新世界紀行 エジプトの旅33 鳩料理


「気をつけてください。踏んじゃう」
Kさんが小声で言った。


細い路地には、まるで誰かの記憶の断片のように、ラクダの落とし物---フンがあちこちに転がっていた。ぼくらは、それを避けるように慎重な足取りで歩いた。乾いた埃の匂いが夜の風に混じり、鼻をくすぐる。


通りに出ると、静寂に沈んだ町に、外国人向けのバーとカフェのネオンだけが灯っていた。小さな商店も、あのケンタッキーまでも、シャッターを降ろしていて、ぼくらだけが取り残されたような気分になった。


「ほんとにここで合ってるのかな?」


KさんがGoogle マップを確かめる。


フロントマンに教えてもらったレストランは、商店のような目立たない入り口だった。だが一歩足を踏み入れた瞬間、まるで別世界に迷い込んだような錯覚に包まれた。


アラビアンナイトの一節をそのまま写したような、絨毯とランプと、あたたかなオレンジの灯り。ぼくらは、思わず微笑んだ。


店員たちは黒のベストに蝶ネクタイで、少し背筋が伸びるような空間だった。異国の格式に不慣れなぼくは、すこしだけ戸惑って立ちすくんだ。


「大丈夫、値段はそこまで高くないみたい」


Kさんが、テーブルに置かれたメニューを指差しながら微笑んだ。


チキンのセットが、スープとライス付きで千円ほど。心配は杞憂だった。


「鳩、あった」


Kさんが目を輝かせる。


グーグル翻訳を駆使して、彼女は注文時に何度も確認していた。
「これは鳩ですか? 」と。


周囲には観光客らしき家族連れ、欧米の年配カップル。遅い時間だったが、店内にはまだ活気があった。ぼくらが最後の客になるかと思ったが、次々と人がやってきて、店員たちは忙しなくテーブルを回っていた。


やがて料理が運ばれてきた時、ぼくは一瞬、息を呑んだ。


鉄板の上で音を立てるチキンステーキ。ライス、ナン、スープ。どれもが鮮やかで、異国の香りが湯気の向こうからふわりと立ち上っていた。



Kさんの鳩料理は、まるでクリスマスディナーのように丸焼きされ、小さな体に詰め物がぎっしりと詰まっていた。彼女がナイフを入れると、中からは黄金色の炒めライスがほろりとこぼれ出した。


「すごい……想像してたよりずっといい」
Kさんが目を丸くして笑った。
「本当に食べたかったから。」


ぼくはぼくで、あまりのチキンの旨さに、「うまい……」は無意識に呟いていた。
フォークとナイフなんて、日本でもあまり使わないのに、今夜は妙にしっくりきた。これがエジプト最後の晩餐かと思うと、なおさら味わい深い。


またいつか、来れるかな。


心にそんな思いが流れていった。微笑みながら、少しだけ吐息を漏らす。
そういう、二度と来ない瞬間のことを、旅はそっと胸に刻んでいく。もう二度と、、、というその響きが、なぜこんなにも切ないのだろう。


ぼくは何を求めて旅をするのか。


明日でいいや、とそんな簡単に明日に事を押し付けられる日常から離れて、
今、この時、この瞬間を掴もうとしているのかもしれない。


このレストランを出たら、実はここは新宿や池袋あたりなのかもしれない。
ぼくらは駅へ向かって電車に乗って帰るのかもしれない。


そんな、架空の話ができるほど、このレストランは外のカイロの夜とは切り離された空間に思えた。

店を出る頃には、家族連れの笑い声も遠くなっていた。


通りに戻ると、人気は全くない。夜風が少し冷たかった。かろうじてバーやカフェの明かりがあった。


スマホのライトで足元を照らしながら、またあのラクダのフンを避けるように、ぼくらは静かに歩き出した。


エジプト最後の夜が、ゆっくりと深まっていく。


歩くたびに遠ざかる音と匂い。



振り返って見ると、もう2度と足を踏み込むことのできない宇宙空間のような境目が、レストランとぼくの間にあった。

ついさっきの食事がすでに遠い過去になろうとしていた。



おかやんのバックパッカー旅ブログ。

やりたい事は悩みながらなんでもやってみる。結果的に楽しんでる!また、何かに特化して書いているわけではありません。 書きたいことをごった混ぜにしてネタをブチ混んで書いていますhttps://www.instagram.com/the_unending_world/?hl=ja

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