プリア・ヴィヘアは、山の頂にある。
その山の麓に、チケット売り場と駐車場があり、そこから専用車に乗り換えて遺跡へと向かうことになっている。
すぐ前を走っていたハイエースもここへ入った。どうやらツアー車のようだ。
下りてきた客を見ると、日本人だ。カップルと男性ひとり。
オレは、どこのどんな国にいても瞬時に日本人だと見分けられる能力がある。
・ ・・当たり前か。
顔つきとファッションでたいてい見分けがつくもんだ。
駐車場を見渡すと、もう一組日本人客がいるようだった。20代と見える女性2人に男性ひとり。お互いに敬語で話し合っている。しかし楽しそうだ。
・・・・。
これはオレの毒舌の出番かもしれない。
おめーら、どうせ日本人ゲストハウスで知り合って、「あいのり」ばりに「プリアヴィヘア一緒に行きませんか〜?」「あ、ぜひ〜」とか言って来ただけだろーが。ちょ〜しこいてんじゃね〜ぞこのやろー。こっちはわけわかんねーミスターマオとお互いにつたない英語を駆使しながら四時間もドライブして来てんだよ。見たか、ばかやろー。
そしてオレは思った。 こいつらは「敵」だと。
いや、、、 「エネミー」だと。
そう、そのほうが響きがいいし、なんとなくかっこいい。
さらに決意した。
オレも次にカンボジアに来た時は、
いや、来世は、
「日本人ゲストハウス」に泊まろう、と。。。
そして、「あいのり」ばりにカンボジアを旅しようと。。。
チケット売り場でパスポートを見せ、日本国籍を示して購入。一人10ドルもする。
相変わらず観光客からはふんだくる。
次に、遺跡まで向かう専用車をチャーターしなければならない。そこですぐにひらめき、ハイエースのツアー車で来たカップルと男性に話しかけ、チャーター料金を割り勘で相乗りさせてもらうことにした。
↑チケット売り場からの眺め。
この山の右上の一番高い部分がプレア・ヴィヘア遺跡らしい。
専用車はトヨタの四駆の大型車で、屋根付きの荷台に乗り込む。愛知から来たカップルと東京から来た男性、そしてオレ。
さらに、なぜかミスターマオも。
しかし彼はチケットも買っていないし、チャーター料金も払っていない。けれどとりあえず無事に来れたこと、これから遺跡に向かう高揚感もあって、アンコールワットと同じくカンボジア人ならどこでもタダで入れるだろう、程度で気にならなかった。
山の入口にあるチケットチェックポイントを経ると、急斜面に入りどんどん登っていく。先程までいたチケット売り場がすでに眼下の景色と化していった。
タイとの国境付近ということもあり、銃を肩に持った兵が何人かが・・・
えっと、何人か・・・
ハンモックで寝ている。 あるいはトランプで遊んでいる。
さすがカンボジア。勤務がゆるゆる。
トラックに揺られながら、数日ぶりに日本人と話すことにちょっとうれしくなって話が盛り上がっていると、ミスターマオがその「奇妙な言語」に興味を持ったのか真顔でジッ見ていた。
そしておもむろに話に入ってくる。
「同じ国から来ているのか?」の質問から始まり、いくつか聞かれた気がする。
その話の中で、彼は今まで仕事で外国人客らを様々な遺跡へ連れていったらしいが、ここ「プレア・ヴィヘア」は初めてだと言った。だから楽しみなのだという。
彼は最終的にはガハハ、ガハハとひとり笑いを見せつけ、大人しい民族の日本人たちをドン引きさせていた。
波のように揺れる急斜面を走ること10分。頂上付近に到着した。ここからは歩いて遺跡に向かうとのこと。 相変わらず、昔の日本の駄菓子屋のような土産屋、食事処があり、おばさんたちが立って商売をしている。けれど、しつこく客寄せのような声掛けはせず、買いたきゃ買えば、というようなまったりとした雰囲気。
↑ここを歩いて登っていく。
皆で遺跡へと向かう。足元は緩やかに登る岩であったが、まるで何年も川であったかのように凹凸が削られ丸みを帯びていて、実際雨水が幾重にも流れた跡があり、まだ湿っていた。
しばらく行くと、カンボジアと世界遺産の旗が立っている。
参道の脇に出たようだ。
200メートルほど石段の参道を下ると、タイらしい。
たしかにタイ国旗があり、軍隊と思われる兵が数人立っていた。
日本の「神社」や「神宮」のように一本道の参道が長く、ここからまだまだ登って行かねばならないようだ。
頂まで、廃墟と化した幾つかの巨石の門と建物を通る。
遺跡は、やはり崩壊がかなり進んでいる。石畳みの地面が波打ち、その形に遺跡も変形しているため、その柔らかい地盤に乗っかっている巨石群は雨季を重ねるごとに崩れ朽ちていくばかりだろう。
デザインはアンコール遺跡とは少し違っていて、奇抜なイメージを受ける。鬼の角を連想させるような門を飾る巨石に目を奪われ、荘厳さを感じずにはいられない。
そして遺跡の最後までたどり着いた者たちを待っているのが、まるでここが空に浮かんでいるかのように思わせるほどの大絶景。
ここ、プリア・ヴィヘアは天空に浮かぶ遺跡と呼ばれ、標高650メートルのダンレック山脈の頂に建てられている。
日本の山と比べればそれほど高い標高ではないのに、まるで地平線を見ているような絶景を望むことができるのは数十キロに渡って平地が続いているカンボジア特有の大地のためである。
言わずと知れたアニメ「天空の城 ラピュタ」。その舞台となったといわれる遺跡の一つがここである。
思う所と言えば、パズーとシータが龍の巣の乱気流を抜けて、ラピュタに降り立った場所にものすごく似ている。
草のそよぐ感じ、遺跡の風化、崩壊の具合。そして眺め。
その眺めは、先程までいたチケットを買っていた場所を「地上」と呼ぶに値するほどのものだ。ここが天空なのだと思わせるに十分な絶景がある。
新緑から夏にかけてよく登山をするオレは、頂上から見える景色の素晴らしさを知っている。なのでそれくらいの景色なんだろうとイメージしていたが、それを遥かに超えてくる絶景だった。
日本の登山では、頂上からは周囲に連なる山々が見えるが、ここから見えるものは地上だけであとはどこまでも続く緑の平野。
海も、空も、山も、美しい景色というのは、その見た目以上にオレたちに与えてくる心の働きがある。
自然の美しさに心を留めるのはDNAに刻まれた人間の本能なんだろうな。
長距離のマラソンをするようになって、練習で自宅の周辺を走っていると、ふと足を止められる景色に出会うことがある。
空に、ほんの少し朱色をポタリと垂らしたような、やんわりと淡い夕暮れ。
または、反転された別世界を彩る、植えられたばかりの見渡す限りの田んぼの水面。
水面が鏡になるのは、なにも世界中でウユニ塩湖だけじゃないんだな、とふと気づいた。
様々な景色、情景、それを見る人に、どんな感性があるか、あるいはどんな気分でいるのか、そんな単純なことで見方が変わる。そこには価値観や人生観も含まれているかもしれない。
人によって、見方も感じ方も異なる。
圧倒的な存在感を放つ絶景を眼前に、皆、それぞれの時間を過ごす。
生き急ぐことと、死に急ぐことにどれほどの違いがあるんだろう。
もう10年も前のこと、そんなことを考えたことがあった。ノートに記して、それについていくつか考えを書いたことがある。
友人を亡くしたことがきっかけだった。
美しい景色は、輝くような未来の想像よりも、色褪せずに残る記憶を呼び覚ます。
それが、オレという生き方を象徴しているのかもしれないな。
プリア・ヴィヘアの先端で、しばらくぼんやり眺めていると、日本人の10人くらいの団体が来て、ワーキャーうるさくなってきたのでそろそろ戻ることにした。
このプリア・ヴィヘア遺跡、訪れる観光客の日本人率五割です(オレ調べ)。大人気です。
帰り際に参道で、ガイドを連れた日本人の夫婦に声を掛けられた。おそらく退職後の方だと思う。
福岡から来たという。ここまで登ってくるのに一苦労だったと言って笑っていた。
すれ違っただけで、ほんの僅かな間なのに、話をしただけで相性が合うんだなあと分かる。
それでも、もうこの先、会うことはないんだろうな。
そういう人と人との間に生じる刹那がオレを成長させてきたし、人を想うことにも繋がってきた。
ラピュタから去る時、巨神兵の背中を見つめ、パズーとシータはどんな気持ちだったんだろうか。
海賊のドーラ達と別れる時、どんな気持ちだったんだろうか。
まるで国語の問題のようになってしまった。
劇中、言葉では語られていない彼らの気持ちを幼いながらにオレたちはアニメを見て追体験し、その胸を締め付ける寂しさ、切なさを学んできたんだろうな。
思えば、小さい頃、幼いながらにしてアニメ「天空の城 ラピュタ」から色々学んだ。
未知なる冒険への憧れ
自分より強いものへ立ち向かう勇気
そして女の子を守るための力強いハート。
海外へ行くならカンボジアだな、と初海外の場所を決めていたのも、きっとラピュタの影響なんだと思う。
こんな場所が本当にあるんだ、行ってみたい、という冒険心がそうさせたんだろうな。
また次もラピュタ。 ミスターマオと昼飯 & コーケー遺跡群 。
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