新世界紀行エジプトの旅23 王家の谷

 馬車に乗るのは、考えてみれば初めてだった。


 いや、もしかすると幼い頃、榛名湖の観光馬車に乗ったことがあったかもしれない。だが記憶にはないし、そもそもケチな親父が「ただ乗るだけの経験」に金を払ったとも思えない。


 大人になってから、沖縄の石垣島で観光用の牛車に乗ったことはある。あれも結局は「観光」であって、移動のためのものではなかった。スピードも遅く、ただ揺られているだけだった。


 しかし今、ぼくは違った。ナイル川を渡るための手段として、馬車に乗っていた。観光客向けの馬車には違いないが、それを本当に足として使う人間がどれほどいるのか。


 幸い、風はなく、暑くも寒くもない。馬車日和だった。
 最初の目的地は「王家の谷」。エジプトに来た旅人が必ず訪れる、ツタンカーメンの墓がある場所だ。


 道中、Sさんとの会話は尽きなかった。今回の旅だけでなく、お互いの人生についても話す。


英語が堪能な理由について、


「帰国子女なんだよね」とSさんは答えた。


 帰国子女という人に、もしかすると初めて会ったかもしれない。幼い頃の話や両親の話を聞きながら、教育の重要さについて考えさせられた。


 旅をしていると、普段の生活では決して交わらない世界の人々と出会う。それが面白い。Sさんは医師だった。一度別の学部を卒業し、別の仕事をしてから、医学部を受け直して医者になったという。


職業のレベルは違えど、ぼくもその時の自分の考えに従った結果、仕事は変えてきた。


だから、そういう人とは馬車に乗っているだけに「馬が合う」のかもしれない。


 ぼくが旅をする理由はいくつもある。古代文明、遺跡、貧困、スラム、民族、歴史、宗教……まだ見ぬ新世界を知りたいからだ。しかし、それと同じくらい、旅先で出会う人々の「旅の理由」を聞くことも楽しい。





 馬車は遅かった。
タクシーなら20分ほどの距離を、1時間かけて進む。その間、何台もの車に追い越されたが、馬車のスピードで見るルクソールの田舎風景は、ずっと眺めていたいほど美しかった。


駅やルクソール神殿周辺は、ホテルや土産屋、レストランが無数にひしめき合っているが、王家の谷へ向かう道中、特にナイル川周辺はどこまでも続くような田んぼ風景が広がっていた。


 やがて、王家の谷に到着した。最後の急な坂道は馬にとっても厳しかったようで、息を切らしていた。

 谷は殺風景だった。だが、一大観光地らしく、ビジターセンターは近代的な建物で、道もきれいに整備されていた。チケットカウンターに向かう。


「王家の谷 入場チケット、600エジプトポンド(約3000円)」


「ツタンカーメン王墓入場チケット、500エジプトポンド(約2500円)」


 有名な墓には別料金が必要だった。高い、とは思う。しかし、ここまで来たら払わないわけにはいかない。


 チケットを買い、ゲートを抜けると、ゴルフ場のような電動カートが並んでいた。どうやら、ここからさらに奥へ進むにはカートに乗るらしい。
 両側を10メートルほどの岩壁に挟まれたアスファルトの道を数分進むと、王家の谷に到着した。


 この谷には、目立つ墓を作らず、地下に墓を築いた王たちの遺跡が眠っている。今までに66の墓が発見され、そのすべての番号の頭には「KV(キングスバレー、王家の谷)」というイニシャルが振られていた。


 まずはツタンカーメン王墓へ向かう。

 入り口の前には列ができていた。さすがはエジプトでも屈指の観光スポット。小規模な王墓であることも影響しているのだろう。


 チケットを見せ、中へ入る。



 地下へ続く通路は、思っていたよりも整備されていた。博物館のようにライトアップされ、古代遺跡とは思えないほどだった。


 黄金のマスクが発見された玄室に足を踏み入れる。

 ライトに照らされた壁画は、3000年以上前とは思えないほど鮮やかだった。あまりに鮮明すぎて、後世に修復されたのではないかと疑うほどだ。


 エジプトの古代文字、ヒエログリフが並ぶ。


「ツタンカーメン」という文字を覚えてきた。正確には「トゥトゥ・アンク・アメン」。音がつながると「ツタンカーメン」になる。


 ここにはツタンカーメン本人のミイラがある。研究後、博物館ではなく王墓に戻されたのだ。


 発見者、ハワード・カーターは言った。


「彼のミイラは、ここに在るべきだ。」
 敬意の表れなのだろう。


 子どもの頃、テレビで見たエジプト。そこに自分が立っているという現実。
 エジプトに来ると、すべてが世界遺産であり、圧倒的なスケールの連続で、感動が麻痺してしまう。


 ラムセス3世、セティ1世、セティ2世の王墓へ向かう。


 どの墓も地下へと続いていた。
 狭い入り口から入ると、異世界に迷い込んだようだった。
 両側には鮮やかな壁画とヒエログリフ。


 発見された当時、人々は粗末なランプやたいまつを頼りにこの空間を歩いたのだろう。
 王の石棺の上には、無数の星を描いたドーム状の天井画があった。
 それは冥界を象徴していた。


 3000年以上前の作品が、目の前にある。


 日本の田舎町で、何時間も旅の計画を練り、数時間かけて成田空港へ行き、飛行機に乗り、乗り継ぎをし、エジプトの首都へ降り立ち、国内線に乗り、バスに揺られ、馬車に揺られ、そして今ここにいる。


 その道のりそのものが、時間旅行のようだった。


 頭上の星の絵を見ながら、ぼくはそんなことを考えていた。


おかやんのバックパッカー旅ブログ。

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