送ってもらったゲストハウス前でバイクタクシーのフィシュヌを見送ったオレは、日が暮れ始めた薄闇の中、ゲストハウスの門を開けた。キイ、と長年の錆ついた音が鳴り響く。
大昔、貴族の家だったというこの宿はどうやら大した改装もなく部屋割りだけ仕立てたようで、チェックイン時に立ち寄ったフロントは屋根付き喫煙所程度のもの。そして夕闇のこの時間はそこには誰もいなかった。 通路や中央のテラスには確かに電球が灯ってはいるが、人の気配が感じられない。他に客はいないのだろうか。あるいは従業員はどうしたろう。
上から垂れ下がるアンティークな電球の僅かな光では足元が不安になり、iphoneのライトを付けて部屋まで向かう。
客室内土足禁止のこの宿。いくつかの部屋の前には靴が置かれていた。宿泊客は確かにいるようだ。オレの部屋の隣のドアの前にもサンダルが二足置かれていて、開かれた小窓からは何語かは不明だが男女の言葉が聞こえてきた。
今日は朝から鉄道移動、そしてバイクにて数時間の観光。ここまで来たなあ、と心の底から安堵と達成感が湧き出る旅。なんとか無事に過ごせてきた。
異国にて、しかも初めての土地で一日動き回ると神経も体力も使い切る。 一度、部屋に入り、ベッドに倒れ込んだ。見た目は白く綺麗なシーツだが、よく見ると汚れが目立つ。しかし、インドネシアの片田舎の宿に来るとそんなことはまったく気にならない。
むしろ、この汚れはいつ付着したものだろう、どれくらいの人数の旅人がここを経ていったのだろう、と想像を膨らませた。
すっかり日が暮れ、夜闇の中ようやく起き上がり、夕飯に出かけることにした。 駅の方へ行けばなにかしらあるだろう。ガイドブック「地球の歩き方」の地図をたよりに駅方面へ歩く。路上はホコリやゴミが相変わらず散らかってはいるが、スーパーなどは別世界のように綺麗だから不思議だ。かと思えば裸電球を連ねて吊るしただけの庶民の市場もあり、人とバイクが行き交い、ごった返している。果物、野菜、鶏肉が無造作に置かれ、独特の匂いを放っていた。
やはりと言うべきなのか、人通りの多い繁華街に近づくと褐色の肌に派手なメイクを施した現地の女性が路地の暗がりに立っていて、オレが外国人と見るやいなや寄ってくる。 インドネシア語で話しかけられお互い会話にならないがおそらく夜の客を探しているのだろう。 相手が多少英語でも話せれば出身やら、歳やら、日常生活について取材でもできなくはないが、どうやらまったく通じない。加えて、夜闇に浮かび上がるようにして派手なメイクだけが目立ち、年齢も不詳で少々不気味のため、オレは逃げるように足早にそこを去ることにした。
駅前は深夜まで鉄道が走っているため人や車通りがあり明るい。 その駅前通りを再び宿へと向かう。空腹のため最初は駅内のチェーン店らしき店で食べてしまおうかと考えたが、やはりせっかくだ、ローカルな店がいいと探していた矢先、路上にイスやテーブルをひろげる屋台に出会った。
テーブルには三組ほどの客がいた。
イスに座って、メニューを見るが当然読めない。写真表示がある「ミーゴレン」にした。インドネシア焼きそばだ。 親子で店を回しているのか、年配の夫婦らしき二人と若い男性が切り盛りしていた。その、おばさんのほうを呼び、写真を指さして注文する。
おじさんが手際よく中華鍋を振り、数分後にでてきた焼きそばは大盛り。普段、日本で食べているそれよりはすこし甘めで味が濃い。
食べているとどこからか、ギターを持ったおじさんと小学校の高学年くらいの女の子が現れた。その子は何を言うわけでもなく、オレに空き缶のようなものを差し出す。中をのぞくと小銭が入っていた。背後ではおじさんがポロンポロンとギターを弾いているではないか。小銭をせびろうというのか。一曲なにか歌ってくれるのかと思えば、ポロンポロンと、弾けているのかいないのか分からないほどの腕前。 これも何かの縁だろう、とオレは50円ほどのインドネシアルピアを女の子が持つ缶の中に入れてあげた。そうして満腹になった腹と共に宿に帰宅し、古都ソロの夜は更けていった。
翌日、少しでも早く起きて宿の周辺を散策してみようとカメラを持ってオレはでかけた。 古都と呼ばれるわけには、2つに分裂した王宮と共に、庶民が暮らす町並みの景観がその歴史とともに変化していないことにあった。
宿に戻ってから、昨夜は行けなかった宿内の様々な場所の写真を撮っていると庭の掃除をしていた従業員の青年が優しそうな笑顔で
「朝食を食べますか?」
と聞いてきた。この青年、チェックイン時に部屋まで案内してくれた青年だった。体が細く、気も弱そうなので、こき使われていないか心配になる。
「では、お願いします。」
とオレが言うと、
「テンミニッツ」
と言って、中央のテラスを指さした。
テラスに座って待っていると彼がトーストとなにやらフルーツを持ってきてくれた。なにか分からないフルーツが甘くてうまい。
これはなんだろうと食べながら考えていたら、次には今夜の宿が決まっていないことを思い出した。
今日はここ「ソロ」から「ジョグジャカルタ」へ鉄道で戻り、さらに「ジョグジャカルタ」から夕方の空の便で首都「ジャカルタ」へと戻る。大移動だ。
トーストをくわえながら慌ててスマホで宿を探す。
入国日に泊まったゲストハウスが気に入っていたので探してみたがどうやら部屋が空いていない。しかたなくその周辺を探す。個室ではないが、カーテンで仕切れるカプセルタイプのゲストハウスを見つけた。
値段も1000円を切る安価なので予約。宿が決まるとやはり、気持ちも落ち着く。目的地、目指すべき場所があるというはオレにとって全ての行動を促す原動力なのだ。
支度を済ませ、フロント兼「門番」へと向かった。部屋の、ドラクエみたいな鍵を返却する。
「これからどこへ行くんだ?」
支配人らしき男性が聞いてきた。
オレは、駅です、と答え、さらに、アプリでバイタクを呼ぶ、と加えた。すると彼が言う。
「うちのスタッフに送らせるよ。」
約100円くらいで良いらしい。アプリでバイタクを呼んでも150円ほどだったので、まあいいか、とオレはお願いすることにした。
数分後にどこからかおじさんがやってきてオレにヘルメットを手渡す。あご紐がなかったが、この際仕方ない。
宿を去る前に支配人と写真。
駅に到着し、 オレはまっさきに昨日、チュトー寺院へ一緒に行ったバイタクのおじさん「フィシュヌ」を探しに行った。もう会うことはないだろうと思っていたけれど、もしかしたら今日も客待ちをしているかもしれない。
タクシーの運ちゃんの待機場所でしばらくキョロキョロしていると、彼の方がオレに気づいてやってきてくれた。昨日と変わらない満面の笑みだった。
どうやら今日はまだ客にありつけていないようだ。
フィシュヌはそう言ってオレと固い握手を交わした。
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