a praying girl in SHWEDAGON PAGODA.
ミャンマー滞在、最後の朝。
何か、深く長い夢を見ていたせいで、目を覚ました一瞬、視界に映り始めた見慣れない天井を見て、自分が今どこにいるのか分からなかった。
旅先や、特に疲れている時はそんなことが起こる。
この6日間の全てがまるで夢の中だったかのようで、目を開けてもまだそういった浮遊感があった。
なんでオレはここにいるんだろうか、という存在論的不安から始まる朝。
カーテンを開けると遥か遠くのシュエダゴン・パゴダが青空の下で黄金を放っていた。
朝食会場は、この旅で一番豪華。客層も多国籍。日本人はいないようだ。
9時に、ホテルにシィーが迎えに来てくれることになっている。日本人たるもの時間に遅れてはならない、と急いで荷物を整理し、チェックアウトへ。
相変わらずジャージにバックパックでは浮いてしまう綺麗なロビーに、シィーが待っていてくれた。
今日は、オレの希望で「ヤンゴン国立博物館」と「アウンサンスーチーさんの生家」、それに近場の寺院に連れていってもらうことにした。
タクシーを呼ぶ、と言ってシィーがスマホのアプリをいじっている。東京のように、ヤンゴンでもアプリで現在地と行き先を入力すると、空いているタクシーがすぐに迎えに来てくれるらしい。
9時少し前に国立博物館に到着。
入り口には、白いシャツ、それに同じ緑色のロンジーを履いた子どもたちがすでに並んでいる。
シィーが嬉しそうに言った。
「あれは、小学校の生徒だよ。着ているのは制服。ぼくも小さい頃ここへ一度学校で来たことがある。久々に来たよ。」
社会科見学ってやつかな。オレも学校行事で、地元の博物館へ行った覚えがある。
入館料は外国人5000チャット。約500円。
中は、一部を除いて写真撮影が禁止。
国立というだけあって、展示品は豊富、かつ貴重な物ばかり。
オレは、各地の博物館、美術館へ行くのが好きだ。
東京はどこへ行っても激混みで落ち着かないけど、地方や海外はよっぽど有名な企画展でもやってない限りそれほど混んでいないため、観光地の喧騒から離れてゆっくりと自分と向き合いながら作品を堪能することができる。
開館直後ということもあり、館内はガラガラ。
シィーが日本語解説の音声ガイドを借りてきてくれ、ヘッドホンを付けて回る。
ここの博物館の目玉品でもあり、もっともド肝を抜かされたのは、150年前の王が使っていたという巨大な「王座」。
その王座とは、どのような時に使われていたかは分からないけど、扉があって門のようになっている。 全部で9個存在したが、そのうち8個は第二次世界大戦で破壊されてしまったとのこと。インドに持ち去られていた一つが1948年に返還され現存している。
たっぷり2時間は館内で過ごし、次に向かったのがアウン・サン・スーチーさんの生家。ミャンマー独立の父アウン・サンの家でもある。
入場料、外国人5000チャット。ミャンマー人は無料。
ここでも学校の社会科見学に当たり、多くの子供達がやってきた。
ミャンマーでは、「アウン・サン」の名前が通りの名前に付いていたり、建物や地名にあったりなど、独立の父は国民から尊敬と敬愛の念を持たれているようだ。もっとも、そういった教育を行っている結果だとは思う。
当時の食卓。
スー・チーさんの父、アウン・サン将軍の若き頃の写真。
彼が愛用した実車が展示してある。
次、「ンガータジー・パゴダ」に向かう。外国人も入場無料。
非常に言いづらい名前だ・・・。
次、ヤンゴン観光へ来た多くの人が立ち寄る「チャウタージーパゴダ」。
全長70メートルという巨大な寝仏が建物内にあり、圧巻。外国人も入場無料。
寝仏の裏に回ると通路で、石を掘って、祠(ほこら)のようなものを造っている石職人がいた。
親父さんと息子か。15歳くらいだろうか、その少年が一生懸命に石を掘っていた。
昨日の、レストランでの児童労働の話を覚えていたのか、シィーが、 「彼も学校へは行っていない。こうして働いているんだ。」 とオレだけに聞こえるように小声で話した。
我慢していても胸が詰まる思いは感じた。
彼らの手足は削った粉で真っ白に覆われていて、真剣な眼差しで石を削り続ける姿が印象的だった。
帰り、シィーが寄付箱にいくらか入れていた。 ミャンマーの人たちの、そういった光景を幾度も目にしてきた。
寄付をすることで、それが自分に返ってくる。功徳を積むという、そういう仏教の考え方が文化として根付いているんだ。
その後、デパートへ行きナンナンと合流。その日は土曜日で、午前中だけ仕事があったという。 日本のイオン的なデパートで、レストランや食料品、薬局、ファッションなど様々な店舗が入っていた。 近年、ヤンゴンの発展は目覚ましいとのことで、近代的な建物が増えてきているとのことだ。
2人が、
「ミャンマーのおみやげを買おう」
と言い出し、小物入れやバッグ、定番の観光地マグネットなど何種類ものお土産をオレに買ってくれた。さらにはミャンマーの庶民私服の定番の「ロンジー」まで買ってくれた。
買ってくれた、というのはオレがいくら自分で買うと言っても彼らには「もてなし」や「功徳を積む」、「相手に何かしてあげる」とい強い気持ちがあり、より良いオレの選択は「遠慮せずいただく」ことが一番だと思った。
その後、遅めの昼食で3時頃に定食屋に入る。ヤンゴンの定食屋は、すでに出来ている料理の中から好きなものを選び、皿に取って運んできてもらうシステム。 辛そうな食べ物を避けたつもりでも、それでも辛い・・・。 水、がぶ飲み・・・。
人気店なのか、3時でも客足が絶えない。若い女性がひとりで入ってきて食べて出ていく。
ヤンゴンには、日本でいう「昭和の香り」がするような昔懐かしい定食屋が多い。
帰国の便までまだ時間があるので、初日に行った「シュエダゴン・パゴダ」に再び行くことに。
近いというので3人で歩いていく。
歩いていると、背後遠くのほうから歌の爆音が聞こえてきた。
ナンナンが、 「見て! あれ。 写真撮りなよ!」 と叫ぶもんだから振り返ると、軽トラのような車がこちらに向かってきていた。
「子供が僧侶になる儀式よ。シュエダゴン・パゴダに行くのよ」
そういえば、とミャンマーへ来る前に本で読んだことを思い出した。
ミャンマーでは、少年時代と成人後の2度の出家修行が国民の義務で、その出家の日は「得度式」と呼ばれ、盛大にお祝いするのだという。
ギリギリ写真に収める。 豪華な服と装飾を身にまとった、初々しい少年が乗っていた。
再び、シュエダゴン・パゴダにやって来た。
初日に来た時と違い、ミャンマーにも少し慣れ、到着直後の緊張もない。 気持ち的には、最終日ということもあってフラットな状態でここに立てている心の余裕が感じられた。
オレの初ミャンマー旅は、ここに始まり、ここに終わることとなった。
帰国便まではまだたっぷり時間がある。旅のまとめと心の整理をしなければ。
まだ青い空と、それを背景にした黄金の美しさのコントラストが素晴らしい。
夢中になってそれらを写真に収めていると、シィーが、 「ぼくらはそこの日陰でのんびりしているから、ひとりで回ってきなよ。」 と気を使って言ってくれた。
「いいの? 待っててもらって」
「大丈夫。ぼくらはいつでも来れるから。たくさん写真撮ってきなよ」
シィーとは、友人のナンナンの恋人ということで初対面だったけれど、ミャンマー人離れしたごっつい体格や顔つきからは想像できない愛想の良い笑顔と優しい性格には随分助けられた。
その見た目やキャラは、なんだか映画の登場人物のようで、オレの「ひとり旅」という誰の目にも留まることはない小さなストーリーを輝かせてくれた。
「じゃあ、ちょっと行ってくるよ」
「ああ、ぼくらはそこにいるから、迷ったらまたこれに電話して。ここは広いから」
シィーが、またオレにガラケーを手渡してくれた。
「ありがとう。」
オレは受け取ったそれを大切に肩掛けカバンに入れて歩き出した。
⑲へつづく。
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