・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ゲストハウス「テドゥーホステル」にチェックイン。
今回の旅で初めてのドミトリー。そもそもドミトリー(大部屋に二段ベッドなどがいくつかあり、6〜8人くらいで部屋を共有する宿泊スタイル)はこれを含めて二度目。最初は日本だった。
伊勢神宮へ行った時にゲストハウスに泊まった。ゲストハウス=宿泊者みんなで仲良くしようぜ、みたいな雰囲気だということは理解した上での宿泊であったが、あの宿はひどかった。
スタッフが皆、20〜30代で若いということもあってか、タメ口で馴れ馴れしく、男性スタッフが女性宿泊客にべっとりしている姿も見るに耐えなく、二度とゲストハウスなんぞに泊まるか、と固く誓うきっかけとなった。(もちろん日本のゲストハウスでそんなところはまれだと思いたい。)
おそるおそる案内するスタッフに付いていく。階段を昇ること3階へ。 部屋はどうやらベッドごとにカーテンで仕切られていて、上下、左右も壁があり、ちょっとしたカプセル型で良い。300円ほど高いベッドにしたおかげでダブルベッドだ。天井は低くあぐらをかいて座れば、頭を天井にぶつけてしまいそうなほどだ。欧米人にきつそうだ。
荷物の整理をしたあと、とにかくオレは夕飯を探しに行くことにした。
時刻は夜10時。メイン通りへ出てみたが、遅い時間のせいかやっているような店や屋台が見当たらない。加えて歩道も薄暗く、一人で出歩いているのは危なそうだなと判断し、たまたま見つけたコンビニで飲み物とポテトチップス、それに何味か分からぬカップラーメンを購入し、ゲストハウスでお湯を沸かして食べることにした。
宿に戻ると、チェックインの時に挨拶だけ交わした男性が共有スペースの椅子に座って、一人でケータイをいじっている。
オレはコンビニの袋を持ったまま彼と同じテーブルに座り、改めて話してみることにした。 彼は中国人だった。そう言われなければ服装も顔つきもまるで日本人。英語はあまり話せないようだったが、会話をしたいと言う意思がその笑顔に宿っていてオレたちは片言の単語を並べて話した。名前はワンで、英語の1ではない、と言って彼は笑った。
そうしていると今度は、別の男性がやってきた。色黒の肌、アジアと黒人をミックスしたような顔つき。インドネシア人と彼が名乗らなければ、国籍が分からない。どうやらワンの知り合いのようで、もっともこのゲストハウスで知り合ったようだが、彼も含めて3人で談笑をすることになった。
そのインドネシア人は名をスギーと言った。インドネシアでは出身を島の名前でいうようでスマトラ島」と言い、仕事をしながら旅をしていると話した。 そういえば初日に屋台で出会ったニッキも親父さんのトラックの仕事を手伝いながらインドネシア各地を転々としているようだった。
一方、ワンの方は仕事を三ヶ月前に辞めて、アジアを旅してきたと言う。そして旅先の国の言葉をいつも覚えようと努めるらしく、タイ語に続き、今はインドネシア語を練習だと言った。そのため、スギーが会話ついでにに英語を交えて教えているようだった。そこへ日本人のオレも加わったため二人が日本語に興味を持ってくれ、簡単な単語を教えてあげた。
何より、旅先で出会ったばかりの彼らとフラットに話し合って笑っていることが何よりも楽しく嬉しかった。 翌朝、起きてトイレへ行って戻ってくるとワンとすれ違った。どうやら同じ室内のベッドだったらしい。カーテンを閉め切っていると、どんな人がどこに寝ているかなど分からない。 朝食を一緒に食べないか、と誘われたので、オレは、もちろん、と返した。
ここはトーストとコーヒー、シリアル程度の朝食は無料で、セルフサービス。 そこへスギーもやってきて、お互いの国の言葉を教え合うなどしてオレたちはまた時間を共にした。
10時。 まだゲストハウスでのんびり過ごすと言う二人を置いて、オレは散歩へでかけた。何せ、日程がない。明日は帰国なのだ。少しでもジャカルタという街を知っておきたい。 オランダ統治下時代の名残があるコタ地区へ行ってみることにした。 コタ駅を抜けてしばらく行くと、何やら広場へ出る。
「ファタヒラ広場」。
インドネシア独立記念日があったという事と、今日が日曜日だということ。さらにオリンピックのアジア版、「アジア競技大会」がここジャカルタで開催されているということで多くの人が集まっていた。
広場を抜けて、海の方へ歩く。
海洋博物館があるというので行ってみることにした。 入場料5000ルピア、約40円。この安さが実にいい。 展望台。 本館。歴史資料などが展示してある。日本についても何か史実があるらしい。ここは重要な港だったようだ。
一時間くらいかけゆっくりと見て周り、中庭で一休みしていると、なにやら男性10数人の人だかりができていた。そしてその全員が一眼レフを持っている。しばらくするとモデルと思われる女性が出てきて、オランダ統治時代の建物を背景に写真撮影が始まった。 なるほど。これはモデル撮影会だ。そういえばさっき、建物の一角の部屋で何やらメイクや衣装の準備をしている場所があったがこれのことだったのか。首都ジャカルタとはいえ、インドネシアで一眼レフを持ってここに集まっている人たちはきっと裕福なのだろう。
ともあれ、オレもそこへ混ざることにした。風景だけでなく、せっかくインドネシアにきたのだ、人物も撮りたいとは思っていた。
彼らに混ざってモデルの写真なんぞ撮っていると、スタッフらしき人に話しかけられる。けれど、インドネシア語なので分からない。けれど腕に巻いたピンクの腕章をしきりに指差して何かオレに伝えてくる。誰か少しでも英語を話す人はいませんか? と聞いても困った顔をされるばかり。加えて、「〜ルピア」と伝えてくる。もしや、と思ってグーグル翻訳で聞いてみる。
「撮影にはお金が必要なんですか?」
ああ、そうか、参加費ってやつか。参加者にピンクの腕章を渡しているようだ。
0コメント