振り返るほどの過去と化した、それは2017年11月3日。
オレにとっては、その後の人生を左右する日となる。
5月から半年間、フルマラソンを4時間切ることだけを目標に走ってきた。
一年中マラソンの練習ができればこしたことはないが、生憎、マラソンだけに時間を使えるほどの生活ではない。ちょっと多趣味過ぎるもんで・・・。
しかし、この能力には長けている。
「ここぞという時に打ち込む。のめりこむ。全力を注ぐ。」
4ヶ月前からのメニューを、様々な本を読み漁って決めた。↓
仕事から帰宅するのは7時〜8時。夕食の準備をし、練習着に着替えて再びドアを開けて走りに行く。
夜。田んぼ道。
連続するタッ、タッ、タッ、タッ、という自分が地面を蹴る音と風を切る音しかそこにはない。
「ホントに・・・、 4時間切れんのか?」
何度もそんなことを思った。
過去2回、トレーニングをして臨んで達成できていない。
1秒でも切れればいいんだ。。。
1秒でも切れなければダメなんだ。。。
不安を煽る自問自答に足を止め、立ち止まると、額から激しく流れ、地面に落下していく汗の音が聞こえてくるようだった。
静かだった。だから、この道をオレはいつも走っている。
オレの汗でアスファルトが湿る頃、再び走り出す。
人間は、いつだって過去の経験で物を言いたがる。そして壁を作る。
前もダメだった。今回もダメだ。
オレがそんなこと、できるわけがない。
「いや、オレならできる。4時間切れる」
思い込みの繰り返しだった。
1市民が、趣味の目標を達成したからといって、何かが変わるわけではない。
「だから、どうした」と自分で思うことすらある。
何も変わらず時は動くし、いつも通りの生活があることになんら変わりはない。
なのに、不思議なことに、気持ちだけは大きな広がりを見せてくれる。
自ら目標を決め、それを達成する。これが、想像以上の美しい世界を見せてくれるんだ。
オレはそれを「絶景」と呼ぶことにした。
それは、場所が山頂でも、海の中でも、変わりはない。
絶景は、その人が何かをやり遂げた場所にある。
今までの人生も、本当の絶景は、いつだって何かを達成した場所にあった。
夢の追い方が分かったんだ、
自分の使い方が分かったんだ
自分との戦い方が分かったんだ
いつだって、
オレが競うべき相手は、
少し先を走る理想の自分自身だった。
・・・・・・・・・・・・・・・
その日の朝、駐車場混雑を避けるためにも早起きし、友人宅へ向かう。
会場駐車場には7時半には着いていた。
スタートは9時。準備には十分な時間がある。
競技場内へ入ると、すでに多くのランナーたちが集まっていた。
フルマラソン以外の4キロや10キロに出るという、友人の知り合いたちとも合流。なので初対面の方が多い。
開会式が7時50分より始まる。
しかし、そんなものはどうでもいい。
以前、知事公舎に愛人を連れ込んで奥さん、子供に叱られ、社会的にも問題になったアホ群馬県知事やら、どっかのエロじじいがマイクの前に立って誰でも話せるようなことを言って終わるだけだ。そんな奴がオレの前で偉そうなこと言うんじゃねえ。
開会式が終わり、雑談に勤しむ友人らを余所に、オレは1人更衣室へ行き、着替え、集中に入る。
友人らと離れ、荷物を預け、当番のおっちゃんに、「頑張ってきます」とオレなりの笑顔で伝え、
さらに深い集中に入る。
競技場を使い、アップというよりは、体のどこかに異常がないかを確かめるために、軽く走る。
行けそうだ。今日のオレなら行けそうだ。
スタートまであと20分。穴場の空いているトイレを発見し、最後のトイレを済ませる。
そしてスタートラインへ向かう。
フルマラソンの、長蛇の列が続いている。後ろのほうは、完走を目指す方々で、楽しそうな雰囲気であったが、前へいくほどにお一人様率が増え、みなそれぞれの目標タイムを胸に、最後の気持ちの整理を行っている。
本気のクソ野郎共しか、ここにはいない。
その環境が静かな興奮を呼び、たまらなくオレを燃えさせる。
あと5分でスタート。
半年間のトレーニングを思うと、それを発揮するのがあとたった5分後から、という状況が恐怖でしかない。
そしてその恐怖すらまともに感じる間もなく、スタートの号砲となった。
4時間切りの計画は、1キロ5分10秒で走ること。
4時間切りの最低ラインは1キロ5分40秒なので、1キロごとに30秒ずつ時間を貯めていき、後半の失速に備える。
大勢のランナーと共に、まずは最初の1キロ。 5分8秒。
2キロ経過の時点に、ケータイに不具合発生。
最近、GPS機能が故障し、現在地が大幅にずれていた。
加えて今、ナイキのアプリが機能せず、1.4キロ地点で止まってしまっている。
くそ。ペース配分が分からなくなる。
すぐに気持ちを切り替え、3キロ地点から再び0キロからアプリ起動。
GPSの現在地はやはりかなりずれているようだが、距離は取れるはず。現在ペース配分は表示してくれると予想。そんな不安の中、走る。
フルマラソンを走るために、色んな本や雑誌で練習に「30キロ走の効果」をうたっていて、
一昨年、去年と練習にいれてきた。
けれど今年は、その数を増やし、かつ32キロに設定した。
32キロ走を練習しておけば、42キロのフルマラソンをクリアするために「残り10キロ」を課題にできる。
「残り12キロ」と「残り10キロ」では、気持ちの面でオレにとって大きく違った。30キロ地点を過ぎ、残り12キロの感覚はまだ長い。
けれど32キロ地点を過ぎてからの「残り10キロ」ならば、勝負できる距離という感覚だ。
クソ野郎は、世間の常識を、自分の常識には当てはめない。
32キロ地点をスタートだと気持ちの上で設定し、そこまでウォーミングアップなのだ、と言い聞かせてオレはひた走った。
25キロ地点くらいまでは、1キロ5分10秒で行けたけれど、そこから2キロごとに1秒ずつタイムが遅くなる。
5分11秒。
5分12秒。
平均ラップが落ちていく。
焦るタイムではないのに、やはりスピードが落ち始めていることにへの不安が否めない。
30キロ過ぎくらいから、結局元気をもらえたのは沿道の声援だった。
色んな人が、色んな人の応援に来ている。
学生や地域のボランティアの人が、給水所やエイドステーションをやってくれている。
色んな人が、関係のないオレに「頑張れ!!」と放ってくれるここがステージ。
くるしい時のそれは、なぜだろう、体力ゲージが回復する。
「32キロ」という看板が見えた時、「よし、こっからだ」と思えた。
「ここからスタートだ」と思えた。そう思えるほどの体力が残っていた。
いや、きついことに変わりはない。
給水所では、水を飲む、という理由を付けて少し歩き、少しでもリフレッシュを図った。
精神論や根性論という考えで物事を語るのは好きではないけれど、
「あと10Km、なんとしてでも歩かず、失速せず走るぞ」
という「強い気持ち」は体の限界を押し上げてくれた。
NIKEアプリの不具合で、伝えてくるペースが合っているのか分からず、10キロごとにコースに設置してあるデジタル時計を見て、時間だけはは確認してきたけれど、このペースで4時間を切れるのか分からぬまま、40キロ地点までやってきた。
4時間くらいで走るランナーはそれなりに練習をしてきた方たちばかりなのだが、やはりここまで来ると多くのランナーがバテて失速に突入していた。
その中を、オレは失速せずにごぼう抜きで彼らを追い抜いていく。
40キロ地点。あと2キロ。 遅くてもあと12分あればゴールできる。
設置された時計が近づいてきた。
時間は、 まだ 、 12時25分。
スタートからまだ3時間25分しか経過していない。
ということは、ここから歩いても4時間切れる!!!
それが分かった瞬間、安堵と共に再び走る力がみなぎってきた。
ゴールまで2キロは川沿いの直線。
再びのごぼう抜き。
沿道の人たちが、手を振って声をかけてくれる。
それにオレも、腕を突き上げて応える。
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