新世界紀行 エジプトの旅15 神殿散策

アブ・シンベル神殿の前に立ったとき、その威容は言葉に尽くしがたい感慨があった。


陽光を受けて燦然と輝く巨大なファラオ像、その目の前でカイロの宿で出会った武田氏夫妻と偶然に再会したのも、何か目に見えぬ糸に操られているかのごとき妙な因縁を感じさせた。


アスワンからのバスツアーの行程は、どれも似たり寄ったりの時間配分と聞く。だが、それがかくも精妙に絡み合い、まるで物語の一幕を用意するかのように夫妻と再び顔を合わせることになろうとは、何とも不思議な巡り合わせである。


夫妻の語るカイロからアスワンへの旅路の顛末――遅延や小さなトラブルに彩られた道中記――は実に興味深く、聞いているうちに自然と時が経つのを忘れてしまった。



だが、悠長に話し込む暇はない。限られた滞在時間を惜しみ、まずはそれぞれ観光に専念することとなった。


神殿の入り口に佇み、改めてその規模に圧倒された。この建築が現代の手によるものであっても、工費や技術に驚嘆せざるを得ないだろう。しかし、これが四千年もの昔、いにしえの時代に築かれたものと知れば、言葉を越え、誰しもがただ呆然と見上げるほかはない。



洞窟めいた神殿の構造のためか、入り口付近にはハトが巣食っている。彼らの落とす糞すら、この場所が偽りのテーマパークなどではなく、真に生きた歴史そのものであることを雄弁に物語っていた。それは、古代の冒険心を夢見るぼくの胸を掻き立てる、何とも奇妙なリアリティを伴っていた。



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・・・ぼくが育った家では、家族旅行というものがほとんどなかった。


家族で旅行した最後の記憶はおそらく小学校3年生くらいだろうか、訪れた榛名湖の記憶が、かろうじて家族旅行の断片として残っている。観光地ではあるが、自宅から車で1時間もかからない、榛名の山の榛名湖のホテルに泊まった。


楽しい記憶が残っていて幸いだけれど、それが家族旅行の最後の思い出だ。


以降、親父は仕事が忙しくなり、自宅では怒鳴ることも多く、子供たちには暴力もあり、ぼくは、親父を殺したいほど憎むようになり、家族旅行どころではなかった。


友達の家の話が羨ましかった。毎年夏休みや冬休みになると、高速道路や飛行機を使って遠くへ旅行に出かけるその明るい話題が、ぼくにはどこか現実感のない、映画のように思えた。


でも、ぼくには別の逃げ道があった。テレビの中の知らない街、本の中の遥かなる国々、ゲームの中の冒険世界。


ぼくはいつも、自分の知らないどこかを夢見ていた。


-------------ぼくもどこか行ってみたい


その気持ちはいつしか心の奥底で強い炎となり、ずっと燃え続けた。
そして今、大人になり、自由とお金を手に入れたぼくは、ついにその炎が指し示していた場所――アブ・シンベルにたどり着いた。


ラムセス二世の巨大な像がぼくを見下ろしている。ぼくはその視線を受け止めるように、じっと立ち尽くしている。この瞬間、あの榛名湖で家族と過ごした小さな時間と、ここに立つぼくが奇妙に重なって見える。


あの頃、夢見ていた「どこか」とは、きっとこういう場所のことだったのだろう。


誰かと一緒に旅をすることも、誰かに思い出を共有することもなく、一人でここまで来たけれど、それがぼくには正解だと思える。


ぼくは、この目で見て、この足で歩いて、この手で触れたものを信じたい。それが、あの家で得られなかったものを埋める、ぼくなりのやり方なのだ。


ナイル川から吹く風が、ぼくの頬を撫でる。ラムセス二世が何千年も前に見つめた空を、ぼくも同じように見上げる。ぼくは今、自分の手で掴んだ自由の中にいる。そして、ここにいるぼく自身が、その証なのだ。


四体のラムセス二世の像を見上げながら、入り口へと足を踏み入れる。内部には観光客が思いのほか多かったが、皆一様に静粛で、何よりもその圧倒的な壁画の存在感が、観光客の存在さえ消し去ってしまうようであった。


神殿内部の列柱室に足を踏み入れると、両側に鎮座するラムセス二世の像が、侵入者を見下ろしているかのような威圧感を放っている。

その奥へ進むにつれ、訪問者たちの声は次第に消え入り、代わりに異世界の気配が濃く漂い始めた。


最深部には、ラー・ホルアクティやアメン・ラー、そして神格化されたラムセス二世の像が並び立つ。年に二度、朝日がこの像を照らすという。それを思えば、神殿を築いた者たちの技術と叡智がいかに驚嘆すべきものであったか、改めて感嘆せざるを得ない。


大神殿を後にし、100mほど離れた小神殿へと向かう。

ラムセス2世が、妻ネフェルタリのために建造したと言われる。大神殿と比べると確かに規模は小さいが、正面には巨大なラムセス2世の四体の像とネフェルタリの2対の像が刻まれている。

ラムセス二世がネフェルタリのために建てたという神殿を目にしたとき、ぼくの胸には一種の羨望がよぎった。彼らの愛が「世界遺産」として保存されていることに、何とも言えない感慨を覚えたのである。


大神殿と同じように、内部は精巧な彫刻が至るところに刻まれていて息を飲む美しさだった。
外に出ると、眼前にはナイル川が悠然と広がり、太陽の光を反射して眩く輝いていた。ぼくは遺跡群を振り返りながら、この旅が幼き頃の満たされぬ想いをどう癒してくれたか、胸の内で静かに問う。


でも、、、


もう、小さい頃の家族の事情などどうでも良かった。


答えは簡単だ。ぼくはここにいる。ただそれだけで、もう十分なのだと。










アブシンベル神殿、ライトアップショーの観客席前にて。

おかやんの「とりあえず何でもひとりでやってみる」ブログ。

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