「カラーン・ミナレット」をあとにしてアルク城のほうへ向かう。
20mの高さはあるだろう城壁が何百mにも渡って続いているのが見えた。
中央アジアでは「ハン」が「王」を意味するらしく、モンゴルで有名な王「チンギス・ハン」にもハン付いているし、ここブハラにおいても、「ブハラ王」がこのアルク城に住んでいたとのことで歴代ブハラ・ハンの居城ということになっている。
今では城の周辺は公共の広場となっているようで、おそらく新年のイベントなのだろう、多くの人々が集まり、また音楽を大音量で流しながら誰かが曲芸のようなパフォーマンスををしていた。
あたりはすでに夕闇が降りてきているし、すでにアルク城は閉館時間が迫っているため観光は明日にまわすとして、一応観光地域はこのあたりまでらしいので、周辺をのんびり散策しつつ今日の所はここで一旦もどることにした。
すっかり暗くなった頃、再び「カラーン・ミナレット」まで戻ってきた。
塔の一番上、監視台のようなところに明かりがつき、幻想的な雰囲気となっていた。
ブハラのメドレセは冬季で観光客もいないためか、特にライトアップはしないようで広場は薄暗いままだった。
そういう雰囲気を横目に見ながら歩いていると、メドレセ前の広場のベンチに誰か座っていることに気付く。
日本人だ。同じ文化、民族の日本人はどこの国へ行ってもすぐに見分けがつくことに加え、この人は昨日サマルカンドでも見かけたことを覚えていた。
大晦日の夕飯を皆で食べようとレギスタン広場に集まった時、遠藤さんと大森さんが一緒に夕飯はどうですかと声をかけたのだが、「まだ広場へ来たばかりなので」と遠慮した男性だ。
「こんばんは」
と私のほうから声をかけた。
「昨日、サマルカンドのレギスタン広場で・・・」と説明すると、思い出してくれたようだった。
広いウズベキスタンとはいえ、外国人観光客が巡る都市ルートはおおよそ決まっていて、さらに移動手段が電車しかないとなると、何百キロ離れていようとこうして偶然再会することも珍しくはない。
私はただお互いの旅の雑談でもできれば、と思って話しかけたが話しているうちに「夕飯でもどうですか?」と自分でも思ってもいなかった誘いの言葉を彼にかけていて、彼も「ぜひ」ということになった。
スザニのお店の、日本語を流暢に話す女性から安くておいしいレストランを紹介してもらっていたが、一人ではなんとなく入りづらかったため、そこを提案すると「行きましょう」と返事がもらえた。
そのレストランはアルク城の、大通りをはさんで斜め向かい側にあり、立地としてはとても良い場所だった。
オープンテラスの席がたくさんあるが、これから極寒の夜に使う客はいない。
中に入ると、店の良い雰囲気とは合わない粗末な服装の年配の従業員がやってきた。あまりに値段が高いと困るので事前にメニューを見せてくれと伝えると、今は(オフシーズンのためか)チキンの料理とナンしか出していないという。値段も決して高くはない。
それをいただくことにして二人で席についた。
彼はサカイさん。仕事の休みのたびに世界中を旅していて、特に中国が好きで友人もでき、よく訪れることなどを話してくれた。私が行ったことがない国もたくさんあり、それらを興味深く聞くことができとても有意義な時間を過ごすことができた。
加えて、そのレストランのチキン料理が最高に美味い。そのレストラン、キッチンが客の建物の隣にあり、屋根はあるが出入りする側だけ壁がなく、私が座る席から窓越しに料理を作っている様子がよく見えていた。
しかも本格中国料理かのように炎が高々と鍋からあげながら料理人が腕を振るっていたのだ。
体は冷え切っていたし、熱々のその料理を夢中で食べた。
チキンに玉ねぎピーマントマトなどが入っている。
さかいさんは明日の早い時間に首都タシケントに戻るようで、ここブハラは急ぎ足で観光したとのことだった。
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