地図を見ながら最初の目的の遺跡「アミール・ティムール廟」へと向かう。
ウズベキスタンの年末は、どの家も朝は遅いのか、歩いている人はほとんどいないし、店も閉まっている。
今夜のカウントダウンのためだろうか、大型ビジョンやステージの設置を行っていて、警察の警備もすでに始まっていた。
ここにくれば少なくとも現地の人と一緒にカウントダウンをして盛り上がれそうだ。
「荷物を見せてくれ」
そもそも何者だと思っていたんだろう。大型リュックを背負っていたら怪しくみえないこともないが・・・・。
無駄なヒヤヒヤ感を味わってしまった。
「渡りたいのか〜?」
「じゃあ、そこのボタンを押してくれ」
「サマルカンドを楽しんでいってくれ」、と良い父子は去っていった。
アミールは「支配者」という意味、「ティムール」は人名で、日本で言う「徳川家康」のように国を統一した人物らしい。
青のタイル装飾で彩られた外観は、写真や想像を超える美しさで私の目を釘付けにした。
コロナ、加えて観光オフシーズンということもあり観光客はまばらであったが、それでも私にとってはウズベキスタンへ訪れて初めての「観光地」であり、目的地の一つでもあったため内心に秘めた静かな興奮を抑えることができなかった。
不意に「おおっ・・・」と言葉が漏れる。
ウズベキスタンという国を意識したのは旅の半年前のNHKの番組だった。
世界の「青の美しさ」を巡る番組で、世界中の陶器や藍を紹介していた。
青、そして藍色は子供の頃から一番好きな色だった。
青は静かな色であると同時に、深い藍色は情熱的でもあった。
番組を観て、改めてそれらの色に魅力感じる経験した。
そしてまさか、実際にそれらを求めて現地に行くことになるとは思っていなかった。
そうなのだ。私の人生は、いつも、そして常に、自分でも思っていなかったような未来が待っている。そしてその変化を望んできた。職種も興味も人間関係も、「そうきたか」というような転がり方をする。
例えば、「今」の私の職場の人々は大学を出て、その仕事に就きたくてつき、転職ということはなくずーっと変わらず働き、定住の場所を買い、過ごしている。9割の人は人生で最初で最後の職種だろう。そして大方、今後も他人と同じような人生が動いていく。それを望み、それが幸せであり、そういう価値観なのだ。それはそれでとても良いことだ。
私は、一年後、数年後は、この仕事ではないどころか、日本にいないかもしれないし、何もかも変わっているかもしれない。実際、変わってきた。
どうして私の人生はこうも変化していくのだろう。
この仕事に就くことでさえ、だれが予想したろうか、と自分でも感じる。
ただ、一つ絶対的なのは、「すべてが、やりたいことを本当に行動に移してきたことによる結果」だ。
本当によく感じるが、多くの人は「自分がやりたいこと」に対して何か言い訳をして結局やらない。
いつかやりたい。
たぶん、そのいつかは来ない。と私はその人に伝えてあげる。
お金がない。
生活に困るほどないですか?
時間がない。
こればかりはそれぞれの家庭のことだから仕方ないが、「やりたいこと」への情熱の量がセリフに出ているような気がする。
ボーナスが出たら買う。
ボーナス出ないと買えないものですか?
一体、いくつ言い訳を出して「やりたいこと」をやらないのだろう。
そうか、この人達と私は考えが違うのだ。価値観が違うのだ。生きてきた道が違い過ぎるのだ。今を生きる生き方が違うのだ。
しかし、そんなの誰かに言うわけではない。差別でもない。
人は人なのだ。いろんな価値観を尊重することができる。
私はウズベキスタンに来て、この遺跡へ来て、グーグル・マップを眺めた。
日本ではない、まったく別の場所が現在地となっている。
本当に私はこんなところにいるのか。
それは地図上の物理的な位置でもあり、私の考えの位置でもあり、行動力が示す「人生の位置」でもあった。
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