新世界紀行 エジプトの旅17 イシス神殿


彼は、ぼくよりも一足早く、「タクシーを呼ぼう」と短く告げ、手際よくアプリ「カリーム」を操作し始めた。その指先は迷いなく、馴染んだ手順を辿るように、画面上のタクシー候補を探していく。



その姿にぼくは出遅れた気持ちを覚えつつ、彼に追いつくようにと自分のスマホでも検索を始めた。
「Uber」と比べれば、登録車両も利用者も明らかに少ないこのアプリは、ぼくらに数分の静かな葛藤を強いた。


ようやくイシス神殿行きのタクシーを捕まえることができたときの安堵・・・、ただ、その安堵も、この綱渡りのようなスケジュールの不安を埋めてくれるわけではない。


タクシーを待っている間、台湾人の彼は別件の提案を口にした。


「明日、タクシーをチャーターしてルクソールに行こうと思っている。宿のデイビッドが手配してくれた。途中、いくつかの遺跡にも寄るつもりだ。一緒に来ないか?コムオンボにも寄れる。」



その言葉はぼくの胸中に、かすかに温かな波紋を広げた。


この案は、日本で計画を練っている時にぼく自身も考えたことがある移動手段だった。特にコムオンボ神殿は、保存状態の良さとその規模で名高く、「ジョジョの奇妙な冒険」に登場したことで、ぼくにとっても訪れてみたい場所の一つであった。


アスワンとルクソール間の遺跡巡りは、タクシーをチャーターするかナイル川クルーズ船に乗らねば、容易には辿り着けない。列車を使って途中下車しながら訪れる手もあるが、それには日程に余裕が必要であり、ぼくのように時間に追われる旅人には、なおさら現実的ではない。



魅力的な移動であったけれど、ぼくにはこの提案を受け入れる余裕がなかった。
ミニバスならともかく、狭いタクシーの中で数時間をまだ気の知れない彼と共に過ごすという気の重さ、そして今夜の宿をすでにルクソールに取ってあるという事実――これらを考え合わせれば、彼の好意には感謝しつつも、ぼくは静かに遠慮する他なかった。




やがて、タクシーが到着した。彼は車のナンバーを念入りに確認し、その作業のために用意していたアラビア数字の表を取り出す。その慎重さと警戒心は、旅人としての心得をしっかりと備えており、ぼくはその姿に密かに好感を覚えた。
タクシーが走り出すと、ぼくはGoogleマップを起動し、進む方向を確認した。ダム方面へと向かう約5キロの道のり、その果てにイシス神殿のチケット売り場と船着場があるという。



タクシーを降りると目の前に広がったのは、事前に調べた写真通りのイシス神殿のチケット売り場だった。



ロータリーと駐車場を兼ねたその場所には、数軒の土産物屋が並んでいたが、どの店も観光客の足音にただ黙然と耳を傾けているようで、活気というものは感じられなかった。


台湾人の彼とともにチケット売り場へ向かう。


午後のせいか観光客の姿はまばらで、チケット売り場にいたのは数組の小さなグループだけだった。


待ち時間もほとんどなく、ぼくらはすぐにチケットを購入することができた。エジプト政府がキャッシュレス決済を推進しているという話はここでも現実であり、支払いはクレジットカードのみだった。


「外国人は450ポンドか……。」


日本円でおよそ2250円。エジプトという土地柄を考えれば、それは観光産業の恩恵を最大限に受けようとしているわけだ。



チケットゲートを通過すると、そこから先は船着場に続いていた。ここから先はチケット代とは別に、自ら船頭と交渉し、フィラエ島までの船を手配しなければならない。



船着場の両側には、ゴザを敷いて商品を並べた簡素な土産物屋が並んでいたが、その商売気の薄さがかえって異国の静けさを感じさせた。そんな中、台湾人の彼が何かに気づき、ぼくに声をかけた。



「お、中国人たちが交渉してるぞ。仲間に入れてもらおう。」



その視線の先には、アジア人の青年たちが船頭と激しいやり取りを繰り広げていた。驚くことに先頭に立って大声で交渉しているのが20代の女性だった。彼女の声量と気迫は、ぼくには口論とも思えるほどだったが、台湾人の彼はその輪に自然に加わり、ぼくも引き寄せられるようについて行った。



やがて、ぼくらのグループは7〜8名ほどの規模となり、船頭との交渉はさらに熾烈さを増した。ぼくはその混乱から一歩引いた位置で、交渉の行方を子どものように見守るしかなかった。



その時、日本語の声が聞こえた。振り返ると、中年の男性がぼくに話しかけてきた。


「あの、今、いくらぐらいで交渉してるんですか?」


最初は中国人の中に日本語を話せる人物がいるのかと思ったが、そうではないようだった。その男性は、ぼくらのさらに後からやってきた人であり、ぼくらのグループの勢いを見て混乱に乗じて混ざってしまえ、とやってきたらしい。
ぼくはこれまでの経緯を説明し、「中国人たちの強気の交渉に任せています」と付け加えた。その言葉を聞いた男性は感嘆の表情を浮かべ、「さすが中国人だ」と一言呟いた。


交渉は最終的に、中国人女性の気迫が功を奏し、ぼくらは日本で得られる情報よりもはるかに安い金額で船を手配することができた。


船は、小型で素朴な漁船のようなものだった。


ぼくらが乗り込むとすぐに出港し、ナイル川の広大な水面を進み始めた。その広さは川というよりも海を連想させるほどで、ぼくは思わずその光景に息を呑んだ。

船頭は、出港して間もなく、その厳しい表情をほころばせた。


大人数を乗せ、ある程度は稼ぐことができて機嫌がいいのかもしれない。
彼はぼくらの方を振り返り、ナイル川の鳥たちが近くを飛び回るのを指差して、「お菓子を投げると寄ってくるぞ」と教えてくれた。



中国人の青年の一人が、朝食の余りだというパンを取り出し、それを小さくちぎっては空中へ放った。
パンの欠片はたちまち鳥たちに攫われ、さらに多くの鳥が周囲に集まり始めた。頭上を低く旋回するそれらの鳥たちに、ぼくらは一瞬の間だけ子供のような無邪気さを取り戻した。


その時、中国人の女性が船頭に問いかけた。


「君、年、いくつなの?」


彼女の問いに応じて、色黒の船頭は少し照れくさそうに答えた。


彼はなんとまだ16歳だった。ぼくはその若さに驚くと同時に、エジプトという国が若者を早く社会の歯車へと組み込む事情を思い描いた。


船はゆっくりと進み、やがてイシス神殿の裏手を通り過ぎた。そこには島全体を覆うような壮麗な建築が姿を見せ、ぼくらの期待を静かに膨らませた。



「すごいな……。」



誰が呟いたのか分からないその言葉が、ぼくらの心情を代弁していた。
ほどなくして船はフィラエ島の船着場へと到着した。他の船もいくつか停泊しており、観光客の姿がちらほらと見える。ぼくらは船を降り、船頭が「1時間半で戻ってきて」と告げるのを背に、神殿へと続く参道を進んでいった。


参道を行くと、目の前にイシス神殿の全貌が広がった。その石造りの建築は、時間の流れを跳び越え、古代の叡智を今に伝えるような重厚さを持っていた。


ぼくは、旅を計画する際に悩み抜き、ここに辿り着くまでの道のりを思い出していた。航空券の手配、日程の調整、そして無数の選択肢から最良のものを選ぶための思索――すべてがこの瞬間のために存在していたのだと、ぼくはひとり、静かに確信した。


イシス神殿を前にして、ぼくはしばし立ち尽くした。その壮麗さがもたらす感動と、自らの旅の達成感が相まって、胸の奥底からじわじわと湧き上がるものがあった。


それは言葉にするのが難しい、一種の浄化された心の静けさであった。


台湾人の彼や中国人の「仲間たち」は既に写真を撮り始めていた。


ぼくはそれを見て、遅れてスマホを取り出し、その景色を画面に収めた。


しかし、それは単なる記録にすぎず、この場所で感じたものをそのまま持ち帰ることはできないのだと、ぼくはぼんやりと考えていた。



おかやんの「とりあえず何でもひとりでやってみる」ブログ。

やりたい事は悩みながらなんでもやってみる。結果的に楽しんでる!また、何かに特化して書いているわけではありません。 書きたいことをごった混ぜにしてネタをブチ混んで書いていますhttps://www.instagram.com/the_unending_world/?hl=ja

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