I hope I get to see people I met in Mandalay, King's City, again someday…we’re meant to be together, we’ll be able to meet each other again somewhere.Because everything happens for a reason. But I feel like I'm never going to see them again. I thought so before I left the hotel in Mandalay. I know that's the travel.
王都マンダレーで出会った人たち。彼らにはもう会うことはないだろう。でも、縁があればまたきっと出会うのだ。出会いとは、そういうものなのだと、いつも言い聞かせている、例えもう会うことはないと感じていても。物事は、必ず理由があって起こっているのだから。
そんな感傷的なことを、ホテルを去る時に思った。イヤホンで流れていたのはミスチルだった。
さて、ヤンゴンからマンダレー向かう夜行バスからスタートです。
I'm off to Mandalay from Yangon by night bus.
ミャンマーには、世界的企業のマクドナルドやスターバックスがない。
どこへいっても、ない。
セブンイレブンもない。コンビニというものがない。
全ての店が、なんというか、昔の駄菓子屋の風貌なのだ。
唯一ケンタッキーが旧首都のヤンゴンに近年になってできた。
そのため外国人がサッとはいれるような食事はなく、旅行者にとってはガイドブック頼りだったりする。
外国人にとっての移動手段として、電車は時刻表などあってないようなもの。電車はスピードも遅くほぼ機能せず、かといってタクシーもいちいち交渉して乗らなければいけない上に、日中は常に大渋滞。
加えて、世界遺産が2014年に初めてひとつ登録されたばかり。しかもまだまだマイナー過ぎてガイドブックにも載っていない。
そのため、ミャンマーは東南アジアの中でもフロンティア(未開拓地)と呼ばれ、郊外ともなるとまさに秘境なのだ。
そんな世界が見たくて見たくて、オレはやって来た。
ミャンマーの空の玄関口、ヤンゴンから夜行バスで旧王宮都市マンダレーへと向かう。
日本との時差は、ミャンマーがマイナス二時間半。
加えて夜行バスの揺れ、実際にはバスのせいではなく、路面の凹凸の激しさなのだろうが、常にビルの解体工事現場のような激しい揺れに襲われているため、オレは寝付けなかった。
それでも、自宅を朝五時半に出て成田へ向かい、さらに7時間のフライト、休む間もなく観光、夜行バスと来たもんで、体は疲れているはずで、ウトウトはしていた。
夜中一時、最初の休憩所に停まる。サービスエリアってところか。
物珍しいのでトイレついでにウロウロしてみる。
未明4時、2回目の休憩。トイレだけ興味本位で行ってみる。
そんな時間でもレストランが開いていて、現地の人だろうか、何か食べている。
自転車の後ろにピーナッツのようなもの積んで売っている人もいる。
バスに戻る。
車内、通路を挟んですぐ隣りには、中国人女子2人が座っている。彼女らは、バスが発車した時から眠りについていて、サービスエリアでも降りずにずっと寝ていた。
結局、マンダレーの長距離バスターミナルに到着するまで熟睡はできずに到着した。
時刻は朝、六時。 さてここからだ。 各地からターミナルに到着したバスというバスの入り口にタクシーやら、バイクタクシーの運転手が波のように押し寄せ、
「タクシー? タクシー?」
と呼び込みをしている。
他のバスのそれらを、まだ動いているバスの車窓から眺めていて、バスから降りた瞬間から数人の運転手に取り囲まれるその様は、まるで腹をすかせたサメがウヨウヨといる水槽に放り込まれた肉のようにも見え、オレはツバをゴクリと飲む。
下調べではターミナルからマンダレーのダウンタウンまでバイクタクシーで3000チャット(280円)くらいとのことで、さらにはそれが良い運転手ならマンダレーの一日観光も任せられるとのことなので、バックパックを背負ってバスから気合いを入れて降り、運転手たちの波をかき分け押しのけ、いったんこちらのJJバスカウンターまで行き、目ぼしい運転手を探す。
朝焼けが始まる。
そこで、比較的若い運転手が声をかけてきた。
「タクシー?」
青年と呼べる年頃。バイクタクシーだ。
とりあえずオレはタバコを取り出し火をつけた。
普段、日本ではタバコは吸わないオレだがバックパッカーの時は吸う。なぜか。
ただ立っているだけだと、いろんな輩が寄ってくるがタバコを吸ってれば、そうに見られあまり寄ってこない。仮に来ても、ちょっとタバコを吸わせろ、と言って追い払える。
そこでも、タバコを吸いながら「オレはそんなに急いでないぜ」感を出して、余裕なところを見せて交渉に入る。
彼は、文法はおかしいが英語を話し、スムーズに交渉はできるようだ。
まずはダウンタウンまで。4000チャットと言ってくる。いや3000チャットだと言い返す。
あとで冷静になって考えるとおもしろいが、100円単位で交渉している。本当は面倒なので100円くらい余分に払ってもいいのだけれど、それでは旅がおもしろくないし、なにより今後来る観光客がなめられては困る。
彼は、非常に腰は低く、両手を後ろで組んで話していて、好印象は持てた。
「ところで、オレは昼間に行きたいところがあるんだけど、君、連れていけるか?」
「どこですか?」
オレはガイドブックを取り出して、写真を見せる。
「ああ、大丈夫ですよ」 「じゃあ、ダウンタウンまで3000チャット。昼間の観光に20000チャット出す。どうだ?」合わせて2100円くらいか。
先手を打って交渉に持ち込む。それでも彼は、もう少し欲しいといったことを言っていたが、「ダメなら他のドライバーを探す」と余裕ブッこいて、たばこの煙を吐きながら言ってやる。
すると、彼はOKを出した。本当は彼らにとってその金額で十分な稼ぎだとは知っている。彼らも金を持っている外国人から少しでも多く稼ぎたいのだ。
ミャンマーでは乾季。一番寒い季節。 今は朝の六時。ドライバーたちは、日本の冬のような厚着の恰好をしていた。それでもオレがジャージの上下で耐えられる気温。
彼らは寒い寒いと言っていた。 料金交渉が成立し、彼のバイクにまたがり、ダウンタウンの安宿ホテルを目指す。
異国の地で、初めてバイクタクシーなるものに乗った。このあたりの地理など分かるわけもなく、このままとんでもない場所に連れていかれたらどうすっか、なども考える。
彼は、自称大学生、21歳。聞き取りづらい彼の英語に加え、バイクで風を切りながらなので、そのほとんどが聞こえなかったが、彼は自分の話をし、時折オレに
「日本のどこから来た?」「兄弟は?」
などと質問をした。
「ここが駅です」
彼が指差す方を見ると、大きな建物がある。確かに記憶の中の地図と当てはめるとマンダレーの駅が近くにあった。方角は合っているようだ。
バスターミナルを出発して15分ほど、ホテルに無事到着した。
「ナイロンホテル」安くて比較的綺麗とのこと。
まだ早朝六時半だが、チェックインできるかどうか聞きにフロントへ。どうやら大丈夫なようだ。フロントのあんちゃんは、オレのパスポートを見て、名前の日本語発音ができずに、苦笑いしていた。
荷物を部屋に置き、バイタクの青年と再度今日の予定を確認する。
3時間後の9時半にホテル玄関で待ち合わせを約束し、別れた。
部屋の設備を確認し、バックパックの整理をし、シャワーを浴びる。お湯は出るようだ。
約束の時間まで、仮眠しようと思ったが気分が高揚していてどうも寝られず、ベッドに寝転がって結局ガイドブックを読み漁っていた。
9時半。彼はもう玄関で待っていた。
気温も上がり、彼も軽装になっていた。 最初に向かった先は、マハムニパゴダ。
マンダレー最大規模のパゴダとのこと。彼が、メインの仏像まで案内してくれた。入場は無料だけれど、外国人には「写真撮影料」「カメラ持ち込み料」といって1000チャット(90円くらい)が取られる。 ここでも参拝客たちが、「祈り」を行っている。仏像の側までは、手ぶらでしかも男性しか入れないらしく、彼がオレの荷物を持ってくれるというので、中に入ってきた。
多くの男性が、何も言わずに、まるでそれが仕事かのように真剣な表情で金箔を仏像に貼りつけていた。
毎日多くの参拝客が貼り付けるのだろう、仏像の体は金のウロコを纏ったような状態となっている。
それらをゆっくり見ていたかったが、バイタクの彼に預けた荷物も心配なので、早々に戻り、彼から荷物を受け取る。
その後、彼は入り口で待っているというので、パゴダ内をのんびり見学してみることにした。
ひとりになっての、実質最初の観光場所。パゴダの敷地内をウロウロしているだけで楽しい。 お土産屋もたくさんあり、多くの人で賑わっている。
↓カンボジア、アンコールワットから持ち去られたという青銅像。記念写真スポットになっている。
そう言えば、オレは日本で自宅を出る時にクロックスで行こうと思っていたのに、慌てていたわけではないが普段履いている厚手のナイキのスニーカーで来てしまい、とてもそれはミャンマーの昼間の気温には合わず、またパゴダで裸足になるのも不便なので、現地でサンダルを買おうと思っていたところ、お土産屋通りにサンダル屋を発見した。色も良さそうなのがある。
値段を聞くと、2000チャット(180円)。あまりにも安いため、聞き返す。即決。ミャンマーサンダルを手に入れた。 ビーチサンダルが、ボアで出来ている、なんともレアなサンダルだ。
マハムニパゴダを出て、街中のミャンマー人男性が履いている民族衣装、ロンジーについて尋ねていたら、買いたいならこの近くのお店を知っているとのことなので、連れていってもらう。 ロンジーとは、ミャンマー人男性が履くスカートのようなもので、暑いミャンマーでは下半身の風通りがよくなり、誰もが履いている。
連れて行ってもらった店は外国人用のぼったくりの店だろうと勘ぐっていたら、昔の駄菓子屋みたいな、本当に地元の人しか入らないような店でびっくりした。ただ、色が地味だったので断った。
次に彼は、外国人がたくさん行く店があるというので、行ってみることに。 そこは昔ながらの織り機で、生地を作っている工房で、中は見学でき、完成品は道向かいのショップで売られていた。外国人相手ということもあり、また生地も本当に良いので、高い。・・・よって諦めた。ごめん。
次に向かってもらったのが、ザガインという町。 ザガインヒルという丘が有名らしく、その山の頂きには仏塔や寺院があって、修行の地としても知られているとのこと。
風を切って走るバイタクが清々しい。ザガインに行くには大きなエーヤワディ川を渡る。
その橋が農村地域の中に一際目立ち、遠くからでも存在を知ることができた。
↓バイクタクシーの彼。
このあたりでは、1942年頃、ビルマに侵攻した日本軍とイギリス軍との戦闘があったとのこと。
橋を渡って5分ほど行くと、
「着きました」 と彼が言うので、「どこに?」と聞くと、ここがザガインヒルの入り口だという。
ヒル、って、自力で登るのか。頂きには黄金のパゴダが森の中に見えていた。まあ、マラソンと登山で鍛えた足があるから大丈夫だろう、と目の前に無数にある階段を登っていく。
確かに足は大丈夫だったけど、、、暑い。ミャンマーではそこらじゅうに野良犬がいるが、寺院も例外ではなく、ゼイハア言って休んでいるオレを横目に野良犬がスタコラ登っていった。
途中、修行僧の家なのか、庭で僧が洗濯をしていてオレの顔をみるなり笑顔で、
「こんにちは。元気ですか?」
と声をかけてくれた。日本語が少しできるようだ。
「元気です。ありがとう」
そんな何気ないやりとりがいつも旅を輝かせてくれる。
階段はだれもいない。
↓階段途中の脇にあるパゴダでは、カップルがいちゃついていた。
景色はいいし、誰も来ないのでそういうスポットなのかもしれない。 他にも1組いた。
マイナーすぎて頂上は誰もいないかもしれないな、なんて考えて登ってみたら、頂上に駐車場があり、参拝客がそこからぞろぞろやって来る。
バイタクの奴、さてはガソリンかかるからオレを徒歩で登らせたな・・・。あのやろう・・・。
でも、来た道は面白かったので結果オーライとしてやろう・・・。
頂上のパゴダからは周辺一帯が見渡せる。
帰りがけに階段途中で、ひとりの日本人男性の方とすれ違った。
この方も、バイクタクシーの麓で降ろされたパターンだ。
ゼイハア言っていて、「あとどれくらいですか?」と聞かれたので、
「まだ3分の1くらいでしょうか。でもバイタクで頂上まで行けるみたいですよ」
と答えると絶望の表情が返ってきた。
今から思えばその方ともっと話しておけばよかった。ミャンマー観光で最初に言葉を交わした日本人だったのに。
バイタクの彼と合流し、昼飯へ。 そんなに腹は減っていなかったが、彼を昼抜きにするわけにもいかないので、彼が知っている店へ行く。
出たー・・・、とずんぐり返るほど東南アジア感満載のホッタテ小屋の定食屋。しかもけっこう賑わっていて大型バスも来ている。
メニューなんてない。どんな料理があるのかは近くのテーブルで食っている人たちの料理を見る。 何を食うべきか、また注文の仕方も分からないのでバイタクの彼に一任する。
出てきたのはパサパサのご飯と、野菜炒めのようなもの。辛くて酸っぱい。
オレにとってはもはや食欲をなくさせる味だった・・・。 バイタクの彼は、当たり前だがパクパク食って完食。オレはなんとか半分程度。二人分でいくらなのか聞くと、2000チャット。ひとり100円。激安。
次に向かうのが遺跡群のあるインワ村。
途中、彼がコーヒーを飲もうと言うので、日本で言う「古民家カフェ」的雰囲気の
ホッタテ小屋カフェに入る。そもそもそれが、彼の悪巧みの序章だった。
そして、コーヒーを飲み終えた頃にトラブル発生。
バイタクの彼が突然、
「インワ村に行くにはさらに5000チャット(500円)が必要だ。」
と言い出した。最初は入域料のことかと考えて、正論かと思ったが、よく聞いているうちにぼったくろうとしている事に気付き、少しずつオレの怒りがこみ上げる。
「なんで? なんで、君にまた払わないといけないんだよ」
オレにはもちろん日本で仕入れたある程度の情報があった。
確かにマンダレーやインワ村には外国人の入域料10000チャットというのがあるらしいが、それは特定の遺跡のみ必要で、オレはそこには行かない。
そして、インワ村には川を渡し船で渡っていくとのことだが、車やバイクは橋で行けることをオレは知っている。
なによりも直前になってなぜ追加料金を言う? 払わすためだろ。
とりあえず、タバコに火をつけて、戦闘態勢に入る。
以下、彼とのやりとりを要約。
「それは何のための金だ? なんでオレは君に追加でそれを払わないといけないんだ? チケット代じゃないだろ」
「インワは遠い。本当なら船で個人で行くんだ。私はバイクで行く。だからあと5000チャット払ってくれ」
「そんなことは聞いてない。ホテル前で行き先と金は確認したろ?普通なら15000チャットでもいいくらいなんだ。 オレは払わねえ。もし君が余分に5000チャットいるなら、オレはインワは行かねえ。次のウー・ベイン橋へ行け」
「いや、私の言っている意味がわかる? ちょっとメモする。ペンありますか?」
怒りがふつふつとこみ上げながらも、ペンを貸してやると彼はカフェの紙に、「20000 、5000」
と書いてオレに見せた。
・・・だから、今、その金の話をしてるんじゃねーか。
「君は20000チャットで約束した。さらに5000チャット必要だなんて聞いてない」
だんだん喧嘩腰になってきて、声もでかくなってきたオレに負けたのか、それとも余計に払うくらいならインワには行かねえ、と言い切ったオレに罪悪感でも感じたのか、彼は、
「OK、OK、分かりました。20000チャットでいいです。インワに行きましょう」
と言うに至った。
「いいんだな? よし、じゃあ行こう」
彼がOKと言わなければ、もう少しでテーブルでも叩いてキレるところだった。
最強カオスの国インドに行ってきたのは伊達じゃねえぞこのやろう。
バックパッカーたるもの、交渉事ではいつでもキレる準備をしておかねば。東南アジアでこれ大事。
(南米はダメ。)
20000チャットでも相場より高く払っている。彼は「日本人は、言えば払う」という考えがあったのかもしれない。
あるいは過去の日本人が言われるがまま仕方なく払ってきたのかもしれない。
日本ではあらゆるものがきちんと値段が決まっている。言われたら払ってしまうのが日本人だ。
だが、ここは問屋が卸さねえぞ。
なんだか気まずくなってしまったが、予定通りインワ村に向かう。
こいつ、どっか適当なところ連れていくんじゃねえか、と疑っていたけれど、ちゃんと遺跡に連れて行った。しかもコーヒー屋からわずか10分程度で着いた。
インワ村は、1364年から約500年間も王都として栄えたとのことだが、大地震に見舞われ、次に向かうアマラプラに都が移動したとのこと。現在は王都の跡はほとんど見られず、森の中にパゴダや遺跡がひっそりと建っている。
最初の遺跡。
ガイドブックに載っていないため、何なのか不明。悪魔の城のような雰囲気が漂っている。
おそらく旧王都の何かだろう。
修復なのか、ガレキの片付けなのか不明なほどの作業をしている方が右にいる。
建物内部は、崩れ朽ちている。外壁だけが残っている状態。インディ・ジョーンズの気分。
家族連れで、観光なのか、訪れている女の子がいる。緑色の民族衣装を来た女の子。
親たちは先に行ってしまいこの子だけが一人でプラプラしていた。
日本だと怪訝な目で見られてしますが、ここはミャンマーの郊外、オレは子供にあげる用にと飴を日本から持ってきていた。
おいで、と手招きするとその子がやってくる。どうやらオレが首からぶら下げたカメラに興味があるようだった。飴をあげると、手に取り、カメラを向けるとピースをした。
顔立ちが整っていてかわいい子だった。そのまま、なんならさらってしまいたい。笑
その後、ガイドブックに載っているいくつかのパゴダに立ち寄る。
黄金ではなく、風雨にさらされレンガが向きだしになり、廃墟のような遺跡と化していた。そのすぐ裏には民家があって、家畜が飼われていて遺跡と共に生活が在るようだった。
どこの遺跡でも、そのまま遺跡内部の道を行くと、突然洗濯物が干してあったり、バラックの家が現れる。もはや遺跡の敷地内に住んでいるかのよう。
↓ ヤタナーシンメパゴダでは、少し後悔していることがある。
田園地帯に建っているそのパゴダ。石柱の間にある石仏がガイドブックに載っていて、多くの観光客が立ち寄っている。 東南アジアではおみやげ売りの女性、子供が観光客につきまとい、なんとか買ってもらうのが常だ。しかし、観光客のほとんどが買わないのも常。
ここでもオレにずっとついて回る女性がいて、鉄製かなにかの良い音がする鈴を買ってくれという。おみやげにはいいなと思ったが、どうもしつこいので反射的に断ってしまう。でも考えると、現金収入があまりない郊外の小さな村では観光客が落とす金が生活を支えているのは確か。ここでオレの300円か400円くらい出してあげても良かったのかもしれない。 と、カンボジアでも同じことを思っていたオレがいたなあ。
インワ村は馬車でも回れ、風情ある観光もすることができる。
最後に向かったのが、アマラプラという町にあるウー・ベイン橋。
タウンタマン湖という湖に架かる木製の橋で、1.2キロもある。
夕焼け時の景色が有名で多くの観光客が集まる場所だ。
時刻はまだ3時半。 夕焼けは、5時半頃から。それまで散策することにした。
お土産屋が軒を連ねて並んでいる。それだけ観光客も多いということなんだろう。欧米人の姿をよく見かける。
いざ橋の上を歩くと、高い所嫌いなオレだと最初は少しこわい。 橋の上では、やはりお土産を売っていたり、なんだか分からない唐揚げのようなものを売っていたり、占い師がいたりと景色に加え、観光客を飽きさせない。
1.2キロもあるのでほとんどの観光客は、途中で引き返していたが、橋の向こうは何があるのか知りたくて、オレだけひとり橋を渡りきった。
対岸とは対照的にこちら側はなんにもない。昔からの高床式の家々が続いている。小さな村なのかもしれない。
子どもたちが遊んでいる姿が見えたので、カメラを手に村へと入っていってみる。
大人たちは特にオレを気にする風ではないけれど、子供たちが突然やってきた外国人をチラチラ見始める。
コマで遊んでいるこどもたちがいたので、立ち止まって見ているとどこからともなく子どもたちが集まってきた。
カメラで撮って、その写真を液晶画面で見せてあげると彼らは大はしゃぎ。ぼくにも見せて、と次から次へと子供がすり寄って来る。ここぞとばかりに日本の飴を子どもたちみんなに配る。
すると飴を手にした一人の子が「サンキュー」と英語で言い、次に自己紹介を始めた。
「アイ アム〜」
学校で習っているのかもしれない。すぐそこの橋まで外国人がたくさん来ているのに、きっと誰もこちらまで来ないのだろう。だから、同じ顔したアジア人のオレでさえ、肌の色、来ている服が違うだけで子どもたちは珍しがって集まってくるんだ。
「アイ アム タカ」
オレも返してみると、また次から次へと子どもたちが英語で自己紹介をしたがって順番待ち状態となってしまった。
「アイ アム」の発音が違っていたら直してあげたり、「ユー アー 〜」と聞き返してあげたり即席英語教室となっていった。
それが落ち着き、また少し歩くと、物売り屋があり立ち止まった。
お菓子、たばこ、水、その他生活用品を扱っているようだ。綺麗なお母さんとその娘さんが店番をしている。
今度はあの外国人がお店に行ったぞ、と言わんばかりに子どもたちも付いてくる。
じっとお店の中を見ているとお母さんと娘さんが恥ずかしがってしまった。それもわるいので、何か買うことに。 と言っても言葉が通じないので、「ウォーター」「ウォーラー」と連呼して飲むジェスチャーをしてみると、今度はどこからともなく子供の親が現れて、「ウォーター??」と聞き返してくる。
オレがうなずくと、笑顔で、 「スリーハンドレッド チャット」 と言って何かミャンマー語で店のお母さんに通訳してくれ、冷たい水のボトルが出てきた。
なんとか通じたようだ。1リットルの水、約30円。コミュニケーションの代金としては安い安い。 店の綺麗なお母さん、オレにストローまでくれた。 ただ店のお母さんと娘さんの写真が取れなかったことが残念。
そんなこんなでずいぶんと村で時間を過ごしたようで、夕暮れの時間が近づいてきた。橋に戻る。
日が暮れ始め、より多くの観光客が集まり始めている。
湖にはボートもあり、湖面の上から夕日を眺めることもでき、何艘もの手漕ぎボートが浮かんでいた。
日本の夕暮れとは違って、山のないミャンマーでは直に地平線に太陽が沈んでいく。
そのためとても低い位置からの夕日がこちらへと届き、それを見つめる観光客たちの表情を赤く染めていた。 一日の終りと共に、オレの観光も終わる。
明日のお昼にはマンダレーを離れ、バガンへと向かう。もう、ここウー・ベイン橋には来ることはないだろう。村のあの子たちに会うこともない。 もっと時間があればあの村で、子どもたちや村人と交流をしてみたかった。きっと電気はないし、夜は真っ暗だろう。水も井戸を使っていた。少し離れればジャングル。本当は、そんなところに数日滞在して、村人の手伝いをしたりして一緒に生活してみたい。
もっと時間があれば、、、と思うこともある。楽しくてあっという間だと感じる時もある。
けれど、何もかも、限りがあるから輝くのだとオレの好きな作家の方が言っていた。人間が生きることもまた、同じなのだと。
ミャンマーの旅、まだ2日目。今のところ無事にきているし、良い出会いもあった。
金額のことで言い合ったバイタクの彼とも、とりあえずホテル前で写真を取り、約束通りの金額を渡して見送った。
何もかもが一期一会。決して偶然ではない。でも彼とももう出会うことはないだろう。達者でな。オレはバイクで去って行く彼の姿が見えなくなるまで見続けた。
それは夕日が地の底に沈む時と同じように少し寂しいものだった。
さて・・・、夕飯どうすっかな。
ホテル前のベンチに座り、通りを行く人や車やバイクを見つめながら次の行動を考えていた。
そして、また次の出会いに遭遇する。
0コメント