お昼休憩から、なんにもない道をドライブすること1時間半。
信号はおろか、標識もない。 ミスターマオの運転だけが頼りだが、やはり不安になる。
けれど、ミスターマオ、昔はトラック運転手、このあたりの道は勝手知ったる道だろう。
現在地、方向をカンボジア全図を見ながら太陽の位置で方角と進んでいる方向を確かめる。 ・ ・・よくわからんが、進んでいる方角は太陽の位置からして合っている。
「あとどれくらいで着く?」 とミスターマオに聞いてみる。
「フィフティーン ミニッツ」 その通りに本当に着いたからすごい。
コーケー遺跡群にはカンボジアの郊外にしては綺麗なチケットオフィスがあったが、そこに座っているのはポツンとおじさんひとり。
一人10ドル。相変わらず強気な値段だ。
チケットオフィスから先の道路は密林。
土の道をさらに車で進むこと5分。時折、小さな遺跡が密林の中に見える。
ガイドブックによると遺跡があちらこちらにあり、それは推定1000を超える遺跡があるようだ。未だにその全ては発掘されていないという。
この道路を抜けると、村もあるようだった。
チケットにもプリントされているメインの遺跡に向かう。
駐車場で車を降りると、やはりおみやげ屋が並んでいる。
が、ほとんどひと気がない。
また子供が物売りに寄ってくるのかと警戒していたけれど、どうやらその心配もいらない。
観光客もほとんどいないようで、視界に入っているのは5名ほど。
アジア人だが、中国が韓国のようだった。
あまりにもシェムリアップから離れているのでほとんど観光客も来ないのだろう。
遺跡入口には、チケット確認の係の人がひとり腰を掛けている。そこを通り抜けて驚いた。
ガイドブックにもチケットにもメインとなる遺跡しか写っていないため勝手に規模が小さいイメージを持っていたが、崩壊した遺跡を僅かに守るためか、木道が作られていて、それがどこまでも続いている。その周囲は原型が想像できないほどの巨石の崩壊があり、その上をびっしりとコケが覆い、あまりにも長い年月の経過を見せてくる。 加えて、観光客がほとんどいないため、その静けさが遺跡の荘厳さを際立たせ、姿の見えない鳥の奇声がどこからか響いてきては感じる静けさを深めた。
誰もいない。人の声が耳に入らない。そういえばここには、現地の子どもたちの姿がない。たまたまなのか。それにしても、他のどんな遺跡でも入り口付近ではたいてい子どもたちが物を売っていたり、遺跡の中では遊んでいたりした。
密林の中、ダンジョンのように続く木道を進んでいくと、やがて密林が開ける場所にたどり着いた。空を背景にして何か巨大な遺跡が見える。あった。これか。
森を抜けた瞬間に、写真でイメージした大きさを遥かに超えるスケールに驚愕すると共にどこかで見たような、脳裏に掠める記憶を覚えた。 ピラミッド型なので、マヤやインカ文明の遺跡と似ているのか。それとも他の巨石文明か。 帰国して写真を改めて気づいたが、これだった。
近年、頂上までの木製階段が整備されたとのことで、遺跡の側面に、急斜面ではあるがしっかりとした階段があり上まで登ることができる。
ガイドブックの古い写真には、腐り果てたような木製階段が写っていた。
見上げる高さの遺跡の正面、そして脇を通り、階段へ。 このピラミッド型は七段とのことだが、一段の一辺が3メートルくらいあるため、間近で見ればもはや壁。
木製階段を登りながら、高いビルを外壁を使ってよじ登っているような感覚にさえなる。
最上段には、直径3メートルほどの大きな穴があり、それはまるで井戸のようで、深く、底が見えないほど続いていた。一応、誰も落ちないように柵があり、それを掴んで男性が2人覗き込んでいる。
サッカー日本代表戦で戦うイラン、イラクとかそういった中東の顔つきだ。 その一人が、穴を覗き込む前傾姿勢のまま、どこなまりかは全く分からないが、英語で、
「君、英語は話すか?」
と聞かれ、 「うん、少しなら」 と答えると、
「この穴はどれくらい深いのか、そこのガイドに聞いてくれないか?」
と、日本人観光客を連れているガイドにアゴをクイッと向けた。
確かに快晴の光が空から降り注いでいても、穴の底はまったく見えない。
どれくらい深いのか気になる所なので、ガイドさんに聞いてみるが、、、なんと分からないとのこと。
仕方ないので、中東の彼には、
「分からないが、このピラミッドの半分くらいの深さはあるみたいだ」
と、勝手に嘘をついたら、
「オー」 と言って、びっくりしていたので、
「メンゴメンゴ〜、やっぱり嘘だ」
とも言えず、びっくりさせ損をさせてしまった。
そのうち、だれもいなくなり、写真撮影。
歴史上、権力とそれが生み出す建造物の高さというは比例していて、当時の王はそこから見える絶景を手に入れていた。その同じ景色を見ているという感動が、ひとり最上段に立つオレに静かに押し寄せていた。
人の上に立つ、つまり高い位置を手に入れる。
これはもう東京などの高層タワーマンションにも似ているものがあって、生活の利便性は除き、より高い場所のほうが眺めがよく、優越感に浸れる。
人間である以上、上だの下だの、生き抜くために備えられてきた感覚がある限り自分と誰かを比べる、あるいは差別するというような社会的に批判される行為や精神は今後も永遠に在るのだろうな、と人間という生き物について考えを巡らせる。
この、深い闇を持つ穴には、生贄でも放り込んでいたんだろうか。
いや寺院だったんだからそんなことはないか。 じゃあ、なんだろう。周囲に抜け穴なんて見当たらなかった。こんなところ、落ちて生きていたとしても、餓死だろう。
謎だらけのカンボジアの遺跡。調べてもほとんど歴史的背景が分からない。 謎だからこその魅力がある。
ピラミッドを降りて、崩壊した寺院の参道を戻る。
閑散としたおみやげ売り場まで来ると、ミスターマオが大きく手を振って待っていてくれた。
車に乗り込んで、次の遺跡へと発進させる。
大密林に眠り続ける遺跡群と、それらと生活を共にする小さな村。そういう場所があるということをこの目で見て、知れて良かったと思う。
こんな遠くまで、もう来ることはないかもしれない。
そんな寂しさがいつも旅する気持ちに花を添えてくれた。
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