ウズベキスタンの旅⑪ 電車の寝台室にて



車窓の、わずかに見える景色がゆっくりと動いてた。
腕時計を見ると、確かに定刻だった。


一体いつ発車したのかわからなかったほどスムーズな発車だった。
気づいてはいたが、窓は二段ベッドの下にしかない。
上の段の私からでは、ほとんど景色は見えない。


ベッドに寝転がっている以上、やることは多くはなかった。
スマホは充電がもったいないので、日本のニュースを少し覗くだけにした。
あとは、「地球の歩き方」を読んでサマルカンドの着いたあとの段取りなどを考えていた。


四人部屋の私以外の三人は、皆連れなのだろうか、何やら食べ物を分け合いつつ談笑している。
発車してから20分ほど経った頃だろうか。


二段ベッドの私の反対側の男性が英語で話しかけてきた。
"Do you speak English?"

発車前からなんとなく視線を感じていたので、そのうち話しかけてくるだろうなとは思っていた。


ウズベキスタンの人はほとんど英語が話せないと聞いていたので、まず英語だということに驚いた。
“Are you a tourist?”


日本の東京から来た。昨日の夜にタシケントに着いたばかりだ。サマルカンドへ向かう。そのあとはブハラへ向かう。というような話をしたあとは、コロナウイルスの話になった。


コロナにはかかったか?と聞かれたので、まだだ、と答えるとたいそう驚かれた。
「オレは2年前にかかった。」と彼は言う。


「日本では全員マスクをしているけど、ウズベキスタンでは誰もしてないですね。」


と私が言うと、
彼は「もうみんなかかったから大丈夫だ」
と笑った。


さらに彼は「そうだ、下にいるこの人は医者だ。コロナ病棟で働いているんだ」と言う。


富裕層の医者がこんな粗末な3等車両に乗るだろうか、と私は最初怪しみ、
「本当に医者なんですか?」とつい聞いてしまった。


ウズベキスタンのコロナ感染者状況は知らないが、入国が自由にされているところからしておちつてきたのだろう。


医者だと紹介された年配の男性は、勤務についてそれらしいことを私に話した。こんなところで嘘をつくこともなかろうと思い、また、1等車が取れなければ医者だろうが3等車に乗るしかないか、と納得した。



ということは、私の反対側の男性も同僚の医者なのかと聞けば、違う、と言った。
どういう関係なのかと聞けば、今日皆初めて会ったばかりだ、と言う。
初めて会ったばかりなのに、どうしてそんなに仲良さそうに話しているのか、と聞くと今度は笑われてた。


「オレたちウズベキスタン人は、皆家族で、友人みたいなものだ。」
そういうものなのか。確かに、日本人は恥ずかしがり屋民族で個人主義だから他人と深くかかわろうとはしない。


イスラムの国、ウズベキスタンでは毎週金曜、男性はモスクに集まり、それがコミュニティにもなっているはず。おのずと仲間意識は強くなり、結束されるのだろう。
日本とて昔はそういう文化があった。しかし近代化しすぎた反面、一部の田舎を除いてそういった文化は薄れていった。
「いいですね。そういうの」
と私が言うと、彼は
「そうだ。オレには日本人の友人がいる」と言い出して、スマホの写真を見せてきた。


「イタリアに行った時に知り合ったんだ。」


イタリアに旅行に行けるとは、この人もそこそこ稼げる人なのかもしれない。
写真に写っているのは、確かにイタリアの観光地の背景で、日本人らしき青年と肩を組んでいた。


なぜ友人なのか、と聞いたが、「彼がイタリアを案内してくれたんだ。」という返事だったので、きっとたまたま何かのきっかけで現地で話したのだろうと察し、深く聞くのも面倒になり、加えて、二段ベッドで横になった時から、疲れもあり眠気に襲われていたので、話を終わりにして寝ることにした。


最後に「ところで君はどこへ行くのか」、と私が聞くと彼は、


「サマルカンドだ。実家がある。年末で帰るんだ」と言った。


結局1時間近く、その寝台列車の他の三人と話し、ようやく解放されてホッとしていると先にその男性のほうが寝始めた。


私も気づけば寝ていて、目を覚ますと間もなくサマルカンドという時刻であった。



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