The last frontier in Asia. Travel in Myanmar. Part ⑪ ミャンマー。バガン。衝撃の事件が。

Is my Scouter broken?





 

 

バガンのメイン道路を快適に飛ばし、夕焼けを眺めるためにシュエサンドー・パゴダへと向かう。    

 

 

 

 


 

 

 

 





ミミに教えてもらっていたので、迷わず着くことができた。ガイドマップだけだったら確実に迷っていた。  

まだ夕暮れまでは1時間以上あるというのに、数多くのバイク、車が停まっていて、まるでこれからここで祭りでもあるかのように賑わっている。  色こそ違うものの、見た目は同じ電動バイクだらけなので、すぐ分かる場所に停める。  


荒野の砂で汚れた、まっくろな顔をした少年たちが観光客たちにところへかけよって、ポストカードを買ってくれ、とせがむ。  

彼らも生活がかかっているためだろう、断っても必死に食い下がってくる。  


そういえばミミに、 

 「ポストカード買ったけどいらないからあげる」  

と10枚ほどもらったのを思い出した。  


ミミはバガンへ着いた時、彼らと遊んだり、話したり、写真を撮ったりするために、いくつか買ってあげたらしい。  

こういうような少年から買ったんだな。  だけど、思うに、ポストカードが一番人気のないおみやげなんじゃないか。  


スマホで簡単に写真が撮れ、ネットでも好きな写真が探せてしまう時代に、わざわざポストカードを、しかも物売りの少年から買うなんて同情の他に理由が見つからない。  


ポストカード売りにはある種、貧しさの象徴のような影を感じずにはいられない。  


そんな少年たちを、アンコール遺跡群ではよく見かけたが、バガンにもいるとは。それが遺跡の町の貧しさの、氷山の一角なのかもしれない。  






パゴダの周辺をゆっくり歩きたいのもやまやま、花火大会さながらの場所取り合戦が始まっているようなので急いで、パゴダの階段に向かい、サンダルを脱ぎ、欧米人に続いて急な階段を登る。  

やはり、最上段はすでに満員。


立ち見なら大丈夫だけれど、夕焼けまでまだ時間があるため立ちっぱはきついと思い、そのすぐ下の段に場所を取る。  それでも十分な高さがあり、バガンをはるか遠くまで見渡すことができた。    

 

 

 




 



よし、ここに座って休憩も兼ねて、ゆっくりバガンに来た思いを噛みしめよう、などと思ってくつろいでいたらふとして、となりのとなり、わずか2メートル先に「日本人男性と思われる人」がひとりで座っていることに気付いた。  


奇遇だねえ。  


コミュニケーション能力というのが昨今、世間で騒がれているが、オレにそんな適切なものがあるのかどうかは別として、海外へ行き日本人を見かけると、まずその場の雰囲気をきちんと感じ取って、次には人数や年齢、性別などを考慮して、少し様子をうかがい大丈夫そうなら積極的に話しかけることにしている。  

忙しい日本人が海外で、同じタイミング、同じ時間、場所にいることが奇跡。  

そんな奇跡の場面で出くわした人とは、少しは話してみたい。

そうオレは思っている。  


そうやって、年齢、性別、問わず親しくなってSNSでつながっていただいたり、旅の一場面を共有させてもらってきた。  


今のところ一番の思い出は、清潔な国で育った日本人にとっては危険なほど強い感染力のウイルスがウヨウヨいる「ほぼ毒」のような濁った水が流れる、たまに死体さえ浮いているヒンドゥー教の神聖なる川、インドはバラナシという町の「ガンジス川」に、これからまさに裸になって入り、沐浴しようという男性とばったり会い、「あ、日本の方ですか?」という一言で5秒で打ち解け、ブリーフ姿でガンジス川に入った写真を撮ってあげたことだ。  

 


 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 


 

 


そしてそのブリーフは「ロトのブリーフ」と呼ばれ、伝説となって後世に受け継がれた、かどうかは定かではない。    



そんな風に、「持ち前」の「人当たりのよさ」をたぶんきっと持っているだろうオレでも、話しかけるとごくまれに煙たがられることがある。  

確率でいうと10人に2人くらいかもしれない。それを世間では5分の1という。  



ミャンマーの、ヤンゴン国際空港に到着した時もこんなことがあった。  

入国審査の列に並んでいると、すぐ前が日本人男性。お互いただ列に並んで待っているだけだから大丈夫だろうと、 「お仕事ですか?」  と声をかける。


こちらが観光なもんで、一応最初は失礼ないようにそう聞くようにしている。  

まあ、たいていその時の相手のリアクションで分かることだけれど、この方は表情と話し方は石のように固い方だった。 

 「あ、いえ、観光で」 


 「ヤンゴンですか? 他の場所も行かれますか?」 


 「いえ、ヤンゴンだけです」  


この時点で、もうこの方とは話さないほうがいいかもしれない直感したけれど、この人の「話すスイッチ」がどこかにあるかもしれないと思い、 


「ミャンマーでネットって、どうしますか? SIMカード買いますか?」  


などと聞いてしまうと 


「あ、日本でポケットワイファイ借りて来たんで」  


と、非常に固い表情で申されたのでワタクシはそれ以上話すのを断念したのであります。 



 そんなこともまれにあるけれど、とにかくまずは相手が日本人だと判別しなければならない。 


   この、となりのとなり、2メートル先に座っている男性、年は同じくらい、肌の色、顔つきは日本人。

さてどうだろうか。    

例え顔が他のアジア諸国に似ていたとしても、日本文化に由来する隠せない独特の仕草、雰囲気、それに髪型やファッション、持ち物で分かる。特に髪型は各国の流行が顕著に表れ、明確な違いが分かる。  

それらを念頭に20秒ほど、チラチラ見て様子をうかがう。 



うん、日本人だ。間違いない。確信した。 

もし、「海外における日本人旅行者判別能力検定」、略して「日検」(にちけん)があるのなら筆記、実技試験共に一級に合格できるほどの腕前を持つオレが日本人と韓国人や中国人を間違えるはずがない。  


そして、オレはいつも通りに話しかけた。   

 「日本人の方ですか?」と。  

ワンテンポ置いて、 


 「あ、ああ、そうです。」  


と返ってくるはずだった。 


  返ってくるはずだったのに、





しかし!  







衝撃の結末が待っていた。  






彼は、どこか、オレの視線に気付いていて、声をかけてくることをすでに予想していたかのような、身構えていたような緊張した面持ちだった。


その表情筋の使い方もまた日本人を確信させるものだった。  



そして彼は、完璧な日本語の発音、日本語独特の波のないイントネーションでこう言った。 



 










  

 


 



 「あいむ ちゃいにーず。」 



 

 




 

 





 







  















まさか、スカウターの故障か?

 

 









いや、そのカタカナ発音、、、完璧に日本人だ・・・。  





あの時の、まるで一瞬の突風にあおられたような衝撃はまだ覚えている。  

「日検一級」を持っているオレに、「私は中国人です。」という意味の言葉を彼は言い放ったのだ。  


まるで、中学生が英語の教科書の一文を読むかのようなカタカナ発音の可愛らしささえあった。 


 中国人、そんなイントネーションで言わないよ?  


ほんの少しでも発音に癖があれば、オレの「心と書いてハート」が傷つかずに済んだのに。。。。




いや待て!



そもそも、本当に中国人だとして、なんでオレの日本語の質問の意味分かったんだ??  



え?なんで? 


日本人かどうかを聞いたオレの質問の意味が分かったってことだよね?    


認めたようなもんだよね?   




そんなブッサイクな嘘ついてまで、ぼくと話したくなかったんですか?  




そんなに話しかけられたくなかったんすか? ごめんよ・・・。    



ぼく、ちょっと話したかっただけなんすよ・・・。  


同じ場所に、同じ時間にきて、ばったり会った日本人同士、ちょっと話したかっただけなんすよ・・・。





あまりにも露骨に分かってしまったので、オレは、随分気まずくなってしまった。


彼もきっとそうだったんだろう、その証拠にせっかく夕焼けのために確保した場所を放棄してまで、数分後にはどこかへ移動してしまった。    


とその直後には、大勢の観光客が押し寄せるその中に、これまた奇遇にも午前中に行ったパゴダで会った日本人、Tさんを見つけ、再会。

嘔吐、下痢の友人はまだ回復せずゲストハウスで寝ているとのことで、ひとりで来たとのこと。


そしてまたまたその直後には今夜夕飯の約束をしているKさんを人ごみの中で発見、再会。 すごい引き具合を持っているオレ。  


結果、男3人でお互いの一日の話が始まり、情報交換などをして、先にKさんは帰ったものの、有意義な時間を過ごすことができた。  

 

 

 

 

 

Tさんと。


夕焼けはバガン到着日ほどの燃えるような朱色は見れなかったが、それはそれで満足だった。  




帰り際、電気バイクが大量に停めてあるため、Tさんが自分のをどこに停めたか忘れてしまい、かなり焦っている様子で一緒に探したけれど見つからないためオレは売店でコーラを買って飲んで、おばちゃんと話していました。ごめんなさい。  



その後、Tさんは観光の時間が今日しかないということで、 

「オールドバガン見てくる!」 

と、すでに暗くなり始めた古都に消えていった。 


後に、帰り道が分からず迷って15分で帰れる道を1時間以上かかったとの連絡あり・・・。 


その夜、ゲストハウスの近くのレストランでKさんと共に夕飯を食べ、彼は夜行バスでヤンゴンに戻るとのことでお別れした。  






Kさんと。




 

 

 

 



長い一日だった。  





こんなに楽しく、長い一日は久しぶりだった。  





子供の頃は、一ヶ月、半年、一年なんて、まるでそれが永遠かのような時間の中で生きていた。  


大人になって働き出すと、その時間の流れが不思議と急速になってしまう。  


毎日、あるいは毎週のように会っていた友人ともその間隔が数ヶ月とか、いや、それ以上になってくる。 



男という生き物は、女性が理解できない幼さとかロマンとか、アホな部分があって、それはいつになっても消えなくて、逆にそれで食っている人もいたりする。  


以前、友人らと「弾丸男旅」と称して行き当たりばったりの、早朝から深夜までのギリギリ日帰りの無茶苦茶な旅をしていた。 


無茶苦茶すぎて楽しかった。  


こんな文を書きながら、ふとしていつかまたそんな旅に行きたいと思った今日この頃です。  


つづく。 

おかやんの「とりあえず何でもひとりでやってみる」ブログ。

やりたい事は悩みながらなんでもやってみる。結果的に楽しんでる!また、何かに特化して書いているわけではありません。 書きたいことをごった混ぜにしてネタをブチ混んで書いていますhttps://www.instagram.com/the_unending_world/?hl=ja

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