新世界紀行 エジプトの旅18 アスワン駅へ

イシス神殿のあるフィラエ島は、わずか一周一キロほどの小さな島である。そのほとんどを占める神殿は、まるで島そのものが神域であるかのような錯覚をぼくに与えた。


舟を降りた瞬間、微かな風が頬を撫でた。


ナイル川の水面を隔てた向こうに見える神殿は、古代の記憶を宿しているようだった。


ぼくはゆっくりと歩みを進め、その前に立つ。


門と呼ぶべきか、壁画と呼ぶべきか、圧倒的な構造物が目の前にそびえ、中央の小さな入り口をますます狭く見せていた。


この神殿には洞窟のような暗さはなく、青空の下に広がる開放的な空間がある。その青と石の対比が、ひときわ美しい。


ぼくは足を止め、しばしその景色に見惚れた。いや、見惚れるというよりは、見据えられている感覚と言った方が近いかもしれない。まるで遺跡そのものが生きているかのように、ぼくを見ているのだ。


神殿へ向かう参道、ぼくは足を止めては周囲の景色を眺めた。


青空と砂色の遺跡が織りなす光景は、他のどこにもない美しさを湛えていた。
目の前にそびえる門は、巨大な壁画に覆われ、その中央にぽつんと口を開けた小さな入口をさらに狭く感じさせた。その異様な均衡が、冒険心をくすぐる。


この神殿の最深部にはきっと何か「重要なアイテム」があるのだろうと勝手に想像し、童心に戻ってワクワクする。


内部に足を踏み入れると、壁面を埋め尽くすヒエログリフがぼくを迎えた。でも、その文字を読む術のないぼくは、かえってその無知に甘んじることで、より広大なロマンを想起することができた。


彫られた線、イラストのひとつひとつが過去の断片を物語っているように思え、ぼくはその前に立ち尽くしたまま、かつてここに生き、それらを彫った人々の影を追った。



神殿の最奥に進むと、「聖域」という案内板がぼくを迎えた。


腰ほどの高さの円形の台座が静かにそこに立っていた。ぼくはしばらくその前に立ち尽くし、台座の持つ静けさと対話をした。何かの儀式がここで行われたのだろうか。もしも過去の記憶をすべて知ることができたなら、この場所の空気さえも違って感じられるだろう。


神殿を後にしたぼくは、ナイル川を眺めながら神殿脇に腰を下ろし、残っていたペプシを口にする。


川面は風にさざめき、遥か古代から続く悠久の流れが、ぼくを無言のうちに包み込んだ。視線の先には、船着場を行き交う小舟がこの島に向かって進んでいた。



その景色に目を奪われながらも、ぼくの心はどこか遠く、ここではない別の場所を漂っていた。少年の頃、ぼくはゲームの中でこんな世界を冒険したことがある。


けれど、こうして実際に目の前に広がる景色は、どんな想像も超えていた。



自分がまだ見ぬ世界を「新世界」と名づけ、何か新しいことに挑むたび、ぼくはその名の持つ響きに一種の高揚を覚えてきた。


そして、それが海外の地であればなおさらだ。未知なる風景や文化の中に身を置くことは、ぼくにとって日常とは違う世界を知る一つの方法だった。



ここ、ナイル川のほとりもまた、ぼくにとっての「新世界」だった。長らく夢見てきた地に立ち、目の前をゆったりと流れる川を眺めながらペプシのボトルを傾ける。


そんな光景が、夢と現実の境界であることを感じる瞬間だった。その感覚は、まるで冒険に明け暮れた少年時代に保存されていた感覚が今、目を覚ましたかのような不思議さを伴っていた。


この旅の途上、偶然に出会った旅仲間たちとの一期一会もまた、ぼくの心に複雑な印象を残した。それは決して長く続く関係ではないとわかっていながらも、一緒に過ごす時間が確かな充実感をもたらす。


その様子は、かつて少年のころ夢中になったゲームのエンディングシーンのようだった。未知の敵に立ち向かい、困難を乗り越えるためにひと時を協力し合う。それが済めば、彼らはまた別の道を進み、ぼくもまた旅を続ける。


だが、その別離には言い知れぬ寂しさが伴う。ぼくの中で何かが訴える。「もう少し一緒に旅をしてみたい」と。


けれども、その声が涙となって流れ出すことはない。その代わりに、胸の内に留まった感情がじわじわと重みを増し、ぼくの旅心をかき乱していく。それは旅という行為がもつ宿命のようなものだ。



別れと再会、喜びと孤独。それらが交錯する中で、ぼくはまた次なる「新世界」を求めて歩き続けるし、歩き続けなければならないと思う。




フィラエ島を後にし、帰りの舟に揺られる間、ぼくはこの島に再び訪れることがあるのだろうかと考えた。


同時に、それが叶わぬことで、この旅の記憶が一層輝きを増すような気もした。桟橋で出会った中国人の旅仲間との別れ際、ぼくらは握手を交わした。



「ありがとう。また、どこかで会おう」



その言葉の響きは心地よい空虚さを伴い、ぼくの胸に深く刻まれた。
彼らとはSNSは特に交換しなかった。


だからぼくも彼らもわかっている。この出会いが、もう二度と繋がることのない一期一会であることを。そして、その切なさがぼくの心をそっと締め付けた。


台湾人の男性はその日もアスワンに泊まるため、再びタクシーを呼ぶとのこと。
残るぼくともう一人の日本人Sさん。



Sさんも今日から2泊、このアスワンに宿を予約済とのことだが、早朝に到着していて、すでに主要観光地を回ってしまい、「1泊で良かったなあ」と計画を誤ったと後悔をしているようだった。



ぼくがこれからアスワン駅へ行って電車でルクソールへ向かうことを伝えると、Sさんも明後日には同じルートを辿るとのことで駅やチケットの買い方を確認しておきたいとのことで一緒に向かうことになった。


再びタクシーをアプリで呼び、ぼくとSさんは乗り込んだ。



タクシーに乗り込むと、窓越しにアスワンの街並みが流れていく。新しい冒険に胸を膨らませながら、ぼくはふと思った。「この旅もまた、新世界の一部だった」。



おかやんの「とりあえず何でもひとりでやってみる」ブログ。

やりたい事は悩みながらなんでもやってみる。結果的に楽しんでる!また、何かに特化して書いているわけではありません。 書きたいことをごった混ぜにしてネタをブチ混んで書いていますhttps://www.instagram.com/the_unending_world/?hl=ja

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