大晦日。時刻は午後9時半。
遠藤さんたちと食事を終えていったん帰宅する。
ゲストハウスの鉄扉を開けて中庭へ入ると、闇の中に浮かび上がるように煌々と明かりの付いたホールでは何やら食事会が行われていた。
私の部屋はホールのすぐ上の階であるため目の前の階段を上る。階段上からカーテン越しにホールを見ると、長テーブルの上に数々の品の料理、3〜4家族はいると思われる大人と子供。大晦日の夜を楽しく過ごしているようだ。
宿の主人の話によるとダンスパーティということだったが、きっと食事の前に終えたのだろう。
コロナに加え、真冬に入るオフシーズンだからか、他の客室はどこも真っ暗で電気は点いていない。今日の宿泊客は私だけなのかもしれない。
とにかく遠藤さんらと新年になる0時前に再びレギスタン広場で落ち合うことになっている。
それまで2時間は体を休めることができる。
部屋に入り、靴を脱いでベッドに倒れ込む。
「ああ・・・。」
疲れていた。
ただ、仕事疲れのようなドロドロのそれではない、充実の疲れだ。
やりきった、楽しみきった、やりたいことをやりつくそうとしてる疲れだ。
それでも、
体が重い。手足もだ。
気持ちの良い、しかし身体的疲労は否めないダルさ。
日本を経って以来、10キロのザックを背負ってまずはソウルを歩き回り、そこからウズベキスタンへ飛んで首都タシケントを歩き回り、今日はサマルカンドを歩きに歩き回った。
私はそういう旅のスタイルなのだ。
食事やカフェなどでゆっくりしているより、できるだけ街を、人を、遺跡を見て回りたい。
トレランをしている体力、筋力があるからこそできたことではある。
それにしても、頭も使いまくった。思考、判断、決定、そして実行。
知識、体力、経験、自分のすべてを注ぎ込んで旅をしているだろう。
あまりにも疲れていて、もうこのまま寝てしまってもいいような気さえしてくる。
いや、サマルカンドでののカウントダウンを棒に振ることはない。意地でも起き上がって行くのだ。
そうだ、まだ時間はある。とにかく体を休めよう。
明日の朝からの動きの確認のためにガイドブックやケータイをなんとなくぼんやりと見返したあと、私はベッドの上で大の字になって目を閉じていた。
日本であればこの疲労感ならすぐに寝てしまうだろうが、今はまだ気が張っているためか、このまま寝落ちしてしまうようなことはなさそうだった。
5分か、10分か、15分か、その程度の時間だったと思う。目を閉じていると外の階段を上がってくる足音がする。
近づいてきた音は、私の部屋の前で消えるとそれはすぐにノックへと変わった。
驚いて飛び起きてみると、カーテン越しにオーナーが立っているではないか。
飛び起きてドアを開けるとオーナーが言う。
「下に家族が集まっている。良ければ来ないか。」
その時の私にとって、疲れよりも旅先での人生イベントのほうがやはり遥かに勝っていたのだ。
「ありがとう。すぐに行きます」
無意識に、咄嗟にそう返していた。もしかすると、私が帰ってくるのを待っていてくれたのかもしれない。
脱いでベッドの上に放おっていた靴下を慌ててもう一度履き、オーナーの背中を追う。
招かれた部屋は、20畳以上はあろうかと思われる横に長いリビング。テーブルの上にはいくつもの料理が並んでいた。また、壁際に並ぶショーケースにはウズベキスタンの色鮮やかな陶器が並び、天井にはシャンデリアがあった。
そこに15人ほどが集まっている。
私は一番端の席に座った。
オーナーの紹介によると、まずオーナー夫婦、それにオーナーの娘二人の夫婦に子供が三人くらい。
それと、私の眼の前に座っていたのが他の宿泊客であるというロシア人、三人。
「?!」
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