パリ組曲⑪

谷川は以前、アメリカ、ミネソタ州に滞在したことがあった。


ある日、日課のジョギングをする公園で、太平洋戦争の戦没者碑の前に佇む老婆と話したことがあった。


日本ではどんなドラマや映画でもアメリカは敵として描かれ、谷川にとってもその認識に違いはなかった。けれども彼はアメリカの大地を踏み、生活をしていると敵国は実は日本なのではないかという視点を考えるようになった。


日本はなぜ、このような大国と戦争をしてしまったのか。

途方もない疑問を赤く染まる朝焼けに浮かべた。愚かだと思う他なかった。日本人の魂を持つ者として、知っておくべき愚かな歴史。  


日本を相手にした戦争で、家族を失った老婆の気持ちとはどんなものなのだろう。表情に刻み込まれた皺の数が、この老婆が経てきた年月を表現し、想いもまた同時にそこに刻まれてきたに違いないのだろう。


日本から来ました、と告げた谷川に老婆は言葉を丁寧に返した。 


「日本は美しい国だと聞いてますよ。」  


老婆が語尾に発した、ビューティフゥ・カンチュリー、という英語の響きやその質感や声が、今も彼の耳の奥に残っている。  


老婆のそんな言葉を耳にし、急に日本が愛おしく思えてきたのを彼は覚えている。帰ってやるべきことがある。残しているそんな何かがある気がした。  


ミヒャンは母国に何を残してきているのだろう。何を処理できていないのだろう。怒りなのか、悲しみなのか、寂しさなのか。消えないまま残されているものは、いつも非なる感情。 


「どうして韓国に戻りたくないのか、少し聞いても大丈夫?」  


ミヒャンは昨夜の自分のセリフを彼が覚えているとは思っていなかったのか、目を丸くしたかと思うと微笑みをたずさえ、視線をすうっと遠くに放ってからハイと言って谷川の手を握った。 



 「ワタシ、日本へは、逃げてきたようなものなのです。」  



オルセー美術館、入場ゲートまではまだまだ長い列ができている。寒い中、立ち止まったまま待っているせいか、ミヒャンの右手は体温などないかのような冷たさで、その上まるで溺れる者が何かにしがみ付くかのような強さで谷川の手を握り、一体何事かと彼は声を上げてしまいそうになったが、次の瞬間にはその強さはもしかすると彼女が抱える過去の重みを表しているのかもしれないと直感で感じられた。  



体温のない、強く握りしめられたその手に、本当にこの子が目の前に存在しているのか分からないような非現実感の中に谷川は居た。 



「小さい頃、父と母はとても仲がわるかったです。高校生くらいになって、父が出ていきました。仕事ということになっていましたが、本当はちがっていたみたいです。姉がいましたけれど、大学で家を離れていきました。母と二人だけの生活が始まりました。母は夜に仕事へ出かけていき、朝帰ってきました。ワタシは夜、いつも一人で家にいました。」  



ミヒャンが時折みせるあの無表情の根源は幼き頃の経験にあるのかもしれない。
人の表情というのは、人を表している。年齢を重ねれば重ねるほど、それは内面が表へと滲み出てくる。谷川はそう思っている。


表の感情、と書く漢字はなんて的確なことか。この女性は嘘をつけないのだろう。思っていること、感じていること、嬉しさも寂しさも素直に表現してしまうのだ。



彼は横目で彼女を見ながら、そんな雰囲気を感じ取っていた。なるべく感情を表に出そうとせず日々の生活を過ごしている谷川青年とは真逆。だからこそ、お互いが埋め合える何かを持っているにちがいないのだろう。 



「高校生の頃は、家事は全部ワタシがやっていました。母の食べるご飯もワタシが作りました。何かあると、母はいつもワタシを怒りました。父がいなくなったことをワタシが悪いと言いました。大学生になって、日本に留学できることになって、母と離れました。やっとワタシはひとりになれました。韓国には良い思い出がありません。だから韓国にはもう長い間帰っていません。」  
心理学的観点であったり、医学的に表情筋についてであったり、表情を形成する要因はいくつもある。その一つに悲しみや寂しさという、時に非なる目に見えない因子があり、谷川は人々が経験してきたそれらを表情に見ることができると思っている。時折見える表情の陰は、過去の残物であったのだと察し彼は妙に納得した。



空港でミヒャンの表情に自分は何を見たのか、谷川はその疑問を覆う氷が少し溶け始めたような気がしていた。  



谷川が何も言葉を紡げないでいると、誰かが後ろから肩を叩いた。振り返ると、長身のアジア人青年が谷川の手袋を持って微笑んでいる。 


「落としましたよ。」  


流暢な英語だった。ミヒャンがうっかり落としてしまったようだ。 


「センキュー」  


英語でそう微笑み返すミヒャンの、日本語ではないイントネーションも素敵だなと谷川は思った。 

彼女は母国を出て、日本へ来て暮らしている。 そして今、パリに立っている。


 鳥カゴから逃げ出した小鳥のようだと谷川は思った。自由を手に入れたのだと。 


ただ、その鳥カゴには、置いてきた記憶がまだ整理されずに残っている。


外側から眺めることはできるが、決して触れることはない。そんな、鳥カゴの扉を谷川は少し開けてしまったのかと思うと、胸に僅かな痛みを覚えた。 


つづく。

おかやんの「とりあえず何でもひとりでやってみる」ブログ。

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