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合戦小屋での有意義な休憩を経て、目的地でありテント場のある「燕山荘(えんざんそう)」へと向かう。
急な感じがするけれど、ゆっくり適切に体重移動すれば、安全に登れる。
すっかり雲の中に入ってしまっていて、眺望はまったくない。。。。
そのため、あとどれくらいで着くのか、視覚的な距離感がつかめなくなる。
突然テント場が視界に入る。
知らない間に着いたという感じ。
9:00 燕山荘着。どうやら3時間くらいで来れたようだ。
ここのテント場はテントを張れる数が少なく、また場所も限られているため、オレは場所を確保すべく早朝出発した。
そして無事に、良い場所を確保。ほっとした瞬間だった。
こちらが「燕山荘」。
山小屋ではあるが、立派な作りで、別館もある。
中へ入り、受付でテント泊を申し込む。1人700円。
テント手形なる札をもらい、それをテントにつけておいてくれとのこと。
さて、テントの設営開始。
自宅では2回ほど練習しておいたのでスムーズに取りかかれる。
まずは本体に、アルミフレームを通し、立ち上げる。テントを固定するために地面にペグという杭を石でガンガン叩いて固定する。
次に、ターコイズカラーのフライシートをかぶせ、テント紐をまたペグで地面に石で打ち込む。
完成。
こちら。稜線を吹き上がってくる風も避けられ、他の方の生活音も最小限に抑えられそうな場所に設営することが出来ました。
しかし、天気予報では晴れだったが、そこはやはり山の天気。ひたすら真っ白な景色。
何も見えない。
天気が良ければ、隣りの大天井岳(おおてんしょうだけ)まで行こうかと思ったけれど、早々と断念した。
テント場所を確保し、暇になってしまったので、小屋周辺を散策へ。
下を見下ろすと、次々に登山者が登ってくるのが見えた。
小屋には売店というか喫茶店もあり、コーヒーやらビールやら、「ケーキセット950円」なんてものまである。
まるでスタバかのように、窓際にテーブル席(夜には食堂になる)があり、そこで食べられるのだ。
山小屋の中を見て回りたかったが、どうやらチェックインの時間が10:00からということで早く着いた登山者はそこらで時間をつぶしているようだった。
ただ、中の売店はやっているため、バッジやらTシャツやらを見る。
かわいいので後で買おうと思った。
燕山荘前広場。
有名な「槍ヶ岳」へも行ける。
数分だけ雲が切れる。
燕岳の頂上が見えた。
こちらは、槍ヶ岳方面の稜線。
燕岳をバックに、写真を撮ってもらう。オレもその方の写真を撮る。
この日見えた槍ヶ岳はこれっきりだった。
なんやかんやで11:30。
お腹が空いてきたのでテントの中でお湯を沸かし、群馬が誇るペヤングソースやきそばに注ぐ。
3分待っていざ食べようとしていると、テントの外、すぐ横で荒々しい声が聞こえた。
「 あー、きつい、やっばいきつい。
ぜいはぁぜいはぁ。」
オレの隣りはまだ空いていたので、テント泊の人がやってきたのかもしれない。
テントの通気口から外を覗いてみると、同い年くらいの男性が、疲労のためか倒れこんでいた。
「は〜、マジしんどかった」
その男性はまるで得体の知れない恐ろしい物からでも逃げてきたかのように、ザックを背負ったまま地面に突っ伏していた。
すると、もう1人、友人らしき男性がやってきた。
「おいおい、ぶっ倒れてんじゃん」
2人のザックはその大きさからテント泊だとすぐ分かり、どうやらオレの隣りに陣取るようだった。
オレは、ペヤングを半分ほど食ったところでテントから顔を出して挨拶をしてみた。
「こんにちは」
「あ、どうも、こんにちは」
ふたりはテント設営中だけれど、愛想のよい返事を返してくれた。
しかし、どうも2人にしてはテントが小さい。
この2人の会話を聞いていると、
友人が「え、これ、2人寝れんの? え、大丈夫? 昨日の車中泊もかなりしんどかったのに」
どうやらお二人でテント泊へ来たのは初めてな様子だった。
「寝れる寝れる。余裕だよ。 たぶんな・・・」
そうは言うものの、オレのロトのモンベルの2人用テントの三分の二くらいしか寝る面積がない。
しかも男性2人。
「まあ、くっついて寝ればいんだよ。夜は寒くなるだろうしな」
「マジか〜」
テント設営中の2人と、そしてそれを見ているオレの笑い声が、テント場に響いた。
楽しそうなお二人だった。
几帳面そうな友人に、ラフそうな男性。
恋愛も同性同士も、性格が対称的だとうまくいくことをオレは知っている。
そして、たぶんオレも仲良くなれるタイプだとも思った。
男性はKさん。 この後、ずっと行動を共にすることになる。
ペヤングを食ったオレは、まずは燕岳(つばくろだけ)の山頂を目指すことにした。
目指すと言っても、もう急傾斜はないし、10分くらいで着ける。
アルプスの雑誌には必ず載っている「イルカ岩」。やっと実物を見れた。人の背丈くらいかと思っていたら、もっと巨大な岩でビビる。
花崗岩が乱立する燕岳への道。
岩が、まるで波のように押し寄せ来るようです。
燕岳、頂上。2763メートル。さすがに大勢の人で混雑している。
自撮りは、カメラを置く位置が難しい。
時間はあるので、さらに先の北燕岳(きたつばくろだけ)へやってきたら、誰もいない。
クジラ岩を発見する。
少しすると、数メートル先のこのクジラさえ見えなくなるほどの濃霧に包まれてしまった。
見渡す世界は白一色。
感じたことのない幻想世界に包まれた。
人も、人の声も、何もない。
最初は、ぼんやりとただ座っているだけだったのに、次第に聞こえてきたのは
自分の脳内に流れる自分の言葉、考え。
先週の土日、Oさんとここへ一緒にくるはずだった。でも、親父の体調のことで
家を離れられなかった。
回復には向かったものの、オレは今日ここへ来てよかったのだろうか、また何かあったらすぐには戻れない、それどころかケータイの電波もわるい。
手放しでここへ来たことを喜べていない自分がいることに気付いた。
登山とは旅なのだと、以前考えたことがある。
旅とは自分と向き合う時間なのだと考えたことがある。
そして自分と向き合ったことを何かの形で残さねば、成長はできないと思っている。
バンドや歌手であれば、曲。ダンサーであればダンス。画家であれば、作品。スポーツ選手であれば記録、活躍。
では一般庶民のオレはどうしたらいいのか。 オレは思考の一字一句を残しておくことなんだろうと思う。
以前は、どこへ行くにもメモ帳を常に携帯していた。 今は、iPhoneのメモ機能になった。
記録しておいて、後で読んでみる。
自分とは思えない、その瞬間にしか存在しないオレが、言葉から感じることができる。
登山の時、登山口へ下山すると寂しい気持ちになる。 終わってしまったというより、
まだ頂上には色んなことを考えている自分が下山せずに残っていそうで、
オレは山に向かって、
「また会おうな」
と過去の自分に告げてから帰る。
これを書きながら、過去の自分がそこにいたことが愛おしくもある。
そういえば、と思うことがある。
ケータイで意地でも自撮りをして風景に自分を写そうとする人がいるが、
そもそも写真に自分を残すことは、「そこに自分がいた」という確固たる証を求めているのだろうと思う。
その時、確かに自分がいた。その実感は、そこを離れた瞬間から流れる霧のように消え去ってしまう。
風景写真だけでも来た証になるのに、なぜ自分の姿を収めるのか。
少しまた、人間というものが分かってきた気がした。
③へつづく。
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