アミール・ティムール廟を後にした私は、ウズベキスタンへ来た最大の目的であるレギスタン広場へ向かった。
徒歩でのんびり歩いても10分ほど。
グーグルマップをよく見て歩いていたが、途中、別の道に入って行ってしまい、一大観光地にしてはずいぶん庶民的な通りだな、などとのんきに考えていた。
とある、小屋のような小さな店に多くの客が押し寄せ、皆、片手にお札を握りしめて我先にと何か買おうとしていた。窓口があまりにちいさいものだから、とにかく金を受け取ってもらおうとお札を握りしめた手を中につっこんでいる。
この日は12月31日。
もしかすると日本の餅のような、季節物を売っている店なのかもしれない。
そんなのを横目に次には、ごく普通の商店があった。軒先にガラス面の業務用冷蔵庫があり、コーラやファンタが入っている。中は日用品も扱っていた。店の前には1.5リットルのコーラの6本パックが山積みされている。まるで壁だ。それでも足りないのか、店の少年がまだ中から運んできて積んでいく。
そんなに売れるのだろうか。と興味深く見ていたが、そもそも少年が家の手伝いをしていることに関心してしまった。
しかも1.5リットル×6本の束だ。9キロもある。
アジアを訪れると日本の昭和のような風景がそこかしこで見られ、時にタイムスリップしたかのような気分になる。
また、同じ通りの他の家の前ではたまたま少女二人が掃き掃除をしていた。
一通り終わると、ホウキを持って遊びだしたので、これまた写真に撮らせてもらった。
庶民の通りは見るものが多く、そのため、道の間違いに気づいた時もそれほど遠くまで来ていなかったし、むしろ間違えたことで出会えた光景があった。
結局、庶民通りを抜けてレギスタン広場へと向かうことにした。
初めての海外の地、カンボジアにてアンコールワット遺跡を目にした時と同じだった。
全身に鳥肌がたち、感動と達成感が入り乱れ、私は心の中で叫んだ。
「ついに、来たぞ」
しばらくして冷静さを取り戻してくると、これを観にはるばる日本から来たというのに、相変わらず私は思うのだ。
ああ、レギスタン広場って本当にあったんだな、と。
日本の片田舎で暮らしている。
当然、そこに住んでいる多くの人々の考えも「田舎」である。
すると、夢とか希望とか話題に出ることはなく、強烈なまでの現実の話ばかり出てくる。
子供の話、妻や夫の話。
同僚の愚痴、嫌味。
全部、どうでもいい。
聞いてないことを勝手に話してくるな。オレはアンタのカウンセラーじゃねえ。
「現実感」という感覚が強すぎて、もう何も変わらずこのまま人生過ぎ去っていくような無力感に負けそうになることがある。
その現実感をぶっ壊すために私は海外へ旅に出る。
目の前の愚痴だとか、不安だとか、そんな小さなことのために生きているんじゃない。
自分がどう生きることができるか。子供に自分のどんな考えを伝えていけるか。
もっともっと大きなテーマで生きていたいんだ。
レギスタン広場、本当にあったんだな。
それは自分の生きる道が合っていたのだという証明でもあった。
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