パリ組曲⑲  祈る


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パリ滞在、4日目の朝、ミヒャンは谷川のホテルでむかえた。


 彼女のたいていの荷物はもうここにある。残るパリの夜をここで過ごすことにしたようだった。谷川はそれを尋ねはしなかったが、そう察していた。 


  察する、という心理的作業と共に谷川は今まで生きてきたような気がする。


 はっきりとは聞かず、きっとこの人はこういう考えなのだろう、こういうことが言いたいのだろう、と感じては脳裏に浮かぶ疑問を消し去ってきた。



 何も聞かず、雰囲気で感じ取る。人間関係においてそれは時に効果的で、時に関係を歪ませた。  察することで、彼はいつも感情を表に出さなかった。怒ったり、悲しんだりする必要もなかった。  



 覚えている一番幼い記憶は保育園の頃。

 皆で飼っていたうさぎが亡くなってしまった時、多くの園児たちは泣いているのに彼は涙を流すことはおろか悲しい顔もできなかった。心の中は土砂降りの涙であった。仕方ないよ、生き物だから、などと声をかける男子はいた。谷川はただ立ち尽くしていた。悲しかった。鼓動のたびに心臓を掴まれているような胸の痛みがあった。悲しいのにどうしてぼくはみんなみたいに涙が出ないのだろう。幼いながらにして彼は自分自身をおかしな存在として感じていた。  


 小学校4年の終わりに、親友が父親の転勤で引っ越すことになっていた。秋が来て冬が来て、間もなく早春3月の終わりを迎える。谷川だけでなく、皆から慕われていたその親友のために、その親友宅で開かれたお別れ会には多くのクラスメイトたちが集まった。



 会の終わりには泣いているやつもいれば、寂しさを口にだして伝えるやつもいた。谷川はそんな輪の後ろに無表情で立っていた。 


「また会おうね。」  


 彼は笑顔で友人にそう告げる。そしてその夜は、布団の中で静かに泣くのだった。    


 ミヒャンを見送る時は一体、どんな気持ちなのだろうか。 


 そんな疑問を微動だにしない無表情の中に潜ませながら谷川は、ミヒャンが着替える、その後ろ姿の肌をベッドに寝転がりながら眺めていた。首から肩、肩から腰へ、腰から臀部へ、その綺麗な流線形はマネキンのようであった。


 「朝ご飯はドウシマスカ? ワタシのホテルへ行きますか?」  

 ミヒャンがまだ寝ぼけベッドに寝ている谷川の胸に飛び込んできた。抱きしめてみると、それはマネキンなどではなく、柔らかな弾力と仄かな熱を帯びた女性の体であり、それを確かめるように布団の中に抱き寄せた。 


「朝食はドウシマスカ? ねえ、ドウシマスカ。起きましょう。」  



 谷川はそのまま二度寝したい気分でもあったが、ミヒャンが何度もそう言って彼をベッドから引きずり出そうとするものだから、彼もその度にミヒャンの体を抱き寄せてはベッドに沈みこみ、彼女の体温という名の夢を胸に感じながら、天井をぼんやりと眺めながら見送る時の言葉を考えていた。  




 朝食はホテル近くのスーパーへ行って何か買うことにした。市場、を意味するフランス語、マルシェ、にスーパーがくっついている「スーパーマルシェ」というお店。


 中は日本と変わらぬ品揃え。野菜、加工食品、日用品、肉、魚、ワイン。一通り全部売られている。値段も観光客相手でないだけ、ずいぶん安い。

 

 残る3日間、もし何か必要なものがあればここで買うことができそうだ。  

 店内にはきっと周辺のアパルトマンの住人たちだろう、おばさま達が数人いるだけで、あとは店員が朝の品出しを行っている最中だった。


 二人は半ば観光気分で店内を歩き、パンと牛乳、オレンジジュース、それにヨーグルトをカゴに入れてレジに向かった。レジには白髪混じりのおばさんが座っていた。前に並ぶおじさん客を見て、買い方を予習する。


 日本と違い、レジのテーブルはベルトコンベアになっていて、そこに商品を置くとおばさんが何かを操作してそれを回し、手前に引き寄せる。谷川たちの番になった。 


「ボンジュール、ムッシュ」  


 言われて谷川も、ボンジュール、と返す。  


 お金を払い、お釣りを受け取る。袋はなく商品はバッグに入れて持って帰ることにした。 

「買えましたね。ワタシが日本へ初めてきた時を思い出します。すごく緊張してスーパーへ行きました。日本語、あまり話せませんでしたから。」 


「ミヒャンにもそんな時があったんだね。今はこんなに話せるのに。」 


「そんなことはありません。でも、もっと覚えて、日本にずっといたいです。」


 「オレも、海外に住んでみたかったな。少しは覚えた英語を使ってさ。」 


「ソウなんですか? ワタシも英語を覚えたいです。」 


「そしたら、ミヒャンは三ヶ国語話せることになるね。韓国語、日本語、英語。」


 「それはとても大変そうです。タニガワさんが韓国語を覚えましょう。」 


「オレが?」 


「ハイ。」 


「なんで?」 


「韓国語でワタシと話せます。」  

 ミヒャンが、フフフと含み笑いをした。 

「今、日本語で話してるじゃないか。」

 「アリガトウ、の韓国語、覚えてますか? パリに着いた時に、ワタシが教えました。」 


「えっと。」

「ああ、忘れましたネ。」

 「いや、えっと、あれだよ。なんだっけ。」

 「カムサハムニダ、です。」

 「そうそう、それ。カムサハムニダ。」  

 確か、パリに着いて、ミヒャンが空港で水を買って、送迎車の中で一口もらった時だった。

 

 数日しか経っていないのに、ずいぶん前のことように谷川は感じていた。それほどパリの滞在の時間を濃密に過ごしていることだろうか。

 

 ミヒャンの存在も、もうずいぶん前から知っているような気さえする。目に見えている彼女という存在以外、知らないことが多いのに。   


 ホテルの部屋でベッドに座り、窓の外の中庭の景色を眺めながら谷川はパンと牛乳、ミヒャンはパンとオレンジジュースを口にした。空は今日も曇っている。


 白と灰色をパレットで混ぜているような、淀んだ色だった。天気予報によると、午後は雨らしい。 

 

 「午前だけ観光に行こうか。歩いていけるところ。いくつか行ってみたいところがあるんだ。」

 

「どこでしょう?」 

 朝食をすませた谷川たちは、モンマルトルの丘へ向かうことにした。ピカソやゴッホなどが居を構えていた高台で、今も芸術家が集まっている場所だという。

  石畳の地面は変わらず濡れて光っていた。

 一応傘を一本持ち、それを杖代わりにしてミヒャンが歩く。 彼女はそれでマジックショーでもするかのようにくるくると回して地面に円を描きながらあっちらこっちら動きながら子供のように歩く。 

 

  通りにはお土産屋が軒を連ね、いかにも観光客相手にしています と行った店構え。 10分も歩いたろうか、「ムーランルージュ」が見えてきた。  

 

 1889年創設のキャバレー。

 女性ダンサーが横並びで足を高く上げながら踊るイメージが世間に定着している。

 チケットは高額かつ人気のため購入さえ困難らしく、せめて外観の写真だけでも見たいという観光客も多いらしい。店舗前の路上には何組かの観光客の姿とパリ市内を巡るツアーバスが路駐され、ガイドが何か客たちに話していた。

  印象派の芸術家がこぞって集まり創作活動を行ってきたというモンマルトル。ヴィンセント・ファン・ゴッホが弟のテオと共に暮らしたというアパルトマンも残されてるようで行ってみた。  



 谷川は日本でのゴッホ展やアメリカ、そしてオルセー美術館でゴッホの絵画を目にしてきて、こうしてその画家の生活の跡を目にするのは感慨深いものがあった。  


 丘という名前が付いているだけあって、緩やかではあるが斜面を登っていく。 



テルトル広場に出ると、一気に賑やかになった。カフェやレストランが周囲に並び、広場には多くのアマ画家たちが集い、観光客の似顔絵を描いていた。  

 

 広場の奥には教会があり、自由に出入りできた。 





 サクレ・クール寺院に到着する。空は曇ってはいたが、エッフェル塔まで一望できるほどの景色だった。木々が立ち並んでいるが冬で葉は枯れきってしまっているので眺望がよくきく。




 おそらく夏は葉が生い茂って景色はあまり拝めないのだろう。皆、エッフェル塔をバックに写真を撮っていた。 




寺院に面した道路で男性がギターで弾き語りをしている。 

 

 名曲オーバー ザ レインボウを歌っていた。彼の低音はどこまでもよく響き、かといってこもった感じのない、澄んだ声であった。2人は彼の歌に聞き入り、しばし足をとめた。

 

 どうやら自主制作のCDを売っているらしく、足下には「1枚5ユーロ」という手書きの看板とかごに入ったたくさんのCDがあった。あまりにも声が良いので、寺院観光の後に谷川はそのCDを買うことにして、先に寺院に向かう。  

 

 中央には大きなステンドグラス、それに向かって木製の椅子数多く並び、人々がそこに腰掛けている。その荘厳な光景に思い出すものがあった。   

 

 谷川は何年か前に、日本で教会に通っていたことがあった。別にキリスト教信者だったわけではない。

 

 ただ、英会話の勉強をするために、教会なら外国人がいるだろうという安易な考えで訪れたにすぎない。  

 

 けれども、聖母マリアの像やステンドグラスに施されたキリストなどを目の前にし、耳鳴りがするほど静寂な教会に座っていると、それだけで心が静まり、癒やされていくような心地になった。

 

 実際にそれを目的に通ったことも事実。あの体感が、ここパリへ来ても変わらず残っていて、寺院の中へ入った瞬間から、ここが別世界なのだと感じ取った。

 

  そんな頃のことをミヒャンに話しながら、留学もせず、英会話スクールにも通わず、海外に行ったこともない身で英会話を独学で勉強していた自分を思い返していた。 


  20歳そこそこの頃、やりたいことはたくさんあるのに、度胸がなかった。やりたいことをやるための度胸がなく、やりたいことがやりたいことのままで終わっていた。 

 

  今の自分にはそれがある。それを得ることができたことを感謝とともに彼は祈った。無宗教の彼にとって、どんな場所であろうが祈りは自身に平穏をもたらすための大事な行為。

 

 観光でここへきたとはいえ、彼はこれまでの旅の無事への感謝と、そして無事に帰国できることを祈った。 

 

  20分ほど寺院内で過ごして外へ出ると、弾き語りの男性はまだ透き通る声を響かせていた。2人が聞いていると、すいぶん年齢差があるだろうカップルがやってきて肩を抱き合って同じように聞き入っていた。

 

 何か訳があるのだろうか、女性のほうが微笑みながらも涙ぐんでは目元を拭っていた。    

 教会へ通っていた頃、彼の動機は外国人との英会話だというのに、他の方々は祈りの目的を持ってやってきていた。

 

 谷川とてそれがないわけではなかった。けれど、神に祈る、とは心に残される「大きな物」をこれ以上大きくしないための最後の選択肢のように思われた。

 

 神頼み、という日本語は無宗教の文化を無責任に表しているように彼はその時思ったものだ。  


 神の元へは様々な人々が訪れる。  

  コミュニケーションがうまくできず仕事ができないという人、自分自身に自信が持てず工場の派遣社員を続けているが、教会へくるとイキイキできるという人、子供に障害があってちょっと大変なのという人。


 皆、自分のことをそこでよく話した。谷川には話すようなことはなかった。どうして人に知られたくないような事を進んで話せるのだろう。 

 

 「どうしてこの教会へきたの」と聞かれた時、彼はなにも答えられず、「小さい頃、母親に連れてきてもらったことがあるのでまたきてみたくなりました」と答えをなんとか絞り出した。それでも皆はこう言った。

 「きっと谷川くんは神様に呼ばれてきたんだよ。私もそうだったから。何か理由があったわけじゃなくてね、呼ばれたの。よく分からず来ているうちに、自分が何に悩んでいるのか分かるようになったよ。自分のことがよくわからず苦しんでいたみたいなんだ。」    

 

 何度か通って谷川が気付いたことは、自分がこんなに明るい性格を持っていたということだった。職場では必要最低限の会話しかしなかった。笑うことも少なかった。

 

 けれどその教会の皆と話しているとなんでも話せた。そういうサイクルがあるから皆、自分のことを素直に話し、自分自身と向き合えるようになるのだ。  

 目の前のカップルは弾き語り男性の足元にお金を放り込むとCDを手に取り、去っていった。谷川も曲を聞き終えて、近づき、5ユーロを手渡してCDを受け取った。    


 呼ばれて来た。  

 宗教染みたその言葉は、それ以来谷川の行動をずっと支えてきた。  どうして行き先にパリを選んだのか。最初は全く選択肢になかった。ではなぜか。何かが自分を呼んだのだ。  

 

 そう考えると自分の行動を、そして自分自身を信じることができ、何かが起きてもそれはその時の自分にとって必要だったものなのだと思えるようになった。  


 もう会うこともないだろう、弾き語りの男性の歌を日本に帰ってCDで聞けることの楽しみをリュックにしまい、彼の歌声を背中に聞きながら、サクレ・クール寺院を後にした。   




おかやんの「とりあえず何でもひとりでやってみる」ブログ。

やりたい事は悩みながらなんでもやってみる。結果的に楽しんでる!また、何かに特化して書いているわけではありません。 書きたいことをごった混ぜにしてネタをブチ混んで書いていますhttps://www.instagram.com/the_unending_world/?hl=ja

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