パリ組曲⑨


それは彼にとって、いつもの奇妙な朝だった。

どこかへ出かけて宿泊するとよく経験すること。

当然、起きた瞬間に見る天井が自分の家のそれではない。


一瞬、いや数秒、ここはどこだ、とハッとしてしまうことがある。  


その朝も、谷川は時差ボケや疲れなどまるでなかったかのようにいつも通りの6時半に目が覚めたがいいが、ここがパリのホテル「Bモンマルトル」、4階の48号室であることが分からず、上半身を飛び起こしてしまった。  


オレは・・・、そうか、パリに来たんだ。   


カーテンを開けてみる。  時計が狂っているのかと思うほど、外は真っ暗。

1月のパリは日の出が朝8時半頃。それまでは暗いのだ。そうか、ここは確かにパリだ。そう思った次の瞬間には、昨夜のことが思い出され、慌ててケータイを探し、LINEを見る。


そこには確かにミヒャンとの会話記録が残っていた。  

夢だと言われても納得できてしまうくらい、彼はまだ整理できずにいた。


カーテンを閉め、再びベッドに潜る。  

昨日のことはどうやら夢ではないようだ。日本で仕事をしていて、週末などあまりにも疲れが溜まっていると翌日、目覚めたあと十数秒間、夢なのか現実なのか判別できなくなることがあった。    


自分がパリにいることが確認できると、ほっとしたのか再び急激に眠くなり、彼は瞼を閉じた。  


8時半、外はまだ暗さが残る曇り。滞在中はずっと天気が悪いとミヒャンが言っていたのを思い出した。


すっかり目が覚め、テレビでフランスのニュース番組を見ながら日本から持ってきた柿ピーを頬張る。登山の行動食として食べる機会の多いそれは安くてカロリーが高い。観光中の小腹の補給にも最適だと考えて持ってきていた。フランスのホテルは基本的に朝食は別料金とのことで、頼むと高い。17ユーロ、約2300円もする。滞在中は柿ピーやそこらのスーパーでパンや牛乳を仕入れて部屋で食べようと思っていた。


食べながら、自分が起きたことと朝食代わりにお菓子を食べていることをミヒャンに連絡すると、すぐに返信があった。 


【私も起きました。朝食をこちらのホテルで一緒に食べませんか? ドライヤーを貸してください。】  


シャワーを浴び、9時頃にはリュックにドライヤーを入れて谷川はホテルを出ることにした。フロントには昨日とは別のスタッフがいたがとても心地よい笑顔で「ボンジュール」と挨拶をしてくれ、彼も同じように返す。 



 1月2日。

初めてのパリの朝の街は、静かなものだった。レストランやカフェは椅子が積み重ねられ、閉店後のままの姿で朝の僅かな光を浴びている。



ミヒャンのホテル「サン・ラザール」までは歩いて10分もかからない。到着し、狭いエレベーターに乗り、部屋へと向かう。

ドアを開けてくれたミヒャンは、シャワーを浴びた後らしく着替えてはいたが髪が濡れていた。


彼がドライヤーをリュックから出すと、 

「助かりました。髪を乾かせます」 

と言って微笑んだ。   


朝食は、こっそりミヒャンのホテルのビュッフェを食べることした。 

 

彼女の後ろに隠れるようにして朝食会場の地下階へと降りると、小さな厨房から色黒のフランス女性スタッフが顔を出し


「お部屋番号は?」


とたずねてくる。 

「サーティスリー」

と彼女が答えるとそのスタッフは彼のほうをチラリと確認しただけで特に他には何もチェックすることなく再び顔をひっこめた。 

「大丈夫かな?」  


「大丈夫みたいです。食べ物がたくさん余っています」


 「それは別に余っているわけではないと思うよ。」 


「でも、誰もいませんよ」 


小さな朝食会場であったが、他の客は一組だけで、空いていた。


いくつかの種類のパン、それにヨーグルトやハムなどがあり、朝の腹ごしらえには十分そうだ。  

2人は、朝食を摂りながら今日の予定を話し合った。



実際には彼が、こうしようと思うんだけど、とある程度の提案を伝えただけでミヒャンは、すごい、パリに詳しいですね、と言ってフフフと笑みを加えるだけだった。


何にも下調べしてこないで本当にこの子は何をしに来たのだろう。 


「おいしいものが食べたいです。エッフェル塔に行きたいです。」 


「他には?」 


「タニガワさんは?どこへ行きたいですか?」 


「まず今日行くオルセー美術館でしょ。それに明日はルーブル。それに有名なカフェと明後日はモン・サン・ミッシェル。」 


「モン・サン・ミッシェル行くんですか。ワタシも行きたいと思っていました。」


 「オレは日本から日帰りのバスツアーに申し込みしたよ。ミヒャンも行きたいならツアーのほうが楽でいいよ。」


 「どうしたらいいのですか?」 


「そのツアー? もし行くならすぐに申し込みしないと。」 


「タニガワさん、できますか?」


 「何を?」 


「モウシコミ、を」


 「誰の?」 


「ワタシの。同じ日に行きたいです。」 


 ミヒャンは何か頼みたい時にはいつもフフフと故意に笑った。  

クロワッサンを口にくわえながら、iphoneでツアー会社のサイトを確認してみると、同じ日のツアーがまだ受け付け中であったので、もう一度ミヒャンに、値段と日付を確認させた。 


「じゃあ、いいね? ツアー会社に朝7時集合だよ。ツアーだから絶対遅れちゃダメだよ。」 


「ありがとう。大丈夫、きっとタニガワさんが起こしてくれます。」  


男女の付き合いというのは、バランスなのだ、相互関係なのだ、と時々谷川は思う。気が強い人、弱い人、優しい人、優しくない人、気配りできる人、できない人。お互いの凸凹を埋め合うことができる人とちゃんと惹かれ合う。足りない部分を補ってその関係性が成り立っているんだと感じることが多い。 


「ワタシ、口が大きいでしょう?ワタシ、口いっぱいにパンを入れて食べるの好きです。」 


「それ、フランスパンだよ? 固いよ?」  


足りない部分という意味でミヒャンに対して言うならば、谷川には、頼られたい、という穴があり、そこをミヒャンの、頼りたい、という気持ちが埋めていて、お互いの欲求という名の凹凸を満たしている。

きっと空港で会った時からそれが成り立っていた。 


「大丈夫ですヨ。パンなら何でも食べマス。」  


ミヒャンはフランスパンを口の奥までガブリと含み、嬉しそうにモグモグと食べていた。 


「よくそんなに入れられるね」  


きっと自分にはないものを持っている女性なのだと、ほっぺを膨らませて食べる彼女を微笑ましく見つめながら谷川は、自分以上に不思議な人間を見るのは初めてかもしれないな、と思った。


つづく。


おかやんの「とりあえず何でもひとりでやってみる」ブログ。

やりたい事は悩みながらなんでもやってみる。結果的に楽しんでる!また、何かに特化して書いているわけではありません。 書きたいことをごった混ぜにしてネタをブチ混んで書いていますhttps://www.instagram.com/the_unending_world/?hl=ja

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