It was almost as if it were a scene from a dream. Nothing more, nothing less than a beautiful view. I was always searching for something. Why people pray. Why we pray. I kept searching the answer during this travel in Myanmar. This feeling has possessed me for some time….
どうして人は祈るのか。どうしてオレたちは祈るのか。
わずか一週間のミャンマーの旅だったけれど、オレは最終的にその答えへと向かって旅をしていたような気さえする。
黄金を纏うシュエダゴン・パゴダで多くの参拝者が「異常」なほど一心不乱に祈るその美しい夢のような光景を見て、ふと「祈り」とは一体何なのかと、その掴みどころのない人間の行為に不可思議な気持ちを抱き、それは旅を終えた今も消えることなくオレの胸の奥深くに静かに鎮座している。
「祈る」ことを能力に言い換えるならば、「希望を持つ」能力が一番近いんじゃないか。
人間にのみ与えれた「祈り」、「希望」。
「人間」が誕生した時からきっとそれらはあり、そして今もDNAに組み込まれて此処に在る。
成田からANAの直行便に揺られ、約7時間。
予定よりも40分も早く到着した。無事に目的地まで送り届けてくれたパイロットに感謝ばかりだ。
飛行機を出ると、ムッとする東南アジア独特の香り、いやもしかしたら勝手にオレしかそう決めているだけかもしれないが、その空気が心踊らせる。
入国審査や荷物の受取で、想定内の時間のロスはあったけど、それでも到着は早い。ミャンマーでは日本円の扱いがほとんどないため日本で買ってきたUSドルを今度は、現地でミャンマー通貨の「チャット」に変える。持っているのが怖いくらいの札束と化した。
到着ロビーに出る。
十数人のお迎えが、それぞれ客の名前が書かれたカードを持って立っていた。日本の旅行会社の名も見られた。
友人のナンナンと空港で待ち合わせをしているが、きっとまだ来ていないだろう。
とりあえず現地SIMカードを買うべく到着ロビーにあったケータイ会社に行く。が、オレのアイフォンがシムフリー化していないことに気づき、店員とのいくつかのやりとりをし、ショックの内に断念。。。していたら、誰かがオレの名前を呼ぶ。
ナンナンだった。
「あれ? もう着いたの? 到着時間まだ先だよね」
驚く顔のナンナンは彼氏を一緒に連れていた。その彼とはお互いフェイスブックで顔は知っていたが、それが初対面で、お互いに挨拶を交わす。名をシィーと言った。
そもそもナンナンとは、オレが初海外、しかもひとりでカンボジアへ向かうバンコクからの機内でたまたま席が隣りで、なんとか英語で言葉を交わしただけの仲だった。共に時間を過ごしたのはその機内のわずか1時間で、あとはフェイスブック頼りだった。そして今日が再会ということになる。SNSが広まっていない時代であれば、あり得ることのない再会にミャンマーでの再会に感動すらした。
ヤンゴンに到着したばかりだが、夜9時半には夜行バスでマンダレーという王宮の都市に向かう。バスの手配も事前にナンナンがしてくれた。 バスの時間まで、少し観光と夕飯を一緒に食べることになっている。
着いたばかりで、バックパックを背負ってまだアタフタしているオレを連れ、2人はタクシーを捕まえ、パゴタに行こうと言う。
パゴダ。それは仏教の国ミャンマーのお参りするお寺のような場所。
空港から市街へとタクシーで走っていると、
「ようこそ。黄金のパゴダの国、ミャンマーへ」
という看板が目に入った。
それが、この国を象徴する言葉でもあることにミャンマーを旅して気付くことになる。
パゴダに行く前に、ナンナンとシィーが勤務するツアー会社のシャワーを借りて浴びれるということで、オフィスに立ち寄らせてもらう。
この後、そのまま夜行バスなので助かった。 彼らはミャンマー各地で観光客相手のバルーンを飛ばす会社で、空から遺跡群を眺めることができるのが売りだ。特にバガン遺跡のバルーンが有名だ。 彼らはオフィスで、なんとかオレのケータイがミャンマーのSIMカードで使えないか試行錯誤してくれたがやはり使えず、どうしようかと2人で話し合ってくれていた。
シャワーを浴び、観光へ向かう。
大都市ヤンゴンの渋滞はひどいと聞いてはいたが、本当にひどい。
信号なんてないもんだからあっちこっちから割り込み、クラクション。
そしてまったく動かない。客が一斉に動く、花火大会の帰りのようだ。
どうやらナンナンたちがタクシーのドライバーと話して、裏道に行くようで、Uターンしたと思ったらとんでもなく細い路地に入っていく。
その甲斐あって、なんとか目的地に到着。最後の100メートルくらいは歩いたほうが早いとのことで、タクシーを降りて歩く。
シュエダゴン・パゴダ。
ヤンゴンで最大のパゴダで、参拝者が後を耐えない。
外国人のみ、入場料8000チャット。700円くらいか。
ミャンマーにある、あらゆるパゴダには靴、そして靴下も脱いで裸足で入らないといけないため、参道入り口では子供が靴を入れる袋を手渡している。「売っている」というスタンスなのかもしれないが「心づけ」という形で少額を手渡すようだ。
パゴダを中心に、参道は東西南北と4つあるらしいが、ヤンゴンに着いたばかりで右も左も分からず、しかもあたりはすでに暗いため、どの入り口なのかは分からない。シィーが言っていたような気もするがもう覚えていない。
参道は、ずっと階段になっていてその両側にはひたすらお土産屋が並ぶ。外国人相手というわけではなく、どうやらメインはミャンマー人の参拝客のようだった。
夜はライトアップされ、暗くなった夜空を背後にその黄金をさらに光り輝かせる。その袂に灯る無数のろうそくがヤンゴンに来たんだという実感をオレに与えた。
日本にある黄金の建物といえば京都の金閣寺だが、異文化を目の当たりにするという意味では、金閣寺は到底及ばないほどの迫力でヤンゴンのシュエダゴン・パゴダは存在し、多くの参拝客によって祈りを注がれていた。 いくつものきらびやかな仏像が鎮座し、ここではでは自分の生まれた曜日の仏像にお祈りするらしい。したがってガイドブックにも、自分の生まれた曜日の出し方などが記載されている。調べてみるとオレは水曜日だった。 ミャンマーに着いたばかりの、浮ついた落ち着かない気持ちのままシュエダゴン・パゴダを一周し、次に夕飯へ向かう。
ミャンマーの料理を食べようということで、タクシーに乗り込んで連れて行ってもらった場所は、屋台が立ち並ぶ場所。外国人の姿は、一匹たりともいない。 ナンナンとシィーの友達カップルと合流し、計5人で夕飯を共にする。カップルの彼は英語がカタコトだったけれど、話を聞いていると、妹が日本へ留学しているらしい。ミャンマーでは裕福な家なのかもしれない。 ミャンマーの食事というのは、ご飯にいくつものおかずを並べるのが一般的なようで、屋台街でも食べたい物を指差していくつも頼み、あっという間にテーブルがおかずで埋め尽くされた。
よっしゃ、ミャンマー上陸で初ミャンマー料理だ、と意気込んで食べたが、あらゆるものが、、、、カラい。 日本でも辛いものが苦手なオレが、東南アジアの辛いものなんてまともに食える訳がなかった。そもそも東南アジアの料理で口に合ったものなどほぼない。唯一、ベトナムのフォーくらいだ。
結果、5人の中でオレだけが汗だくになりながら、「so spicy 」を連呼して食っていた。それを気にしてかシィーが別のものを買ってきてくれた。ライスケーキだという。餅か? と思いきやカステラのような食感の激甘デザートだった。
今度はあまりの甘さに、
「あっま!!」
と言っても誰もその意味が分からず、気持ちを共有できないもどかしさ。
しかも、白米がパッサパサで、おいしくない。日本のもっちもちで、つやっつやのお米とは訳が違う。 ミャンマー、到着日にして、ミャンマー料理が食えないことが判明。。。
30分ほど夕食に時間を取り、いよいよ夜行バスに乗るために空港の北東にある「アウンミンガラー・バスターミナル」へと向かう。
ミャンマーの国内移動は飛行機、電車、バスがメインなのだけれど、飛行機はメイン大都市間移動で日本円で12000円くらい。ミャンマー物価にしてはかなりの高額だ。そして電車は、破格に安いが移動スピードがチャリくらい。旅として風情はあるとのことだが、オレにそんな時間の猶予はない。 ということもあり、また異国の地で夜行バスで旅してみたかったためこちらを選ぶ。しかも東南アジアにしては、バスが豪華らしい。2大バス会社にJJバスとEライトバスがあり、ナンナンの会社ではJJバスを扱っているとのことで、そちらにした。
夜間約9時間の移動。料金19USドル。ミャンマー通貨だと25000チャット。2300円くらいか。
到着すると、バスターミナルというだけあって、大型バスが10数台停まっている。食堂や生活雑貨店が軒を連ね、賑わっていた。
JJバスのカウンターに行き、ナンナンがオレのチケットを受け取ろうとすると、なにやら問題が発生したようだった。 言葉は分からないけど、その雰囲気はチケットが取れてないっぽい。
マジか・・・。 ナンナンがスマホの画面を見せて、チケットが取れていることをアピールしている。
シィーに「どうした?」と聞いてみると、「大丈夫、大丈夫、座ってて」と微笑む。 いや、しかし大丈夫な気がしないぞ・・・。
とりあえず待合所の隅のイスに腰掛けて、スタッフが無料で配っているコーヒーを飲む。 ナンナンがやりとりすること5分。オレは、チケットが取れていないことを想定して、焦りながら今晩どうするかなんぞを考えていた。
それからほどなく、ナンナンが笑顔でやってきた。
「ごめんね。会社の住所と電話番号で予約したから、今、それを証明するものがなくて時間かかっちゃった」
無事チケットを発行できたようだ。思わず安堵の笑みが零れる。
時刻は9時、出発は30分後。 予約したバスが店舗の前にやってきた。かなりの大型バス。
ナンナンとシィーに感謝を伝える。マンダレー、バガンを経て、またヤンゴンに戻ってきたら観光に連れていってくれるという。
別れを告げ、バスに乗り込む。車内は聞いていた通り、一列と二列に別れた三列。ナンナンが、一列シートを予約しておいてくれた。
座席は飛行機のビジネスクラスのようなゆったりとしたシートで、背面もかなり倒してリラックスすることができる。 周囲の客は、ほとんどが外国人。アジア人女子2人もいれば、欧米人オッサン二人組もいる。
出発間近になり、おしぼり、それに水と箱に入った軽食(パン)が配られた。
定刻通りにバスが動き出したその時、急にバスが止まった。すると入り口が開き、一人の男性客が入ってきた。客の視線が一斉にそこへ向かう。 この人、ギリギリ間に合ったな、あぶねえ。と思ったその時、客だと思った彼は、シィーだった。
彼は慌てた様子でオレの前に来て、
「これ、持っていって。 それと充電器ね」
と微笑んでそれらを手渡し、すぐにまたバスを降りていった。
オレは突然のことに「あっ、ありがとう」としか口にできない。
手渡されたのはミャンマーのガラケー、それにターミナルの雑貨屋で買ってきてくれたのか新品の充電器だった。
すると、すぐに着信があり、出てみるとナンナンである。
「これ、私の番号ね。何かあったら電話してね。」
なんだろう。ものすごく胸に込み上げて来るものがある フェイスブックで連絡を取っていたとはいえ、一度しか会ったことのない相手にケータイを一週間も貸してくれるなんて。 きっと仕事で使っているケータイなんだろうが、大丈夫だろうか。
日本では、同じ日本人から「親切にされる」経験なんてそうそうない。あったとしてもあまりにも日常的過ぎて、すぐに心から過ぎ去ってしまう。 けれど、何も分からない異国へ来たばかりで、何から何まで世話してくれることに、胸に宿る感情が実に久しかった。
生まれて初めて海外へ行く時、機内で読んだ雑誌の表紙がミャンマーの僧だった。
この雑誌の記事の中のパゴダの写真が美しく、いつか行ってみたいと思っていた。隣に座った子がミャンマー人のナンナンだった。 そして、今オレはミャンマーへ来た。
行動することだけが、次の未来へと繋げられる。オレの過去と現在が繋がっていた。そしてこの先もきっと繋がっていくだろう。
夜行バスが、スピードを上げていく。 いよいよこれからがバックパッカー旅の本番。ひとりでの行動力、判断力が問われる冒険の始まりだった。
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