I came to Bagan finaly! I had always wanted been here..
I'll never forget the days I spent here... I had lots of hun!
First sunset.
カンボジアのアンコール遺跡群、インドネシア、ジャワ島のボルブドゥール遺跡、そしてミャンマーのバガン遺跡。
オレにとって、これら、世界三大仏教遺跡の最後の訪問地となるバガン。
「クメールの微笑み」と呼称されるアンコールワットのアプサラの彫刻を目にし、日本にはないエキゾチックなその美しさに魅了され、東南アジアの壮大な仏教遺跡を巡る旅をしてきた。
そのカンボジアへ向かう機内で読んだ雑誌の表紙がミャンマーの僧だった。ページをめくると森の中に存在する無数のバガンのパゴダが、あの時オレの冒険心を掻き立てた。
そして、ついにその地へと向かう。
マンダレー、バガン間をはしる「OK エクスプレスバス」は、ミニバスといった感じで、20人乗りくらい。9000チャット。800円くらいか。
ドライバーと、もうひとり添乗員が乗っていて、道路で待つ客に声をかけたり客の荷物を運んだりしている。 オレが乗った時は、わずか3名だけだった客だが、マンダレーの各乗り場を巡って客を拾っていき、最終的に満員となった。
大都市間移動なので外国人もいるだろうと思っていたら、オレだけ。あとは全員ミャンマーの方々。
さて、バガンまで五時間のバス旅。通路反対の席には中年の女性2人が座っていて、足元には食料品がどっさりカゴに入っていた。お菓子もいくらか入っているので、長旅に備えているのかもしれない。
そう言うオレも、昼を食っていないので日本から持ってきたプリングルスで頑張るつもりだ。カロリーと塩分を同時に取れる、暑い東南アジアでは小腹に効果的なオレの必需品である。
バスはマンダレーを抜け、ひた走る。だだっ広い畑と小さな森が点在し、それがどこまでも続いている。 時折、人が畑作業をしているのが見えた。 そんな景色がしばらく変わることはない。かといって飽きることもない。アジアのバス旅は何が起こるか分からない感じが楽しくてしょうがない。
1時間ほど走ったところでバスがレストランで停まった。いや、その見た目は
「バブルの頃に好景気の波に乗ってできた地方のドライブインがつぶれて廃墟化し、長年放置された」ような雰囲気。
オレンジハットという、昔そこらじゅうにあった地方ドライブインをご存知だろうか。
あの匂いがする・・・。
↓地元に存在する廃墟。
ドライバーがオレに「トェンティー ミニッツ」と告げた。
どうやら20分のお昼休憩のようだ。客が降りていき、オレもとりあえずくっついて行ってみる。数人の客が店の裏手に向かったので、トイレだろうと付いていくと、女性こそ昔の農家の外便所のような小屋があるが、男性は柵で囲まれた場所があって、どうやらそこで自由にしろ、ということらしい。
レストランに戻ると、バスの客たちが各々テーブルに座っていた。
奥の厨房では従業員が忙しそうになにやら作っている。オレも興味本位で何か食べてみたい気もするが、メニューらしきものがない。これがメニューなのかと思われる壁の文字はすべてミャンマー語。 たぶん仮に注文できたとしても、味が合わずに一口食べて終わりになるだろう。だったらどんな料理があるか人のテーブルを見るだけでいいか、と考え、コーラだけ買うことにした。
冷蔵庫に入っているコーラを指差して、店員を手招きで呼ぶ。
何かミャンマー語で言っていたが、たぶん値段のことだろう。
適当に払うとおつりを持ってきた。おつりの額で、コーラがいくらだったのか判明。街中よりは安い。
外で、竹で出来たイスに座って飲んでいると、道の遥か遠くからヨロヨロと誰か歩いてくるのが見えた。
車でも移動が大変な何にもないこの道を歩いてきたようだ。
すでに白髪のほうが多いボザボザの長い髪、それに伸びた髭。ボロ布のような服。見た目からしてホームレス。 レストランの外に座り込み、両手を、まるで水をすくうかのように差し出して物を乞うている。
かわいそうだな、こんなところじゃ誰も何もあげないだろう、などと哀れに思って見つめていた。
しばらくすると、レストランの店員がビニール袋に何か食べ物を包んで持ってきて、男の手に渡した。男がゆっくりと頭を下げる。するとまた次には、昼飯を食べていた客がやってきて、いくらかお金を彼に渡した。
男は、この道を日々行き来して、食べ物やいくばかのお金を乞うているのかもしれない。
そういえば本で読んだ。ミャンマーでは動物に餌をやったり他人に親切にしたりすることで功徳を積み、天国に行ける、という考えがあるという。
それに男女共に生涯二度の出家が義務付けられていて、子供の頃と二十歳を過ぎた後に僧として必ず修行にでなければならないという。ナンナンもシィーも修行に行った話を、そういえばしていた。でもシィーは、ご飯がいっぱい食えないからヤダった、て言ってたけど。
僅かな食べ物とお金を手にした男は、体ほどもある大きな風呂敷の荷物をまるでサンタクロースのように肩に担ぎ、またヨロヨロと果てなき道を歩き、去っていった。
ほどなくして出発。添乗員が、どこのホテルで降りるか?とオレに尋ねてきたので伝えた。
このOKエクスプレスバスは、配達も兼ねているようで、バガンへと向かう道筋で、途中何度か停止し、ドライバーが道パタの家や、バスを待っていた人に荷物を渡していた。客だけでなく、配達もすれば確かに一石二鳥だ。 オレの目の前には、配達される無造作に荷物が転がっていた。
どこまでも続く畑の大地が過ぎたら、村に入り、荒野を越え、また畑、そして次の村、配達、ひたすらそれの繰り返しでバスは唯一の外国人のオレを乗せてひた走る。
それらの流れる景色は、ロードムービーのよう。 見ているだけで楽しく、五時間など足りないくらいに思えた。
ただ、「出発から何時間経過」ということは時計を見れば分かるが、現在地が分からず、あとどれくらいで着くのか検討もつかない。
4時間半が経過した頃、外を眺めていたら突然、オレの席の窓のカーテンが添乗員によってサーッと閉められてしまった。
なんだ、なんだ? どうゆうことだ? 外、見えねーじゃねーか。
2,3分、状況が掴めず考える。もしかすると。 うん、思う所はあった。
バガン地域に入るところに、外国人のための「バガン入域料支払い所」があるらしく、観光客を乗せた車、バスはそこで止まり、客は降りてチケットを買わないといけないらしい。その情報があったので、US20ドルを用意してすぐ出せるポケットに入れておいた。
けれど、このバスは先を急ぎたいために唯一の外国人であるオレを外から見えないようにカーテンで隠し、「支払い所」を通過するのではないか。
その予感、的中。
数分後、また添乗員がオレのカーテンを開けた。
するともう道っぱたに遺跡が見える。
もう、バガンじゃねーか。
一眼レフを持った観光客の姿もある。
おー、バガンに着いたか!
道の両側に、建物が見え始めた。町中に入ったようだ。ほどなくしてバスが停止した。添乗員がオレを手招きし、オレのバックパックを持つと、バスを降りた。
「インワモーテルだ」
彼が指差した道の反対側に、確かにホームページで見たゲストハウスがある。
「チーズィンティーパディー(ありがとう)」
彼にそう言うと、険しい顔を緩ませた。現地語で伝えると、どの人も微笑み返してくれるので嬉しい。
オレはバックパックを受け取って道を渡り、白い壁の綺麗なそのゲストハウスに向かった。 玄関でボーイが荷物を持ってくれる。ゲストハウスだと聞いていたけれど、サービスがいい。ロビーも綺麗。
フロントには数名のスタッフがいて、小さいが「ホテル」と呼んでおかしくない。
そういえば最近、新館ができたとか書いてあったような。それがここのことか。
パスポートを見せ、書類にサインをし、チェックインを済ませる。スタッフが部屋を案内してくれた。一階の奥に進む。部屋は予想よりもかなり綺麗で、インテリアもいい。まあ、この界隈ではちょっと高めの一泊およそ30ドル。
時間は、5時15分。
暗くなる前に、明日のためにも少しホテル周辺を散策することにした。
Wi-Fiにつなぎ、グーグルマップで現在地を確認し、出発。
通りは、なんとも言えない日本の昔の雰囲気がある。写真でみた風景に似ている。日本が明治に入り、発展を遂げた頃の東京の写真。 両側は隙間なく建物が並び、レストラン、ゲストハウス、レンタルバイク屋、商店なんでもある。
200メートルほど歩くと、日本人バックパッカーが多く泊まるというゲストハウス「ピンサルパゲストハウス」が目に入った。玄関前のベンチに誰かおじさんが立っている。 「フミヤさん」と呼ばれている日本語が堪能な従業員の方だ。ネットで見たことがあった。
おもむろに目が合うと、笑顔をくれ手招きされた。
「アナタ、いつ来たの? すぐ日本人って分かったヨ。どこ泊まってるの?」
なんだか久々に日本語を聞いた気がする。
「あ、今さっき着いたばかりで。すぐそこのインワモーテルに。フミヤさんですよね」
「えー、アナタ、こっち泊まればよかったのに。日本人、昨日、ミンナ帰っちゃったヨ。今日初めて日本語、アナタと話したヨ。日本人いなくて寂しいヨ」
オレがミャンマーに滞在しているのは正月だが、一般的には会社が正月明けし、仕事が始まるため、日本人は皆帰ってしまったとのこと。
ナイスタイミング。バガンに来てまで日本人まみれになりたくないからな。
そのあと10分ほどフミヤさんと話す。
「今、お客の欧米人はみな夕焼け見に行っているヨ。」
確かに空がオレンジ色に染まってきた。
「反対側のお店、ワタシの義理の妹がやってるレンタルEバイクのお店ダヨ。自転車もあるヨ」
夕日だけに見に、1時間程度で戻るつもりなので1800チャット(約150円)で借りれるチャリを選んだ。
「フミヤさん、夕日沈んだら、暗くなっちゃうよね。ライトあったほうがいい?」
この自転車、日本でいうところの放置自転車なみのボロボロ感。ライトなんてない。
「大丈夫ダヨ。レストランとかの明かりで道は明るいよ」
「そっか、じゃあ、行ってきます」
日本でもそうだけれど、旅先で自転車に乗るのって、なんでこんなに楽しいんだろうか。
伊勢神宮に車中泊旅に行ったときもクロスバイクを積んで行って行動はすべて自転車移動で、知らない土地をキョロキョロしながら走って想像以上に楽しかった記憶がある。
キーコキーコと鳴る自転車をこいで、夕日へと向かう。やはり欧米人の姿が圧倒的に多い。
電気で動くEバイクに乗っている人も多く、明日はあれを借りようと思った。
空が急速に赤く染まっていく。急がねば。
ライトアップされて黄金に輝くなにかの寺院がある。小さなパゴダもある。
おお〜 すげえ・・・
やがて町をぬけ道は森へ続く。
やばいな、暗くなるぞ。 ちょうどいいところに、何もない荒野とそこに大きめのパゴダを発見。
砂利道へと入っていく。 ギリギリのところでなんとか写真に収める。
しばし、無心で見つめ、夕焼け色に身を染めた。
来たなあ、バガンに・・・。
何年も温めていた思いだけに、感慨深く、立ち尽す。
昨日は、ウーベイン橋で夕日を見た。今日は、バガン。また一日が終わろうとしている。
明らかに、日本にいる時とはちがう一日の流れ。
日本でバスや新幹線や飛行機を乗り継いで旅行しているのとは訳が違う。 人々の顔が似ている東南アジアの旅には少しは慣れてきたものの、地理もわからなければ、言葉も文化も違い、安心感も違う。正直、いつも海外へ行く旅の前は緊張と不安と、、、うん、同じくらいのワクワク感。
それらをドキドキしながら乗り越えて、ようやく目的地へとたどり着く。
大学生旅行者とは違って、短い期間の行動予定はきっちり決めてきている。
無事に日本へ戻って何事もなかったかのように仕事へ行かねばならない。そのためには、気は抜けない。だから、無意識に気を張りすぎて、体が疲れる。
けれど、いったん今はそれを開放しよう。バガンへ来たんだ。
旅の日程は、まだ半分も終わっていない。
旅は、お腹いっぱいになる出来事の連続なのに、まだ始まったばかり。
こりゃ、長くなるな。
ひとり、苦笑を零す。
夕日が完全に落ちないうちに、オレは再びチャリにのってこぎだした。
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