Journey is like Life. Life is also like Journey.
Saying Goodbye is beginning of next story.
People I met in a journey always give me something important to think about my life.
There are many pairs of encounters and separate ways in life and we have to experience those.
My dad is physically weak and can't go abroad any more. So, my mom takes care of him every day. She also doesn't go anywhere because of it.
So , I take lots of pictures and movies with a good camera in foreign country and take pictures and the small stories to my home to show my parents them.
They can draw on my experience at home. Their smiles make me happy always.
I want to keep doing it until the time I have to say goodbye to them.
I want to get to know who I am by traveling and talking with all kinds of people around the world.
There are so many things that I still have to get done in this life.
yeah...This world is still beautiful.
バガンの遺跡に上って朝焼けを見るために、早朝5時に起きる。
5時半にミミと待ち合わせをしていた。
疲れが溜まっていて、なかなか起きられない。
リポDでも飲みたいところだ。
外へ出ると、まだ真っ暗。それに、少し寒い。アディダスのジャージの上下を着て、さらにその上にウインドブレーカーを羽織っていても、頬をなでていく風はやはり冷たい。
早速、LEDライト点灯。バガンの夜明け前の町を圧倒的な明るさで照らしてしまい、情緒がなくなるため、アイフォンに変える・・・。
静まり返った町でも、光のなかに砂埃が浮かび上がっている。
前払い予約していたEバイクを借りにいく。8000チャット。
5時から店は開けていると言っていたが本当に開いていた。
見た目は原付き。バッテリーで動くため、排気ガスもないしうるさいエンジン音もない。スピードもマックス40キロくらいは出るらしい。
ミミがやって来ると、フミヤさんの義理の妹だというおばさん、二人乗りをするなら、あと3000チャット払えと急に言い出す。
「なんでだよ。払わねえよ。」
「ノー。 ユー ペイ」 と揉める。
重いからバッテリーが余分にかかるんだ、とおばさんが言う。バッテリーが減ったら、帰ってきて充電していいって言ってたのに2人乗りってだけで追加料金か? 東南アジア特有のぼったくりにしか思えない。
ミミも、なんで払わないといけないのか食ってかかっていたけれど、これから日の出を見に行くっていう早朝から、しかも暗い中でそれ以上言い合うのもこれ以上面倒なので2000チャットにまけさせ払う。2000チャットでいいって言うんだから、ただ金が欲しかっただけだろ。くそう。
「いいの?」
ミミが申し訳なさそうにオレを見る。
「いいよ。2000チャットくらいおばさんの小遣いにくれてやるよ。日本円で200円くらいだから」
そうは言うものの負けた気がしてならない。東南アジアでは、言わなかったもん負けだから、大人しくて言われるがままの日本人は常にカモにされる。
そしてオレはカモになった。
「ありがとう。もうここで借りないほうがいいね。そういえば、他の日本人もここのおばさんは良くないって言ってた。私が借りたお店、いい人だし、6000チャットだよ。あとで教えてあげる」
気を取り直して、朝焼けを観れるパゴダに向かう。
まだ真っ暗の中、原付き型のEバイクにノーヘル2人乗りで、まだ冷たい風を切って走る。
バイクのハロゲンライトがあまりにも暗いため、クロスバイクのLEDライトを追加。さすが日本製。
それにしても道が悪い。
ミミの手が、バイクを運転するオレの腰を掴んでいた。
なんだか、、、少し照れる。
10代最後の頃の恋愛が脳裏をよぎった。そんなこともあったな。
またこんな風にまたバイクに乗るなんて想像していなかった。
昨日知り合ったばかりの香港の子と、夜明け前のまっくらの中、遺跡の町をバイクで2人乗りで朝焼けを観に行くなんて、まるで映画のようなデートだな! と、ミミに言ってみる。
しかし、返事がない。ただ笑われただけのようだ。
バガン、どうやら標識なんてものがないため、どこをどう行ったらいいか外国人にはまったく分からない。たまに表記があってもミャンマー語。
そのためすでに数日過ごしたミミしか行き方を知らないため、任せる。
バイクの後ろに座った彼女が、身を乗り出してキョロキョロする。
「えっと、もうすぐどこか曲がると思うんだけど。あれ? こっちだったかな。ごめん。」
暗闇の中、幾度も道を迷い、Uターンをしながら走る。
「こっちだ、こっち。 ごめんね」
めぼしい交差点はライトを照らして確認。
一本の細い砂道に入った。
バガンは砂漠の土地だ。僅かにある木々とヤシの木が緑を作っている。バガンはミャンマーの「モン族」の言葉で「干からびた土地」を意味しているという。
小道に入った途端に、タイヤを砂にとられ、真っ直ぐ走行できない。
数台の車に追い抜かれていく。巻き上がる砂埃がライトの光線で浮かび上がった。
おそらく、この時間に走る車は高級ホテルに宿泊している客らのサンライズツアーなのだろう。
ミミが叫んだ。
「ねえ、あの車について行こう!」
「待って、そんなにスピードでねー!」
馬力のないEバイクで、砂地を走るのは無理がある。ましてや2人乗り。すっ転びそうになりながら行く。
前を走る車がブレーキランプを点灯させ、エンジンを切った。
なんとか着いたようだ。
オレもマスクを持ってきていたが、ミミもしている。アスファルトの道でも煙のような砂埃が舞う。
暗闇でよく分からないが、どうやら目の前にパゴダがあるようだ。話し声やケータイの明かりから察するに、すでに大勢の人が腰を下ろしている。サンダルを脱ぎ、日本の倍はあろうかという斜度の階段を登る。手すりなんてない。
運良く、一番上のほうに陣取ることができた。ギリギリ座れる幅の階段に2人で腰かける。
落ち着いて周囲を見渡すとこの暗闇のパゴダには、確かに大勢の人が座っているのが分かる。分単位で続々とバイクやら車でやってきた。特に欧米人が登ってくる。
夜明けまでの間、ミミと話していた。
彼女は以前、映像を学ぶ学校に通っていたという。日本でいう専門学校みたいなところだろう。
そういう世界がずっと好きで、インドにも旅のドキュメンタリーを作りに行ったのだという。
「だから3ヶ月間もインドに?」
「そう、あの時、すごい体重やせたなあ。」
ケータイにその頃の写真が入っているというので見せてもらうと、確かに細い。オレが行きたかった世界遺産の階段井戸が映っていた。
「あ、私、今度日本に行くよ。」
「え、いつ?」
「えっと、5月。チケット取ったんだけど、すんごい安いの。見て」
そういうと彼女は、ケータイで予約画面を見せた。難しい漢字が並ぶ中国語が記載されている。到着空港に「廣島」と書いてあった。
「これ、どこ?」
「えっと、 ヒ・ロ・シ・マ? 」
「あ〜、広島。世界遺産あるところだ。第二次世界大戦の時にアメリカに大きな爆弾落とされたところでさ、去年、オバマ大統領が来たんだよ」
と言ってはみたが、反応が薄い。
てっきり原爆ドームを観に行くのかと思ったけど違うようだ。
「香港から広島空港が、本当に安くて買ったの。どんなところなの?」
その説明は今したばかりだろう・・・。
「えっと、世界遺産の神社がある。それと、食べ物がおいしい」
それだけ付け加えた。
ミミにはボーイフレンドがいて、その彼が仕事で日本に行くので都合を合わせて一緒に行くのだという。
「なんでミャンマーには、ひとりで? 彼、行っていいって言ったんだ。心配されないの?」
「だって、仕事の休みも合わないし、ほら私、昔から一人で旅してるから別に気にされないよ」
うーん、確かに。 そういうものなんだろうな。
6時45分頃、地平線が明るくなり始めた。
無数のカメラのシャッター音が、静寂を切る。
ほどなく、バガンを周遊するバルーンが遥か彼方の空に浮かび始めた。
少し雲がかかっていたが、それでも想像以上の幻想的な美しさでバガンの太陽は空と大地を赤く染め始める。
見渡すだけでも数百はあるパゴダの姿が光に浮かび上がってきた。
オレは別にいわゆる「絶景」を目的に旅をしているわけではないけど、このファンタジー感は絶景と呼ぶにふさわしい場所なのだと感じた。
・
太陽が上り切る僅か数分間、無心でただそれを見つめ、オレたちはその情景に身を預けた。
日本では普段、休みの日に時間があれば夕暮れ時に散歩したりする。
一日の終りの景色というのは、なんとも言えないわびしさがあるのだけど、朝焼けというのは
「また今日も仕事かあ。はあ〜」 というネガティブなイメージしかなかった。
けれどここは違った。
昨日の夕方にバガンへ着いたばかりで、まだ何も知らないこともそう思わせた要因かもしれない。(女子も隣りにいるし。たぶんそれが一番の要因じゃないかと思わないでもない。いや、どこだろうがそういう状況なら、どこでも絶景だろう、ばかやろう)
どこまでも続く褐色の大地、それに乾季の薄い緑の森。砂埃で霞んだ空気。 すっかり世界が色を取り戻した。また新しい一日がバガンにも訪れ、そしてオレにもやってきた。
皆が帰り始め、再び階段を降りていく。
ミミが、閃いたように口をひらく。
「そうだ、もうひとつのサンライズとサンセットの場所。もっと大きなパゴダの場所を教えておくね。それなら今日の夕方、行けるでしょ」
再び、バイクで移動。
シュエサンドーパゴダ。
まるでピラミッドだ。高さは45mもあるという。
手すりがあるので、きつい斜面の階段もゆっくりとだが比較的安全に登ることができる。
この時、写真を撮っていないのでネットから画像を拝借。↓↓
上にはテラスのように座れたり、歩けたりする通路がある。
さすがは45mの高さ。バガンを一望できた。
360度、どこまでもバガンの大地が広がっている。
よくまあ、こんなところまで来たな、オレ。ヤンゴンからひとりでさ。
思えば、次から次へと新しい出来事がオレを訪れて、まだ夢の世界にいるようなフワフワした感覚の中にオレはいた。
昨晩知り合ったこのミミともなんだかもうずいぶん親しいようで、今日の午前中にお別れすると思うと寂しい気持ちになる。
「ねえ、そこの上に座るから写真撮ってくれる?」
「ああ、OK」
「ねえ、そしたら一緒に座って撮ってもらおうよ」
「そうだね。」
中国人観光客も多く、ミミが中国語で話して写真をお願いする。
旅は、旅だけで終わってはならないと、オレは自分に課している。
何かを得て、それを持って帰らないとダメなんだと思っている。
その何かを簡単には見つけられないから、海外ではわざわざタバコを吸い、ぼんやりする時間を作ってみたりする。
人生は旅のようだと、中田英寿が引退時に言っていた。
旅もまた、人生のようなのかもしれない。
その人の考え方がそこに表れるから。
人生や旅は、出会いと別れが一対になっていくつも存在していて、それらを経験しなければ生きられないようにできている。
誰かとの別れはさみしい。 旅の終わりもまた寂しい。
21歳の時、別れがこんなにつらく悲しいのならば、もう誰とも出会いたくないと、気持ちを殻に閉じ込めていた時期があった。それでも、オレは人と出会ってきたし、お別れもしてきた。
人生の終わりは、どうなんだろう。
誰に聞くこともできないその疑問。
オレの父親は、とある手術で体が弱っているので海外へは行けそうにない。その父親を心配して家に残すこともできず、母親も旅行には行けない。
だからオレは、登山でも海外でも、少しばかり良いカメラで画質の良い写真を撮り、「見せたい景色」と、「出会ったちいさな物語」を持ち帰り、実家に帰った時にはそれらの写真や動画をテレビに映して見せることにしている。
父親と母親に見てもらい、オレの経験を疑似体験してもらう。楽しそうに見聞きしてくれる彼らの姿が帰国後のオレの楽しみでもある。
いつかのお別れまで、そんな風にできたらいいと思う。
太陽がすっかり空高く上った10時半、ミミが乗るバスが来るのをゲストハウス前で一緒に待って、彼女を見送った。
窓から腕を出して振っているのが見えた。
オレだけがバガンに取り残されるようでちょっと寂しかった。
だから見送るというよりは、正確にはミミのバスが去って行くのと同時にオレもEバイクで逆方向の遺跡方向へと出発した。
彼女がバスに乗る直前、こんな会話をした。
「見送るけど、ミミもオレを見送れよ。」
「どういう意味?」
オレの英語が分からなかったのか、それともその行動の意味がわからなかったのか。
「いや、なんでもない」
きっと、その両方だろう、
「え、何? もう一回言って」
男はいつも、女に理解されないおかしな考えを持っているもんだ。
よし、今日はこれから遺跡の町をリアルドラクエだ。
しかも一人だからドラクエ1か。いや、もし誰か仲間見つけたらドラクエ2か。 どっかにルイーダの酒場ねえかな。雰囲気的にはありそうなんだけど。
そんなどーでもいいことを真剣に考えては口笛でドラクエのオープニングテーマを吹き、次なる物語へとEバイクを加速させた。
「っしゃ、行くぜー」
バイクに乗ると叫びたくなるのはなんでだろうな。自分が開放されるからかな。
気持ちよく叫んでも、そんな声などかき消されるくらいバガンのメイン通りは車にバスに馬車に、けたたましい音で溢れかえり、早朝とはうって変わり、観光地バガンへとその表情を変えていた。
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