずいと焦る。


年齢を聞いて、カフェ代は当然私が払わねばと、妙な責任を感じていた。


それにしても英語は学校で習ったというし、私に歴史の説明をしてくれるし、もしかしたらこの子は優秀な子なのかもしれない。そもそも見知らぬ外国人の私によく話しかけたもんだ。


カフェは日本と変わらぬ綺麗さ、メニューの豊富さで、値段も安く、最終日まで残しておいたお金でも十分だった。


他の客席は、この一週間の旅で初めて目にするような人々が座っていた。
とても綺麗な服を身に着けていて、子供らもおしゃれ。日本もそうだが、首都と地方では格差があるのだろう。


マフトーナが住む街、ジラフについて話をした。


また、彼女が日本はどういうところか、と聞いてきたのでネット検索した東京の画像を見せてあげた。京都の観光PRの動画にはずいぶん興味深そうに見入っていた。
どうしてウズベキスタンへ来たのか、という私の動機も気になっていたようだ。



30分ほどだったろうか、コーヒーとケーキを食べ終わったところで彼女のところへ電話が入った。
兄が迎えに来れるようだ。


カフェを後にし、再び博物館まで歩く。
雨は上がっていた。





わずか2時間ほどだったが、なんとも不思議な出会いであり、私がウズベキスタンを心残りなく去るには十分すぎるほどの最後の出来事となった。


彼女が帰っていく背中が見えなくなる前に、私も動き出した。


例え短い間の出会いだったとしても、永遠のお別れは寂しいものなのだ。



おかやんの「とりあえず何でもひとりでやってみる」ブログ。

やりたい事は悩みながらなんでもやってみる。結果的に楽しんでる!また、何かに特化して書いているわけではありません。 書きたいことをごった混ぜにしてネタをブチ混んで書いていますhttps://www.instagram.com/the_unending_world/?hl=ja

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