巴里組曲⑦

夕飯が一通り終わり、まだ8時過ぎだったこともあり、ミヒャンがどこかへ行きたいと言い出した。 

「日本だと今、朝方の4時だよ。眠くないの?」  

単純計算で2人はもう丸一日起きていることになる。


着いた日は地理や治安の状況が分からないし、時差ボケや疲れを考慮してホテルへたどり着いたら夕食を摂って早めに休む、という安全策の考えで谷川は来ていたため、正直なところ横になって休みたかった。 


「ここはパリです。時間はまだ8時デス。日本は忘れてください。」   

どうやらミヒャンの返事は、素直にホテルに帰ることはできない様子だった。  

仕方なしに彼が「地球の歩き方」の地図を広げて、地下鉄ですぐ行ける範囲に何があるか調べてみると凱旋門には地下鉄の「路線②」の一本で行けるようだった。


行こうと思えばそこから徒歩でエッフェル塔も見に行ける距離だ。  


疲れもあり、スリが多いというパリ地下鉄にこの遅い時間で初めて乗るのは不注意ではないかと気が引けたが、明日はもう会わないかもしれない、お互い一人旅なのだ、いつ気が変わるかなんて分からないだろう、それならばミヒャンという興味深い女性と少しでも長く過ごす時間に勝る疲れなどないのでは、と彼は思った。    


ユーロを使っての初めての支払いに戸惑いながら会計を済ませ、2人はレストランを出てすぐ目の前に地下鉄入り口の階段を降りていった。



人前で財布や現金を出すことも避けたかったので、レストランを出る前に必要ユーロだけをポケットに忍ばせ、券売機ではさっと買えるようにしておいた。

後ろに誰か並んでいたので多少の焦りはあったけれども使い方はネットで調べていたので初めてのパリ地下鉄チケット購入も比較的スムーズにできた。  

日本とは少し異なる改札。一度チケットを通したらもう出る時には必要はない。  



電車の上下線を間違えないように地図で何度も駅名と行き先を確認し、目的のホームに辿り着く。  


パリの地下鉄に時刻表はなく、たいてい山手線のように3分〜5分間隔で次から次へとやってきた。


スリ対策で谷川はリュックに鍵を掛けたり、背後を警戒したりする。ミヒャンにもジッパーの壊れたバッグには注意するように伝えていたが、思ったほどの危険な雰囲気は感じられず、やってきた電車に乗った。


車内は日本と同じように皆静かで、マナーは守られているようだった。  

10分ほどで凱旋門のある駅に到着し、いくつかある出口に迷いながら地上へと出る。  


生まれて初めて見る、フランス、パリの凱旋門。


2人は人目も気にせず興奮の声を上げた。

お互い一人でここへ来たならば湧き出る感動さえ心に留めたかもしれないが、誰かと一緒にいるという状況が気持ちを解放してくれた。  


凱旋門の周りには数台のタクシー、大型観光バスが停まっていて、世界各国の観光客たちは皆それぞれの国で流行っているポーズで写真を撮っていた。


 「韓国の人もたくさんいるみたいだね。」  


髪型、ファッション、そして顔つき。ハングルと思われる言葉を大声で発している若者たちの姿があった。気のせいか、ミヒャンの彼らを見る目が、邪魔者を見るような冷たい視線で、快いものではないように谷川は感じた。 


「どうしたの?」  


ミヒャンは彼のほうを見なかった。 


「韓国人、好きではありません。」  


そこには何か強い決意が含まれていて、それが彼に伝わってくるようだった。 

「どうして?」  

それには彼女は答えない。 

「韓国にはもう、帰りたくないです。」  

そこから先は、聞かないほうがいい気がした、少なくとも今日は。

出会ったばかりの、どこの誰かも知らないような彼に自分の国に対してそんなことを言うなんて、きっとよっぽどの理由があるのだろう。 

「そっか。」  

谷川はそう言って受けとめるだけに留めた。何も言わないミヒャンと何も聞けない彼がいて、そこの間を埋めるにはあまりにもまだ彼女について知らないことが多かった。  


多国籍の観光客の中から、日本語が聞こえてきた。 


「まじすげー。ガイセンモンじゃん。」  


日本の団体ツアー客が観光バスで乗り付けたようだった。

日本に来る中国人観光客がうるさいとテレビで話題になっているが、この日本人たちも騒がしいという意味で同等にちがいないと彼は思った。そう、彼らと同じように見られたくはないのだ。なんだかミヒャンの気持ちが分かるような気がした。 


「オレも日本人、好きじゃないな。」  

無意識にそんな風に口から零していた。 

「どうしてデスカ?」  

彼女が真面目な顔で急に振り向いたもんだから、彼は咄嗟にそれなりの理由を考えなければならなかった。本当は、日本からワイワイ一緒に来ているのが羨ましいような気がしただけだった。 


「えっと、海外へ行っても、日本人だけで過ごそうとする。そんなの、旅行がただの旅行だけで終わってしまう。」  


ミヒャンはフフフと笑って、

「ワタシもただの旅行でパリへ来ましたよ。」と言った。 

「ミヒャンは、日本に来て生活して、日本人とコミュニケーションを取っているでしょ。日本人は海外へ行って、ただ観光して、ポーズして写真撮って、お土産ばっかり見て買って帰るだけ。本当はもっと、こう、なんだろう、現地の人と接したりさ・・・」  


結局、取って付けた理由で、まとまりがなくなってしまう。 

「人と接したり?」 

「そう。思い出を作るべきなんじゃないかな、と思うんだよオレは。」

  

谷川はそこまで言って、ふと我に返った。


―そんなことを思っていたのか?オレは何を言っているんだ。真面目に答える必要なんてないのに。ただ、目の前に凱旋門を見に来て喜んでいる日本人がいて、それがちょっとうるさかっただけなのに。いつも1人で旅をして多くの出会いをして、自分がまるで孤高の旅人かのような、かっこ良く聞こえるような言い方しやがって。―


彼は、本当は自分が誰かと旅を共にしたいのだ、と薄々気付いてはいた。そしてそれを吐き出して認めたくはなかった。 


「誰かと出会う。ワタシたちみたいに、デスネ。」  


ミヒャンがじっと谷川青年を見ていた。どこか安堵するような微笑みだった。もしかすると、ミヒャンも誰かを求めて旅へと、パリへとやってきたのかもしれない。


自分のことだから分かるけれど、1人でふらっと遠くへ旅へ行ってしまうような人間は、心のどこかの何かを埋めるような、バラバラになった何かをひとつひとつ探すような、そんな見えない答えを求めているような気がする。


現在の自分の輪郭を確かめたくて、未知なる世界でその大きさを測るのだ。その未知というのがたまたまパリで、そこでこの男と一緒に行動しても大丈夫だと思ってくれたのかもしれない。 


つづく。


おかやんの「とりあえず何でもひとりでやってみる」ブログ。

やりたい事は悩みながらなんでもやってみる。結果的に楽しんでる!また、何かに特化して書いているわけではありません。 書きたいことをごった混ぜにしてネタをブチ混んで書いていますhttps://www.instagram.com/the_unending_world/?hl=ja

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