The last frontier in Asia. Travel in Myanmar.Part ⑩Bagan's Beauty③ ミャンマー バガンの美女③ 

Soemingyi Kyanug 

There were nothing here in Bagan except for the beautiful people and the history . It was a view like old Japan that I'll never remember for the rest of my life.

It warms my dirty heart. I'd like to come back here again someday...


バガン「アベヤダナ寺院」  

 


ガイドブックに記載されている壁画が美しいので行ってみる。

どの寺院、パゴダもほとんど英語表記がないため、ここがどの寺院かは分からない。  

偶然見つけてたどり着くことも多い。 

このアベヤダナ寺院は内部が写真撮影禁止のため撮れず。

 内部は自然光のみで薄暗い。目が徐々に慣れてくると同時に、その薄暗さに浮かび上がる壁画。「フレスコ画」というらしい。その美しさはバガン屈指と言われ、ヒンドゥー教の神々まで描かれている。

ネットより写真拝借。  

暗闇に浮かぶこの菩薩像を見た時は、何か訴えかけられているようで鳥肌が立った。

アンコール遺跡群や、インドネシアのボロブドゥール遺跡などの風雨にさらされた仏像や建物とは違い、建物内に描かれた絵が1000年の時を超えてもなお現代の人々にその素晴らしさを見せていることはなんともいえないロマンを感じずにはいられない。



入り口では、露店が出ていて絵を売っている。  

バガンではいたる所で「砂絵」、「サンドピクチャー」を売っている。その名の通り、砂で絵を描いたものだ。 


それは大きなものから小さなものまであり、デザインも風景、人物、仏と様々だ。 その多くは大量生産されてどこの露店でも同じようなものを見かける。  


でもここでは、本当に個人で描いているものらしく、その男性は「私が描いている」と言って名刺をオレに差し出した。  


砂絵というものがどういった風にキャンバスに描かれるかは分からないが、そこに並べられている仏陀の大きな砂絵がオレの足を立ち止まらせた。


色彩の使い方がとても美しく、仏陀のデザインもとてもシャープで綺麗だった。

男性と値段や絵のコンセプトなどを10分以上話し、自分の部屋に飾るイメージを浮かべてみたけど、カンボジアで購入したアプサラを踊る女性の油絵があるため今回はあきらめることにした。


男性の、緩やかに話す微笑みが印象的だった。今から思えば、買えばよかったと後悔している。




 バガン「ソーミィンジー僧院」  

 


 荒野に巨大なパゴダがあり、バイクを停めて太陽の眩しさに目を細めて眺めていた。



すると、一人の女の子が草かげから現れた。  

まさかオレを見つけて、やってきたのか。  

 

 

 



少し英語を話すようだ。 

 「向こうに寺があるの。景色も綺麗よ。それに私の家族が作っているお土産があるから見ていって。」

と言う。  

きた、今度はそのパターンか。  


私の家族がお土産作っているから買ってねパターンだ。


インドでも何度も出会ったパターンだ。

でもインドでは、青年かオッサンのどちらかだった。  


この女の子、高校生くらいだろうか。ニコニコしてオレを見ている。 


 「じゃあ、案内してくれる?」    


オレはバイクの後部座席をパンっと叩き、「ここに乗って」と言うと、一瞬、女の子はびっくりしたようだが、すぐにオレのバイクにひょいと乗った。 


またいで乗るのではなく、いわゆる「耳をすませば」乗り、ってやつか。 

誰もそんな呼称してねーか。 



 で、走りながら思った。  なにやってんだ、オレは。  


バガンへ来て、荒野で突然会った子を乗せていったいどこへ行こうとしているのか。 


暑さと疲れで徐々に判断力が落ちてきている、とでも言い訳をしておこう。  


うん、もはや行くか行かないかのオレの判断はそこらへんに委ねているようだ。 


 パゴダの後ろに回ると僧院があり、この子の家族と住居と思われる高床式の小屋が並んでいた。

  外国人のバイクの後ろに乗って戻って来た娘を見て、母親と思われる女性が爆笑。


 「アハハハ、アンタ何やってんだい」的な会話をしていると思われる。


 「こっちよ」  


バイクを降りた女の子が指差す方向には、レンガ作りの建物がある。  

ガイドブックによれば、ここは12世紀、僧侶の修行所、僧院だったとのこと。  

広場があり、開放感がある。 


「ここから上に登れるわ」


  女の子がさらに案内する。

レンガの階段があり、上っていくと僧院のテラスに出た。年配の欧米人夫婦もいる。  

木の高さと同じ程度に上っただけなのに、バガンの大地を360度眺められ、ここが本当に何もない荒野だと分かる。  

 

 

 

 





再び降りると、女の子が待っている。お土産かってくれタイムだ。


年齢を聞くと17。 学校は?と聞いたら、数日はミャンマーの祝日で休みとのこと。そういえばミャンマーの独立記念日だと聞いた覚えがある。

言われてみると確かに、そこらじゅうで子どもたちを見た。


その子はプラスチックのイスを持ってきて、遺跡の日陰に置く。家から大量の布を運んできて、そこに広げた。  今回はどうやら「砂絵」らしい。  



見ると、どうやら大量生産されているものらしく、どこでも見かけるデザインだった。女の子は、がっついて買わせるわけでもなく、 


「これは仏陀ね、これはミャンマーの神様たち、これは男女の絵ね」  


と説明しながらオレに一枚一枚見せていく。  そして言う。 


 「どれが欲しい?」 


 「いや、どれも欲しいとは思わないが・・・」  



 「そう。 じゃあ、これはどう? う〜ん。 そうそう、こんなのもあるわ」 


  女の子、放っておくと次から次へとずっと説明をしてくれる。そしてオレはそれをただずっと見ている。


なんだか不思議とそれが癒やされる。

話すスピードがとても緩やかなので、圧迫感がない。そのままオレがいなくなっても気づかないんじゃないかと思うくらい熱心だ。   


結局「ごめん、いらないよ」と断ったけれど、女の子も


「そう、分かったわ」


と特に嫌な顔せずむしろ微笑んで、フフフンと鼻歌を歌いながらまた大量の絵を一枚一枚片付け始める。  



けれど、売れなかったそれらを丸めて片付けている姿に心痛めてしまうのはオレの、心と書いてハート、がまだ日本の社会に汚されていない証拠だろうか。  

もう、癒やし料として何か買ってやってもいんじゃないか。 日本人はこうだから、かなわん。

余計な情を勝手に感じて、何かしてあげたくなっちまう。きっと、オレの母親がそうしてきたのをオレは見ているし、母親だったら買ってあげているはずだ。


「ちょっと待って。小さいのはいくらだっけ?」  


思わず、そう口に出ていた。 


 「小さいの? 3000チャットよ。こっちのは2000チャット」 


 200円か300円。悲しいほど安い金額に思えてくる。 


「小さいやつ買うよ。 他にも見せて」  


オレがそう伝えると女の子は、再び、丸めた布を解いて、緩やかに説明を始めた。 


「これは、ミャンマーの神様。うん。そうそう、こっちはバガンの風景ね」 


  男女が仲良さそうに歩いている絵を選んだ。女の子が、新聞紙に包んで渡してくれる。そしてまた、彼女は大量の砂絵を一枚一枚巻いて片付ける。


この子はいつからこうやって絵を売っているんだろう。 日本とはあまりに異なる文化や環境。


もし日本だったら、


もしここが都市だったら、


もっと働く場所はあるはずだ。


最近は、大学生がごくふつうにキャバクラでバイトをするとも聞く。それが必ずしも楽して稼げるとも言えないが、短時間で高額を稼ぐことはできる。

物価や金銭感覚が明らかに違うこの国の、このバガンで生きるこの子は、外国人旅行者たちをどんな目で日々見ているんだろう。


この子もいつか、先進国と呼ばれる国々のお金の事情を知るときが来るんだろうか。


マンダレーのホテルで働いていた青年。 彼は、色々なことをしっかり理解し、つかんでいた。


彼は、いつかそういった国に行くんだという信念をもっていた。今いる環境が理不尽で、不満なものだと認識していた。

マンダレーという大都市が彼をそう成長させたのかもしれない。客としてやってくる多くの外国人と話して、色んな情報を得てきたのかもしれない。



じゃあ、この子はどうか。 

もしかしたら、この狭い町、バガンを一生出ることはないかもしれない。

スマホが普及しても、ミャンマー語で得られる情報はまだ少ない。世界がどんなことになっているかなんてきっと知ることなく、ここで生きていくのかもしれない。


きっと性格がおだやかなんだろう、行動ものんびり。鼻歌を歌いながら、砂絵を巻くその姿をオレはずっと眺めていた。  




 

 







その後、今度はその子のお姉さんと思われる、体格の良い、そして話の勢いがある女性に捕まり、

 「こっちも見ていって! ね! 買っていって!」   

と半ば強引に連れて行かれる。 


「砂絵はもう買ったからいらないよ」

と言うと

「アクセサリーがあるわ」、と、1000チャットよ、と言われ、もう苦笑いで購入。   

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 





 結局、ここに何しに来たんだか分からない・・・。  

ただ、トータル500円にも満たないお土産を買い、現地の人と話し、それが面白かったならOKだ。

写真も撮れた。思い出になるし、なによりこうして書くネタにもなってる。    


アクセを買ったお姉さんにダメ元で、


「家の中、見ていい?」


と聞くと全く気にしない様子で「どうぞ」と言うので、敷地内に入らせてもらう。  


バガンの村の高床式の家。床は竹か? 風通しはよさそう。  




どうやって電気を確保しているのか、炊飯ジャーらしき物や、テレビもある。


車用のバッテリーがあるのかもしれない。ニワトリが数羽、放し飼いにされていた。  

 

 

 

 



そんな環境で、小さい女の子が裸足でスマホのゲームに熱中している。  なんとも不思議な光景だ。 


 

 

 

 



 ミャンマーは、ケータイ電話というのがスマホから普及したらしい。ガラケー時代はないようだ。  スマホは、バッテリーが充電でき、レストランなどでフリーワイファイを使ってゲームでもダウンロードできればいつでもどこでもゲームができる。  

 


日本であえて例えるなら、洗濯機やカラーテレビが一般家庭に普及した頃の時代、1970年頃に、突然スマホもそこに登場した感じだろう。中国製の安価なものだろうが、それでもド肝を抜く文明の利器には違いない。    

 


その僧院を離れる時、自分だけが元の世界に帰るような気がして、一度バイクを停めて振り返った。


  家族の日常がそこにあった。この先ずっと、それは変わることのない光景だろう。  


いやむしろ、昔から変わらない景色の中に、観光客のオレのほうが勝手に入り込み、また出て行くだけなんだ。


きっと、ただそれだけのこと。  オレが住んでいる田舎と同じようにまた、ここも100年、200年と変わらない景色なんだ。



時と共に変わりゆくのは、人の心だけ。





そしてオレは一言、彼女らにこう言い、僧院を後にした。



 

 

  

  

 

 

 


 

   

 

 

 




 「いい夢見ろよ! あばよ!」







 



 

 

 

 


 決まった・・・。








 

 

 

 


 完全に決まった・・・。 



 

 

   

自己新だ。

 

 




  夕暮れまでは、まだ時間があったが「シュエサンドー・パゴダ」でサンセットの場所取りをするために早めに向かうことにして、余韻に浸る間もなくバイクを走らせた。  


 バガンの風を切りながら、またいつか、あの場所に行ってみたいと思った。  

 

 


おかやんの「とりあえず何でもひとりでやってみる」ブログ。

やりたい事は悩みながらなんでもやってみる。結果的に楽しんでる!また、何かに特化して書いているわけではありません。 書きたいことをごった混ぜにしてネタをブチ混んで書いていますhttps://www.instagram.com/the_unending_world/?hl=ja

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