パルコール嬬恋のゴンドラ駅 到着 10:25
山頂ゴンドラ駅 11:00
四阿山 山頂 12:15
お昼 45分間
下山開始 13:00
山頂ゴンドラ駅 帰着 14:25
パルコール嬬恋のゴンドラ駅 14:50
トータル 4時間半くらい
梅雨明け発表を聞いてからずいぶんと長い間、青空を見ていなかった。
テレビでは、キャスターが「カラ梅雨」と言っていたり、「気候がおかしい」と言っていた。
登山へも行っていない。
まだ登山2年目のオレは、山へ行く時は完全に晴れの時だけ行っていた。
初心者としては、「晴れていないと気持ちよくない」という心情があったんだと思う。
それでも、登山シーズンが始まっているのに、1ヶ月以上も行けてない状況がもどかしい。
天気予報を見て、行ける、と判断して計画していても、突然前日に雨予報に変わったりした。
「マジかよ・・・。」
天気に愚痴ってもしょうがないけれど、落胆は否めなかった。
ついでに勢力の強い台風5号ってのが来ていて、泣きっ面にハチ。
何も、天気や台風に振り回されていたのはオレだけじゃなくて、九州から関東まで多くの人に影響があった。
天気や天気予報がコロコロ変わるそんな中、曇りの予報でも朝晴れていれば山へ行ってしまおうと決断。
土曜日の朝、6時半、目覚めるとカーテンの向こうが明るい。
「晴れてんじゃねーか」
快晴とは言えないが、青空だ。
よし、行こう。
候補の山は2つ。新潟県の湯沢にある平標山(たいらっぴょうさん)か、群馬嬬恋村の四阿山(あずまやさん)。
どちらも家から1時間45分以内に着ける。
平標山は、コースタイムが7〜8時間。
昨日のマラソントレーニングで、実は起きた時に体が重かった。夏バテもあるのかもしれない。
夏になると、暑さにめっきり弱いオレはバテる。
四阿山には、群馬側からロープウェイがある。それを使えば往復3時間ちょい。
ここは日本百名山で長野県側から登ると稜線の素晴らしい景色があるようだが、やはりコースタイムが長い。今の疲れを考慮するとロープウェイを使って登るのもいいか。
高速を使わなくても、した道で行けるのも利点。
慌てていたせいで、日焼け止めを忘れたり、実際には持ってきていたのにプロテインを入れた水筒を忘れたと思って、引き返したりで、やっと向かい始めたのが8時過ぎ。
久しぶりに国道の旧18号を通り、軽井沢を抜け、嬬恋村へと入る。
パルコール嬬恋リゾート入り口。
廃墟感がたまらない。
「パルコール嬬恋」へ到着。 10:25
スキーリゾートで、ホテルとなっている。目の前には広い芝グラウンドがあり、おそらくどっかの大学生のサークルだろう、サッカーをしていた。
う〜ん、外界は晴れていても、山は曇っていたか・・・。
ホテル内に入ると、「バイオハザードVR」かと思うような廃墟感がある。
オレが中学生くらいの頃の「UFOキャッチャー」が現役でおいてあった。機械から流れてくる音楽が懐かしい。よく「まんぷく亭」でやっていた。
「エアホッケー」があった。 100円で2人で楽しめるのでやった覚えがある。
このゲーセンには、アイテム「サブマシンガン」が隠されていそうだ。
ホテルの通路を抜けて、ゴンドラへ向かう。
こんな空間に出る。
VR感が満載。
スキー場ですね。ゴンドラ乗り場。パルコール嬬恋の一番北側。
ゴンドラ往復 2000円。
乗ります。
夏の、深い森の中を行く。
昨夜、「ジュラシックワールド」のテレビ放送を見ていたもんで、
こういう森をゴンドラに乗って見下ろしていると、
恐竜でも出てくるんじゃないかと思ってしまう。
山頂ゴンドラ駅 着。
冬には、スキー、ボードの方々がここからゲレンデに行くようです。
外観。
眺望は何もないけれど、観光で来た方がいます。
愛妻の鐘。 嬬恋村の町おこしです。
その目の前が登山口入り口。
見上げると雲の流れは早く、時折青空が姿を見せます。
スキーリフト降り場。
廃墟かと思いました。
ここを右に反れて森の中へ入っていきます。
最近続く、雨や曇のせいで登山道がぐちゃぐちゃです。
あずまや山。 地元名の「吾妻(あがつま」という漢字も使われています。
木製階段。 一段一段の段差が高すぎて、壁のように感じます。
苔の碧さに、経年のロマンがあります。
雲が切れ、外界が見えました。
木道が、数十メートルだけ現れます。
木製階段が数十メートルだけあります。
山頂への最後の登り。鎖はありますが、あまり使わずに登れます。
コースタイム1時間40分のところ、1時間15分で登頂しました。
曇っていて眺望がないと足を止めて眺めたり、写真をじっくりとったりもほとんどしないし、
マラソンのトレーニングも兼ねたつもりで登ってきたので早い。
頂上には、古い社があって、この山の歴史を感じることができる。
仏教の国、日本だから当たり前になってしまっているが、たいていの山頂には何らかの社がある。
そういった点でもオレたち登山者は仏教を無意識に感じているわけだ。
もし山頂にキリスト像が立っていたら意識的に「なんで???」となるだろう。
ミャンマーを旅して感じたことは、仏教という宗教への信仰の厚さだった。
今や登山はレジャー、エンターテイメントだけれど、何百年も前は「神」に会いにいくための行為だったんだと思う。
天狗伝説も然り、「霊峰」と呼ばれる山があるように、山には神が宿っていると伝わってきた。
非日常の景色を眺めていると、オレは山へは、ただのレジャーで来ているわけではないように、なんだか思えるんだ。
・・・・・・・・・・
アイテム「ロトのモンベルのミニチェアー」を取り出し、お昼にすることに。
ミニチェアーは本当に重宝する。
大抵の山頂は、石か岩が転がっているけれど、座り心地はわるい。かといって地面に座るともっと座り心地はわるい。
わずか300グラムのこのミニチェアーがあるだけで、山頂での休憩がかなり快適になる。
これはマラソン大会参加の時にもかなり使える。
土曜日ってことで山頂には、大勢の人が訪れていた。群馬側、そして長野側から次から次へとやってくるが、座っている登山者も気を使って早めにどいて下山してくれる。
雲の切れ目をねらって、写真を撮る。
これらの雲が、決して留まることなく流れていく。
長野県側の稜線。根子岳。
山頂で写真を撮っていると、男性が声をかけてきた。
「あの、写真、撮ってもらえますか?」
振り返って見ると、20代後半くらいの
ブーちゃんだった。
いや、失礼、、、小太りの男性だった。
その後ろには、他に男性1名、女性2名。どうやら4人で来たようだ。
そういえば、さきほどの写真に映っていた彼らだ。
青帽子の彼は、関西弁だった。
「いいですよ。」
そう言ってオレは、社会人としての役割を果たそうとした。
彼のiphoneを受け取り、一枚、二枚と撮ってあげた。
スクリーン越しに見るそのアラサー女子が、お約束というか、両手を広げてポーズを取っていたり、男性がピースをしたりしていて、ちょっと楽しそうな雰囲気を伝えてきた。
その時オレは、
張り倒してやろうかと思った。
しかし、張り倒してしまうとこっちの写真を撮ってもらえなくなるため、
こちらも写真をお願いする。
すると、女子AがオレのSONYのミラーレス一眼レフを見てこう言う。
「わあ、ガチカメラですね」
確かに彼らは4人いて、そういったカメラを誰も持っていないようだった。
べつにそれはいい。ケータイカメラでも十分きれいに撮れる。
しかし、オレがイラついたのはそこじゃない。
嫌いな単語ワースト3に入る言葉「ガチ」だ。
もし「another sky」に出演して、嫌いな女性はどんなタイプかと聞かれたら、オレはこう答える。
「そうですね、ガチ、って言う人・・・ですかね。 あれ、苦手なんです」
もっと他に語彙はねーのかオイ。
若ぶってじゃねー!!!
そこでオレは彼らに言ってやった。
戦慄はまだ続く。
次に、女子Bがオレの「ロトのモンベルのTシャツ」の魚のデザインを見て言う。
女子B↓
「このイラストかわいいですね〜」
初対面で馴れ馴れしくTシャツ褒めてくるんじゃねー。
そしてオレはこう言ってやった。
男性Aは、デジカメの使い方さえ知らないのか、シャッター半押しでピントをあわせることも知らないようで、オレのカメラのシャッターをいきなり押し込み、写真を撮る。
あの・・・・
ピント、大丈夫っすか??
ピント合わせくらい知ってろバカヤロウ。
それがこちら。
大丈夫だったようだ・・・・。 一部オート設定にしておいて良かった。
一眼レフが身近になった今でも、「写真はケータイでしか撮らない」という20、30代も存在し、ピントの合わせ方をしらないという事態が起こっているうようだ。
・・・・・・・・・・・・
さて、周囲のおじさまおばさまと談話をし、下山前にファイト一発します。
来た道を戻る。
あっという間に曇る。
山頂の喧騒を離れ、再び森の中でひとりきり歩いていると、徐々に霧に覆われる。
この状態を一般的にはよく、山へ行っても眺望がなくてガスってて残念、というような表現をするんだけどオレはその時そう感じなかった。
登ってくる時もそうだったけれど、それを「幻想的に」感じることができていた。
霧の一粒一粒が、見える。
いつもいつも晴れの日に登山をしていた。
こんな濃い霧に囲まれたことはなかった。
別の世界に入り込んでしまったような、そんな気さえした。
森の中で、ひとり、先が見えない。 前にも後ろにも誰もいない。
ふとして足を止める。
耳に入る全ての音声も消える。
数メートル先の霧の中から、誰か来るような気がした。
「川島さん・・・」
人影が見えた。
川島さんは、35歳くらい年上の友達だった。21歳の頃のとある配送センターのバイト先で知り合ったおじさんだった。
毎日、一緒に働いていた。離婚をしていて、男ひとりで小さな狭いアパートに住んでいた。
職場での立場は、大して違いなかった。だから、フラットに何でも話せた。
よく夕飯を食べに行ったり、コーヒーを飲みに行ったりもした。
オレがその職場を辞めたあとも、定期的にご飯を食べに行っていた。
川島さんは、口癖のようにこう言っていた。
「若いころは登山にしょっちゅう行っていたよ。おかちゃんも今度一緒に行こう」
20歳そこそこの当時、オレは登山にはあまり興味がなかった。
連れて行ってくれるなら、行ってみたいかな、そんな程度だった。大掛かりな装備がいるような、ちょっと足を踏み入れられないイメージはあった。
本気ならともかく「趣味」に使えるような金もなかった。
ある日、川島さんと夕飯に行く約束の前日、待ち合わせの時間や場所を決めようと電話をした。
けれど川島さんは出なかった。留守電だけは残した。
当日も、電話に出なかった。かかってもこなかった。
ギリギリまで待って、ひとりオレは、吉野家で食べた。
その次の日、川島さんから電話がかかってきた。
電話の相手の声は、離婚した奥さんの元にいる娘さんだった。声を聞いた瞬間、川島さんはもうこの世にいないんだと、なんだか悟った。頭が真っ白になった。
「おかちゃんですよね? 話はよく聞いてました。お父さんのケータイに残ってた留守電を聞いてかけました。解約しようと思ったら留守電に気付いて・・・」
予感とか、虫の知らせとか、人間にはなんだかそなわっているようだと感じたのはその時が初めてだった。
突然死だった。
もう数日前に告別式も終わってしまっていた。
最後に話したのは一週間前、夕飯の約束をするのに久々に電話した時だった。
娘さん夫婦の家に駆けつけると、花に囲まれた川島さんの遺影があった。
一度も登山に一緒に行けなかった。
霧の中から現れたのは、川島さんと同じような年齢の年配の男性だった。
まだ登って来る人がいたのか。
お互いに挨拶を交わし、またお互いの道へと進む。
人生とはきっとそういうものなんだろう。
それを理解していないと、きっと、別れの寂しさには耐えられない。
ひとりで登山をしていると、時折、川島さんと登っているような気になる。
きっとこんな話をしながら登っているんだろうな。
そんな想像をすることができる。
川島さん家族と一緒に、川島さんが住んでいたアパートを掃除した。
その時、川島さんの部屋にあった風鈴をもらった。
チリーン、と高く綺麗な音色で、今はオレの部屋の外で夏の風に吹かれている。
・・・・・・・・・・
下山してくると、ロープウェイ乗り場の手前で、足を引きずって肩を支えられている年配女性がいた。
どうやら、転んで足をくじいてしまったらしい。
まったく歩けないというので骨折かもしれないとのこと。
オレも手伝い、旦那さんと両側から肩を支えロープウェイまでなんとか歩き、階段を登る。
救急車を呼んでもらい、ロープウェイの下に来てもらうようにした。
一緒にゴンドラに乗り込む。話してみると偶然にも住んでいるところが近い。
旦那さんはなんだか、どうも年齢的にも川島さんに近くて、話していて親しみが持てた。
10分程で下のゴンドラ駅に到着する。再び、肩を組んで奥さんを降車させる。
救急隊員に引き渡すと、旦那さんがオレのような人間に、
「どうも、ありがとうございました!」
と言って頭を深々と下げるのを目にした。
これも何かの縁か。
ひとりで山なんぞを旅していると、いろんな人と出会うことができる。
そういう視点を持つことができる。
もうこの世から旅立った人にも、人生の回想で再会することができる。
ああ、分かった。
オレにとって、登山は「旅」でもあるんだ。
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