彼は、ぼくよりも一足早く、「タクシーを呼ぼう」と短く告げ、手際よくアプリ「カリーム」を操作し始めた。その指先は迷いなく、馴染んだ手順を辿るように、画面上のタクシー候補を探していく。
「Uber」と比べれば、登録車両も利用者も明らかに少ないこのアプリは、ぼくらに数分の静かな葛藤を強いた。
その言葉はぼくの胸中に、かすかに温かな波紋を広げた。
ミニバスならともかく、狭いタクシーの中で数時間をまだ気の知れない彼と共に過ごすという気の重さ、そして今夜の宿をすでにルクソールに取ってあるという事実――これらを考え合わせれば、彼の好意には感謝しつつも、ぼくは静かに遠慮する他なかった。
タクシーが走り出すと、ぼくはGoogleマップを起動し、進む方向を確認した。ダム方面へと向かう約5キロの道のり、その果てにイシス神殿のチケット売り場と船着場があるという。
ぼくはこれまでの経緯を説明し、「中国人たちの強気の交渉に任せています」と付け加えた。その言葉を聞いた男性は感嘆の表情を浮かべ、「さすが中国人だ」と一言呟いた。
船頭は、出港して間もなく、その厳しい表情をほころばせた。
彼はぼくらの方を振り返り、ナイル川の鳥たちが近くを飛び回るのを指差して、「お菓子を投げると寄ってくるぞ」と教えてくれた。
パンの欠片はたちまち鳥たちに攫われ、さらに多くの鳥が周囲に集まり始めた。頭上を低く旋回するそれらの鳥たちに、ぼくらは一瞬の間だけ子供のような無邪気さを取り戻した。
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