パリ組曲⑫

オルセー美術館の入館のための長蛇の列に並ぶこと1時間。 


うっかり落とした手袋を背後にいた長身のアジア人青年が拾ってくれたことで、谷川とミヒャンはその青年と言葉を交わした。


目の前に続く長蛇の列に、その彼も時間を持て余していたのかもしれない。
青年の笑顔が日本的な柔らかさを備えていたので第一印象は日系人かと思ったが、出身は中国だった。


聞けば、現在はドイツの大学へ留学中であり、そこからフランス、パリへと単身旅行中なのだとか。


谷川が日本人だと伝えると彼はいくつかの日本語を口にした。日本に来たことはないが、日本のマンガを見て学んだと青年は話した。中国と聞くと、マナーが悪い、騒がしい、というイメージしか持っていなかった谷川は彼の知的な印象に好感を持つことができた。 






ようやく入場玄関までやってきた。空港と同じように手荷物検査機でチェックされ、そこを抜けるとやっとチケット売り場。


2人はチケットを買い、中国人青年とはそこで手を振って別れた。きっともう出会うことはないだろう。そんな連続で時間が流れていき、人々とすれ違っていく。  


チケットカウンターはガラガラ。おそらく長蛇の列を作っていた観光客は事前にオンラインなどでチケットを購入して持っていたのだろうけど、入り口の手荷物検査によって並ばされていたのだろう。


2人はチケットカウンターへ行き、大人2枚購入、入場する。  


ここ、オルセー美術館はもともと1900年のパリ万国博覧会開催に合わせて、オルレアン鉄道によって建設されたオルセー駅の鉄道駅舎兼ホテルであった。そのためレールに沿った直線状に長い美術館となっている。




混雑していたのは入場のみで、中は混み合ってはいるものの歩き回る分には支障はなさそうだった。  


谷川が目当てにしていたゴッホやモネの絵画を中心に見て回った。どちらからともなく手をつなぎ、人混みで離れそうになると再び握り返した。誰がみても一緒に旅行に来た男女であった。谷川も事実、そんな錯覚に落ちていた。お互いに絵画に興味があったことも心を近づける一因でもあった。


谷川の母はゴッホやモネ、ルノワールといったフランス人画家を好み、模写をしたこともあった。そんな母を見て育った彼は小さいころから絵画に親しみがあった。



ミヒャンもまた母の影響があるようだった。モネの、ある絵画の前に来た時、ミヒャンが「あの・・・」と口を開いた。 


「ワタシの家はとても貧しかったです。けれど母が絵が好きで、家にモネの絵のコピーがありました。雑誌の写真を切り取った物で、紐に洗濯バサミで吊るされていました。思い返せば、笑ってしまいます。母のことは嫌いでしたが、母がいつも何か絵について話していたのを覚えています。」  


ミヒャンの話すことは過去とつながりのある内容が多く、とりわけ父や母の影が必ずそこに潜めていた。


家族、家庭環境に人生や人格を左右されずに人は成長していくことはできない。良かろうが、悪かろうが、それは食事を摂ること同様、人の体内に入り込み、知らず知らずに影響を与え、吸収し、本人の生き様に表れてくる。自分の性格がどんな風に出来上がったなど、多くの人間が考えるだろうか。


ミヒャンは明確にそれを意識できている点で、自分と似ているな、と谷川は思い、やはりますます興味を抱く存在となっていた。  



2時間ほどかけてオルセー美術館内を巡り、13時頃になって外へ出るとまだ入館の列が連なっている。さすがに世界的有名な美術館だ。


気にならない程度だが小雨がパラパラと降っていて、ミヒャンが折りたたみ傘を取り出す。 


「お腹が空きました。」と言うミヒャンの小腹を埋めるために、2人はそのまま美術館向かいの「ロイヤルオルセー」というカフェに入り、再びフランス語のメニューと格闘。



ミヒャンがフランス語会話の本を見ながら、忙しい店員を捕まえてはこれは何か?と聞きまくり、フランスパンのサンドイッチを注文する。 


「パンを、口いっぱいに入れて食べるのがワタシハ好きです。」  


よっぽどパンが好きなのか、パンを食べる度にそう言って出来上がったそれを、大きな口を開いて本当に口いっぱいに詰め込み、猫のように目を細めて嬉しそうに食べる姿は、語る過去などないようでもあった。と同時に、これまでミヒャンが付き合ってきたであろう男たちに谷川は仄かに嫉妬さえした。


恋人にしか見せない姿があるだろうし、日本に来るまでに、あるいは来てからもどんな経験をしてきたのか気になった。


知るよしもないそれらを微笑ましく想像しながらミヒャンがサンドイッチを食べ終わるまでその姿をぼんやり頬杖をついて眺めていた。 


つづく


おかやんの「とりあえず何でもひとりでやってみる」ブログ。

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