マンダレー。夜。
a night in Mandalay, Myanmar.
歩いて行ける範囲に、どこかレストランはないか、ガイドブックを見る。
本当は、ナイトマーケットと呼ばれる屋台街に行きたかったが、遠い。またバイクタクシーを捕まえるのも面倒だ。疲れもある。
一件、すぐ近くにレストランがあるようだ。ガイドブックに載っている店なら、日本人もいるかもしれない。ミャンマーの民族のシャン族のシャン料理だという。値段も安い。
日中は、バイクやら車やら人に店で溢れていた通りが、暗くなると誰もいなくなり、店も全てシャッターが降りている。元々が駄菓子が隙間もなく並んでいるような通り、まるで廃墟通りだ。途中、地図を確認するが、本当にレストランがあるのか不安になる暗さだった。
5分かからず着いたレストラン、「ラーショーレイ。」
そのレストランだけが暗闇の通りで煌々と電気をつけていた。
客は数組。年配の欧米人夫婦の姿もあった。日本人はいないようだ。
カウンターに並べられた料理を、指差して注文する。値段は不明。
・ ・・食べられそうなのが、鶏肉か豚肉の料理くらい。
テーブルに座る。
料理を作っているのは大人だが、ビールや料理を運んでいるのは中学生か高校生くらいの男子数名。すぐに、なにやら生野菜、それににスープを持ってきてオレのテーブルに置く。
「あ、これは注文してないぜ」
と英語で言ってはみたものの通じない。
すると、20歳前後くらいの店員が来て、
「これはタダです、食べてください」
というような、たぶん英語を言った・・・気がする。
フリー、って言っていたからそうだろう。
でも・・・、おぬし、ミャンマーの生野菜は食べてはいかんぞ、とガイドブックに書いてある。
一発で下痢になるのだろう。
下痢ならまだましか。
ウイルスをもらってしまうかもしれん。
野菜を育てるのに人糞を使っている場合もあり、ほとんど洗わないか、例え洗っても水が汚いため、衛生面がかなり悪いとのこと
生野菜は諦めた。
スープは、何かの肉が入っている中華系スープ。味は薄いがおいしい。
頼んだライスと鶏肉の何か料理がやってきた。
少し辛いが、味はいい。照り焼きのような感じだ。
とにかく、なんとか夕飯にありつけた。
バックパッカーの旅はひとつひとつイベントが「ステージクリア」な感じがする。
店内をよく見渡すと、どうやらほとんどが外国人のようだ。欧米人は顔を見ればわかるが、アジア人も注文の時に英語を使っていたので、ミャンマー人ではない。
食べ終わり、店員を呼んで支払いをする。先程の20歳前後の店員が来て、2000チャット、と英語で言った。えっと、200円くらいか。OK。安い。
通ってきた道に、小さな店がまだやっていたのをチェックしていたので帰り際に立ち寄る。コーラ350ml缶、500チャット。45円。たぶんそれでも外国人価格。
冷えたコーラを手にし、ホテル前まで戻る。
ベンチに座ってタバコでも吸おうかと思ったら、ホテルの従業員の青年が座ってスマホをいじっていた。思えば、出入りする時に必ず見かける青年だった。
彼はおもむろにスッと立ち上がると、どこからかホウキとちりとりを持ってきて、ホテル前の掃除を始めた。仕方なくやっているという感じではなく、彼が元々持っている性格がそうさせているような几帳面な雰囲気を感じさせた。
オレが観光から帰ってきた時も、たしか彼は掃除していた。彼がいつもそうしているからか、ホテル前は常にきれいに保たれている。すぐ目の前の通りの汚さ、ゴミの多さと比べると雲泥の差だ。
彼が集めたゴミ(といっても砂ホコリ程度しかない)を捨てに行ったので、オレは誰もいなくなったベンチに腰をかけ、コーラを開け、タバコに火をつけた。
決してラグジュアリーな場所ではないが、一日を振り返るのにはコーラ、タバコ、そしてこのベンチで十分だった。なんとか一日をこなした達成感と疲れをタバコと共に無心で味わっていると、青年が戻ってきて、オレの隣に座った。
「ハロー」
と彼は言って微笑んだ。
「ハロー」
とオレも返した。
近くで見ると、思ったよりも若い。
彼は続けた。
「ホテルはいつチェックアウトですか?」
「明日だよ」
「そのあとはどちらへ?」
「バガンへ行くよ」
「いいですね。日本からですか?」
「そう、東京、知ってる?」
「知ってます。ホテルのフロントの後ろに世界各地の時計がありますから」
「あ〜、あったね。」
そんな話を表面上で交わしながらオレは、彼の英語の流暢さに驚いていた。
文法も合っていて、発音も良い。友人のナンナンやシィーの英語よりも、なまりがなく、とても聞きやすい。日本で習うアメリカ英語に近いのかもしれない。
次に彼の口から溢れ出たのはこんな言葉だった。
「俺の給料、一ヶ月で ワン ハンドレッド サウザンド チャットなんです。安すぎますよね。24時間ずっと働いてるんですよ。休みもありません。クレイジーですよね」
そう言って、彼は苦笑いをした。
「ワン ハンドレッド アンド サウザンド チャット?」
とオレは聞き返した。同時にそれがいくらなのか、とっさに計算した。日本円で9000円くらいか。
9000円なんて、高校生でもバイトで2〜3日で稼げる金額だ。
「えっと、君は何歳なの?」
「17です。 あ、いや、一昨日誕生日だったんで18です」
「あ、そうなんだ。おめでとう!」
と返しながら、その給料の少なさに驚いていた。
ミャンマーの物価で言えば、その年令なら妥当なのか。よく考えれば、昼間たのんだバイクタクシーの彼だって、早朝から一日運転して23000チャット。2100円程度。それでも一日でそれだけ稼げれば上等なんだろう。
加えて気になることが。
「君、学校は? 高校行ってないの?」
「やめました。」
なんで? 日本の価値観ではそんな疑問が出る。けれど、ここはミャンマー、理由は日本とは違うはず。
日本のように、バカや荒れてるやつが勢いで高校を辞めるのとは訳がちがうだろう。安易に、なんで?とは口から出せなかった。
「24時間働く、って家は? 帰らないの?」
「帰りません。ずっとここにいます。寝るのもここです。朝6時から夜12時までです。」
「ご飯は?」
「朝は、ホテルのをもらえますが、昼と夜は買いに行かないとありません。もちろん、自分の金です」
少し、ほんの少し、ミャンマーの給料について垣間見える。日本で18歳が働いたら、手取りで15万くらいか。だとしてもここの15倍はもらえていることになる。
もう一人、ホテルの自動ドアに立っている青年、この彼より幼く見える青年がいたので、
「あそこにいる彼は何歳?」と聞いてみると15歳だという。学校も行ってないとのこと。
彼は再び、口を開く。
「俺は金貯めて、タイか中国か韓国に行きたいんです。」
それはまるで独り言のようだった。彼の視線は、まっすぐに目の前の通りの闇の奥を見つめ、動かない。
なぜ、そこに日本が入っていないのだろうか。
「もし、君が日本で働いたら、2日で10万チャットは稼げるよ。例え18歳でもね。」
言ってしまった後、すぐにオレは後悔した。「もし」という仮の話だけれど、彼が日本へ来れる訳がない。物価があまりにも違いすぎる。家が裕福で、留学でもしない限り日本へきて生活できる訳がなかった。
「そうなんですか。すごいですね」
オレは単なる情報を彼に与え、彼の気持ちをさらに落胆させたに過ぎない。ここと日本の差を痛感させただけに過ぎない。そんなの、言わなくてもいい情報だった。
「他の仕事は?」
オレは話題を変えてそう聞いた。
「他の仕事も、何度も何度も探していますが、ありません。だからこの仕事も辞めたいけど、辞められません」
日本の価値観では到底理解できない現実がそこにあるのだろう。
もう一つ、質問があった。
「君はなんで英語を話せるんだ? どこで覚えたの?」
日本では、英会話に関してはおびただしい数の教材が売られ、英会話教室もそこらじゅうにある。義務教育から高校にかけて学校でも学べる。ほとんどの日本人が英語は話せないし、話す必要もないが、少なくとも日本人は学べる環境にはある。
彼は答えた。
「テレビです。フロントの前にあるテレビからです。」
「テレビ?」
オレは、振り返ってホテル内を見た。
確かにフロント前には、ちいさなロビーがあって、そこには客用のテレビがあり、何か洋画が流れている。トム・クルーズのミッションインポッシブルだった。
「暇な時に、それを見ていて、聞いた英語を何度も繰り返し言っていたら覚えました。それにこのホテルは外国人も多いので。」
なんだと・・・?
それだけで覚えた?
だから、アメリカ発音英語なのか。
もしかするとこの青年、頭が良いのかもしれない。キビキビ動くし、他の若い従業員に比べると気遣いもでき、良く働く。
オレは伝えた。
「学校は行ってないんだろ。でも、勉強はしたほうがいい。勉強だけが生活を変えることができる。色んな仕事もできる。君は英語が話せる。頭もいい。勉強をして、生活を変えるんだ」
オレは熱を持って口にしたわりには、またすぐに後悔する。
それができる環境に、彼はいるのか?
そんな環境がここにはあるのか?
勉強しようと思って簡単にできるものなのか?
17歳、高校三年のあの頃の自分が少し彼に重なる。
どうしたらいいか分からないけど、とにかくがむしゃらに日々を生きる。
あの頃のオレは、音楽の中に生きていた。バンドがしたくて、ギターやドラムやベースがうなる、スタジオの爆音の中にずっと身をおいて置きたかった。
周囲が受験モードに入る中、どうしたらいいか分からなかった。どうしたらいいか分からない気持ちを曲を作って、そこに表現しようとしていた。
リア充という言葉が流行ったけど、オレはそれ以上の高校生活を送ることができたし、青春映画に描かれるような、心の底から魂を叫びたくなるような甘く、苦く、そして葛藤し続ける時間を送った。
青春時代という小さなカゴの中で、必死に羽ばたこうとしていた。無知で、バカだったから、その世界が全てだと思っていた。
今、何歳になろうが、好きなジャンルについて、人は教育と勉強で変われるし、世界を広げ成長ができることをオレは知っている。精神面だけではなく、社会人ならば仕事や給料という面でもそれは直結している。
ただ、それができる環境があるか、だ。
それがなかったから、彼はここにいるんじゃないか?
この生活をなんとかしてやる。そんな気持ちが彼と話していてひしひしと伝わってきていた。だからオレも何か伝えたかった。
「・・・、はい、勉強、大事ですよね。します。 日本にも行きたいし」
彼は、微笑んでいた。
「日本、良い国だよ。東京にはミャンマーの学生もたくさん来てるよ。働いている人もいるし」
「あの、日本語で、ハローはなんですか?」
「コンニチワ、だよ」
「コニチワ? コニチワ?」
「ノー。 コ・ン・ニ・チ・ワ」
「難しいですね」
そう言いながら彼はその後さらに、「オハヨウゴザイマス」と「オヤスミナサイ」をマスターした。
そこまで話すと、ホテルの自動ドアが開き、誰かが青年を呼んだ。仕事があるようだ。彼はすぐに立ち上がり、中へと入っていった。
時間は夜9時。12時まで勤務か。夜遅くにチェックインする客もいるもんな。
オレは、複雑に絡み合った感情を落ち着かせるためにもう一本たばこに火をつけた。
吐き出す煙が、ため息のようにも感じる。
一ヶ月働いて、1万か。今は、それで我慢しつつ、かもな。
部屋へ戻ろうとしてホテルへ入ると、青年とすれ違った。
「また明日」
「はい、また明日。 オヤスミナサイ」
オレも「オヤスミナサイ」と日本語で返した。
なあ、こういう出会いは、オレに何を与えようとしているんだろう。
無力感しかねえよ・・・。
旅のそのあたりから、なぜ人々は祈るのか、という疑問がオレの無意識下に植え付けられた気がする。その後も、考えさせられる場面に出会う度にその疑問は徐々に意識できるものとして輪郭を成していく。
部屋に戻り、忘れないうちにオレは彼との会話をアイフォンのメモに打ち込んだ。
そして今、ここに小さな物語を書くことができた。
あの出会いが少しは、意味を成すことができたかな。
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