新世界紀行 エジプトの旅② アブダビ空港

成田空港を出発したのは16時55分であった。


アブダビまでのフライトは11時間35分、1日の半分を費やすほどの長さである。何をしていても、やがては飽きてくる。


今回の旅に持参した本は、沢木耕太郎氏の新作『天路の旅人』である。普段ならば本をそのまま鞄に詰め込むのだが、今回は荷物の軽量化を図るために初めてデジタル版を購入した。


本というものはやはり手に取って読むのが一番だけど、こうした旅の際にはデジタルの利便性を感じる。


画面に表示される文字数が紙に比べて少ないためか、読む速度が一層速く感じられる。機内の映画は日本語字幕が少ないと聞いていたので、アマゾンプライムでスマホにダウンロードして持参した。


NHKドラマ『岸辺露伴は動かない』と映画『岸辺露伴 ルーブルへ行く』、シリーズ全てを既に観ていたが、再度観賞しようとスマホに入れておいた。これらをノイズキャンセリングヘッドホンで鑑賞すると、狭い機内でもまるで映画館にいるような没入感を得られる。


本を読んだり、映画を観たり、藤井風くんの楽曲を聴きながら、この一年を目の奥で反芻しているうちに、最初の食事が配られ始めるのであった。


日本出発の便であるが故に、周囲にはちらほらと日本人の姿が見受けられる。


通路を挟んで右隣には一人の男性、左隣の二席には30歳前後のカップル(夫婦?)が座っている。彼らは食事についておいしいだの、そうでないだのと話している。


カップルのその男性は、さながら海外旅行に慣れているかのようであった。あるいは、随分と疲れていたのだろうか。羽田を離陸するや否や、すぐに深い眠りに落ちたようだった。時折、彼女(奥さん?)から話しかけられても、彼は一言二言の返事をするのみであった。

食事の時間になると、仕方なく、といった風に起き上がり、ようやく食べ始めるのであった。


一方、女性の方は、食事を配る客室乗務員に対して流暢な英語を駆使していた。何かしらの経験があるように見受けられた。


通路を挟んで右側の男性は大柄で、日本人でありながらエコノミークラスの席では体が収まりきらず、窮屈そうに食事をしていた。


いや、食事だけでなく、何をするにも窮屈そうであった。その点、細身で小柄なぼくには、エコノミークラスでも十分な空間があった。


しかし、隣の席の人が大柄な男性で、ぼくの席の方まで腕や肩がはみ出してくる時は、さすがに不快であった。仕方ないと理解しつつも、迷惑に感じるのは否めなかった。


二度目の食事を経て、アラブ首長国連邦の首都アブダビへ無事に着陸した。現地時間は午前零時三十五分、真夜中であった。トランジットの案内に従い、空港内を歩き始めた。


機内で配られたペットボトルの水を持参していたが、ここでは廃棄しなければならないようで、ぼくを含めほとんどの人がトランジットカウンターでそれを捨てざるを得なかった。


そこを通過すると、眼前に広がる国際線フロアの光景は、まるで一度も足を踏み入れたことのないUAEの華麗さを彷彿とさせるものであった。未来的なデザインが施されたその空間は、豪奢と先進性が見事に調和している。




そして、深夜にもかかわらず、どの店も煌々と灯りをともしており、大勢の搭乗客たちが行き交っていた。気分の高揚も手伝って、時計を見なければ深夜であるという実感すら持てない。


多くの乗客は、イスラム教の宗教服を纏っている。男性は全身真っ白の「トーブ」、女性は目だけを残して全身真っ黒の「ニカーブ」を着用していた。


東京でも稀に見かけることはあるが、ここでは圧倒的な数であり、異国情緒を肌で感じる。日本の地を離れた実感と共に、「冒険の旅」へと出発した高揚感が胸に湧き上がる。


次に乗るエティハド航空のエジプト行き便のゲートナンバーを確認しようとモニターを見に行ったが、まだ表示されていない。


どうやら搭乗時間の一時間ほど前に掲示されるらしい。次の便まで約二時間半、アブダビ経由でヨーロッパへ向かう日本人も多く、そうした話をする日本人の姿も見受けられた。


空港内を少し散策してみたが、ブランド品店ばかりで特に興味を惹かれるものもない。電源のあるベンチを見つけ、座り込み、沢木さんの本を読んで時間を過ごすことにした。


しばらく本を読んでいると、目の前の席にUAEの家族連れがやってきた。夫婦に祖父母、小学低学年から未就学児までの子ども三人。自宅から持参した弁当をタッパーから取り出し、見知らぬ鶏肉料理を食べ始める。


時刻は深夜一時。国際空港とはいえ、子どもたちが起きていて元気に食事をしていることには驚かされた。


さて、エジプト・カイロ行きエティハド航空EY657便のゲートナンバーが決定したようなので、向かうことにする。


待合はまだほとんどの乗客が来ておらず、閑散としている。リクライニングの備わった珍しいベンチを見つけ、そこで横になって待つことにした。

あと数時間もすれば、いよいよエジプト、カイロだ。自分の計画や情報を再確認するため、「地球の歩き方」やスケジュール、空港でやることなどをもう一度見直す。


その間に、日本人の団体が列をなしてやってきた。先頭に立つのはどうやら添乗員のようだ。まるで修学旅行のように整然と並んで歩く姿は、日本の教育の象徴とも言えるだろう。それがメリットなのかデメリットなのかは別として。



これが「オーラ」というものだろうか。彼らの猫背の歩き方、のんびりした雰囲気、危機感のない態度、バッグの持ち方や掛け方、まるで連れられているような様子。


それは安心して旅を楽しんでいる証拠なのだろう。しかし、これは後にゲストハウスで出会う人とも共感できたことだが、一人旅をする者から見ると、彼らパックツアーの人々は失礼な言い方になるが「目が死んでいる」のだ。



これから旅を始める時の、まだ現地の空港を出ていない時の集中した目つき、顔つきは自分でも鏡で分かる。


きっと、トレランの大会でもスタート前にはそういった顔つきをしているはずだ。日々のトレーニングを積み、メンタルを整え、コースルートを見ながらイメージトレーニングを行い、そしていよいよ大会に臨む。その緊張感と高揚感。

バックパッカーも同じだ。


治安、国民性、文化、交通手段、食べ物、宿などの情報を収集し、検討し、決定する。起こり得るトラブルを想定し、それを回避する術を身に付ける。



何が起ころうともどうにかなる日本での市民レベルのトレラン大会よりも、無事に生きて帰って来られるかどうかという海外一人旅の方が遥かに緊張する。


それは価値観や旅の内容、求めるものが異なるため、パックツアーが良いとか悪いとかいう話ではない。


ただ、ぼくが求める「冒険」や「旅」はそこにはないだけだ。彼らは「観光旅行」をしているのだ。当然、その国に「仕事」で行く人はまた別の顔つきをしているだろう。



添乗員付きパックツアーは、日程などを調べただけでもぼくの旅予算の二倍以上する。ぼくの年末年始の東京〜カイロ間の往復航空料金は17万8千円。現地での5泊の宿代、食費、移動費、遺跡入場料などの総額は5〜6万円くらいだろうか。ともすればもっと低い4万程度だ。


年末年始の一週間程度のエジプトパックツアーは、少なくとも一人50万円以上。中にはご高齢の夫婦もいた。金額よりもまず、エジプトに旅行へ行こうという気持ちとそれを実現、実行していることが素晴らしいのだ。



ぼくだって、いずれこうしたパックツアーのお世話になるだろう。



見知らぬ人たちと数日を共に過ごす旅も、一体感が生まれて楽しいと思う。ただ、その時が来たとしても、高い危機感を持ちながら楽しみたいと思う。


おかやんの「とりあえず何でもひとりでやってみる」ブログ。

やりたい事は悩みながらなんでもやってみる。結果的に楽しんでる!また、何かに特化して書いているわけではありません。 書きたいことをごった混ぜにしてネタをブチ混んで書いていますhttps://www.instagram.com/the_unending_world/?hl=ja

0コメント

  • 1000 / 1000